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「美味い。」
自然と言葉が漏れた。ありがとうございます、と、慎一郎さんが伏し目がちに微笑んだ。その顔を見ていると、なぜだか急に、視界が歪んだ。涙だ、と気が付くまでに、数秒かかった。
「え?」
自分で自分に驚いて、間抜けな声が零れた。自分はそう感情を表に出す方ではないと思っていた。それも、初対面の人の前では。なのに、涙は止まらず頬を流れた。俺がさっき身体を拭いたタオルで顔を拭おうとすると、慎一郎さんは、もう一枚タオルを取り出して貸してくれた。それを目元に押し付けると、本格的に涙が止まらなくなった。ようやく涙が止まったのは、多分10分後くらいだろうか。そうなると今度は、恥ずかしさでタオルを顔から離せなくなった。大の男が、いきなり泣き出したのだ。さぞ驚かれただろうと思うと、顔から火が出そうだった。数分間そうやってかたまっていると、遠慮がちに慎一郎さんが声をかけてくれた。
「目元を、冷やされた方が良いと思うのですが……。」
俺は、おずおずとタオルから顔を上げた。すると慎一郎さんが、冷やしたおしぼりを、そっと目元にあてがってくれた。
「……すみません。」
声がみっともなく掠れていた。俺はその情けなさにまた泣きたくなったけれど、ぐっと唇を噛み締めてこらえた。
「いいえ。」
慎一郎さんは、ふわりと笑って、なにか事情がおありみたいだ、と、低い声で言った。
事情。俺の頭の中には、また恋人の顔が浮かんできた。そして、その白い顔をかき消すみたいに、慎一郎さんに向かって言葉をぶつけていた。
「さっき、彼女と別れたんです。それで、部屋追い出されて。俺、家族とかいないんで、そいつしかいないと思ってたんだけど、そいつは違ったみたいで。俺はそんなこと思ったこともないって言われて、」
そこまで訴えて、はっとした。いつもの習慣で、恋人のことを人に話す場合には、彼女、と女に置き換えて話す。でも今は、完全に緊張が緩んでいた。多分俺はさっき、彼女の一人称を、俺、と言ってしまった。
気が付いているだろうか、と思って慎一郎さんの顔を見上げると、彼は穏やかな表情で俺に、先を促した。その目の色を見るに、彼は俺の見せたほころびに気が付いていた。気が付いた上で、凪いだきれいな目をしていた。
俺は、少し考えた。その間も、慎一郎さんはただ、森に差す木洩れ日みたいな雰囲気を身に纏ったまま、じっと俺の言葉を待っていてくれた。だから俺は、今度はもう、癖になりかけている偽りを放り捨てて口を開いた。
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