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し、しまったあぁぁぁ!
内心で絶叫した嶋田はすぐに素知らぬ顔で「久しぶり!」とリテイクするが、時すでに遅し。座敷全員の鋭い視線が嶋田の身体中に深くぶっ刺さっている。
そう、嶋田は間違えたのだ。テンションを。失敗してはいけないと思いすぎるあまり、つい尊敬するお笑い芸人「ブーメラン大沢」の持ちギャグが口をついてしまった。
又吉の人となりは知らないが、彼が一般的な感性の人だとしたら久しぶりに会った同級生にお久しブーメランパンツとは言わない。
否、言ってはいけないのだ。あのギャグは、ブーメラン大沢ほどの一流芸人が白のタートルネックに赤のブーメランパンツという奇抜な格好でやるからこそ面白いのだ。
それをただの凡夫である嶋田が、いや、今は又吉であるが、どちらでもいい。よりにもよってTシャツにジーパンという奇抜の「き」の字もない姿でやってしまった。
決して許されざる行為だ。この世の禁忌を犯した、と言い換えてもいい。
「いや、その、今のは違くて……」
弁明の言葉も無言の圧に押されて無様に尻すぼみする。
その時ふと、静寂を破り座敷の真ん中あたりで誰かが立ち上がった。真っ赤な顔にねずみのような前歯が生えた、小柄な男だった。
彼はおもむろによっと片手を挙げ、こう言った。
「又吉じゃん! 久しぶりぃ!」
……又吉じゃん? 予想だにしていなかった言葉に一瞬脳の理解が遅れる。又吉じゃん、とはどういう意味だ。
さらにねずみ男は続けて「しかし、昔と全然変わらねぇな!」と言う。今度は理解できた。が、理解できた拍子につい、反射的に答えてしまった。
「まぁな、当時から変わらずずっとブーメランパンツ一筋で……ってなんでお前が知っとんねん!」
あっ、ダメだわ。今度こそ終わった……
入場時のハイテンションの名残りが不意に口をつき、嶋田は絶望した。
しかし今度は静寂は訪れず、代わりに座敷全員の大爆笑が嶋田を包む。彼らにさっきまでの剣呑な雰囲気など微塵もない。
なんだ、一体何が起こっている?
あちこちから「又吉のこのノリ、懐かしいわぁ」とか「相変わらずだなぁ又吉!」などの声が上がる。そこでようやく嶋田は、自分が彼らに又吉として認識されているらしいことを理解し始めた。
なぜか。
懐かしい、相変わらず。それらの言葉から、嶋田はある恐ろしい仮説を導き出す。それは「自分が扮する又吉という男は、ブーメラン大沢並にハイテンションかつ面白い男である」というものだった。
もしそうだとしたら、これはもうタダ酒どころではない。まずい。非常にまずい……
嶋田はこの後起こる恐ろしい展開を予感し、さっきとは別の意味で一人絶望していた。
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