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「俺のこと、信じて。」
目の前の慎一郎さんが、真剣な顔でそう言った。そして俺がなにか返す前に、唇が塞がれる。俺はなにがどうなっているのか分からなくて唖然としていた。唇を離した慎一郎さんが、少し笑った。いつもの慎一郎さんの顔だった。
「こういうの、久しぶりすぎて、いろいろ忘れちゃったな。」
歌うような抑揚を持って小さく呟かれた言葉に、俺は我に返った。俺の頬に添えられた慎一郎さんの左手には、指輪がはまっている。慎一郎さんには、誰かと暮らす温もりを教えた奥さんがいるのだ。だから、やめないと。俺は、この部屋から出ないといけない。
分かっていた。分かっていて、俺は慎一郎さんの手を強く握った。今を逃したら、チャンスはないと思った。二度とこのひとに触れることはできないと。そう思ったら、がっつかずにはいられなかった。慎一郎さんが我に返ってしまうのが怖くて、その前にもっと、取り返しのつかないところまで進んでしまえと、半ばやけくそみたいに考えた。
「俺、慎一郎さんのこと、抱きたいんですけど、そっちでいいですか?」
慎一郎さんに、俺と寝ることに対しての拒否権を与えないような物言いをした。自覚はあった。してはいけないことをしていると。それでも目の目の慎一郎さんは、いつもの穏やかさで微笑んでいてくれた。
「いいよ。」
「抵抗、ないですか?」
男と寝たことは多分ないであろう慎一郎さんにとって、抱かれる側に回ることは、抱く側よりも抵抗があるのではないかと思ったけれど、慎一郎さんは平然としていた。
「大丈夫。」
「本当に?」
「うん。」
やさしいね、と、慎一郎さんは目元を緩めた。
「亮輔くんはかわいいから。なんでも好きなようにさせてあげたいかな。」
躊躇う様子もなく発せられたその言葉に、めまいがした。目の前に差し出された身体を、俺の好きにしていいのかと。
自分を鎮めるために、肺の奥から息を吐き出した。俺が抱いたことがある男は翔真だけで、翔真は男との行為に慣れていた。逃したくない気持ちに押されて、男に慣れていはしないであろう慎一郎さんの身体に負担をかけてしまうそうな自分が嫌だった。
「大丈夫だよ。」
慎一郎さんが、もう一度ゆっくりと俺にキスをしてくれた。
「大丈夫。俺に気は使わなくていいから。」
頑丈だし、男だしね、と、慎一郎さんは笑うけれど、その奥にわずかに緊張の色があることに、俺はようやく気が付いた、慎一郎さんは普段通りを装ってくれているだけだ。
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