悪役令嬢、中身はサイコパス〜王子様、社会的にも物理的にも終わりです〜

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マズリア王国の王宮では、この夜、貴族たちが集められ盛大なパーティーが開催されていた。 そして、この王国の第二王子、アスラン・マリ・ダンシャーリィにぴったりと寄り添うのは、ここのところ熱愛が囁かれている、ナレステア子爵家令嬢のアレキサンドリア──王子から親しげにサーシャと呼ばれている少女だ。 彼女は幼げな顔つきに化粧を施し、血色を強調した頬紅はパーティーに集う淑女の間で浮いている。 さらに、コルセットを好まないのか、腰周りを細く見せるドレスは着ているのを見た人がいないくらいで、選ぶドレスにより胸もと以上に腹部が膨らんでしまい、体型まで幼くさせている。 この少女相手に顔を緩めている王子は、それなりに背丈も体格も出来上がっているため、幼女趣味の青年かと思われても仕方ない。 だが、一応この国の王子なので、二人が仲睦まじくしている姿を見られる地位の者たちは、陰で声をひそめて苦い言葉を交わす程度に抑えて、表立っては放置──見て見ぬふりをするのみだ。 それもそのはず、この色恋に浮かれている王子には、れっきとした公爵家令嬢の婚約者がいる。 その名も、ヴィクトリア・デス・ウィンフィレア──彼女は今宵、白い肩と美しいデコルテが映えるデザインの、腰周りを絞った真紅のドレスを身にまとい、装飾は金糸の刺繍やレースに黄金の宝飾品を用いて、ただならぬ貫禄を見せている。 アレキサンドリアとさして年齢も違わないヴィクトリアは、王子と少女に嫉妬や憎しみの眼差しを向けるでもなく、泰然と構えていて余裕さえ感じさせた。 その姿を見ている者たちからすると、本当に王子と婚約しているか分からなくなるほどだ。何しろ彼女は、浮気中の王子たちを蔑視さえしていない。 ──しかし、常識で考えれば倫理的におかしい和睦のムードを作っていたパーティー会場に、突如として悲鳴が上がった。 金切り声の主はアレキサンドリアだ。会場にいる全員の視線は一気に彼女へと注がれた。 「いやぁっ!このワイングラス、底におかしなものが沈んでいるじゃないの!」 「サーシャ、しっかりしろ!衛兵、銀の杯が変色しない異物を混入させた者が会場内にいる!直ちに閉鎖して調べろ!」 「恐ろしいですわ、殿下……どうしましょう、私は飲み干してしまいました……死にたくありません……殿下、助けて下さいませ……」 「サーシャ、お前は私が死なせはしない!──医師を呼べ!早く!」 その場が騒然とする。異物入りのワインを飲み干したわりに足はしっかり立っているし、王子にしがみつく腕も力強いものの、ワイングラスに何かが入っていたのは事実だ。 本来ならば未成年が酒を飲むべきではないと諌めたい人もいるだろうが、異物混入の事件が起きてしまったら、とりあえず全員が調べを受けなくてはならない。 迷惑そうに目を顰める高貴な参加客を前にして、衛兵たちが「面倒なことになったな」と視線を交わし、職務を果たすべく一歩踏み出した瞬間、なぜかヴィクトリアが優雅に歩み出て制止した。 「──殿下、落ち着いて下さい。令嬢のワイングラスに薬を混ぜたのは、わたくしでございます」 「──お前っ……私がサーシャを想うことを疎んで、あろうことかサーシャに手をかけたのか?!」 「いいえ。わたくしは、令嬢が殿下との禁忌の恋路に熱を上げておいでの様子でしたので、令嬢の心身へ配慮しただけでございます」 「配慮だと?」 「ええ。恋とは人を盲目にするものでございましょう?焦がれれば恋の病も患うとか。まだ成人もされていない令嬢が心身を損ねてはいけませんから」 「言うに事欠いて、サーシャのワイングラスに毒物を混入させたことは許されざる罪であろう!」 「わたくしは薬と申しましたが?」 ヴィクトリアは責められても落ち着き払っていて、堂々とした佇まいで王子と浮気相手に対峙している。 「──お前には話が通じない!貴族令嬢であるサーシャを害した罪は、たとえ公爵家のものでも死罪に値する!」 「令嬢はお元気そうでございますが」 おっとりと言い返すヴィクトリアの言葉通り、アレキサンドリアはふらつきも吐血もせず、力いっぱい王子に抱きつき、ヴィクトリアを恐ろしげに見つめる目も輝いて生命力が宿っている。 こうなると、貴賓も衛兵たちも見物するしかない。王子が毒だと言っても、飲んだ本人は元気そのものに見えるのだから。 「──これでも婚約者だった身として情けはある!処刑は免じて修道院に入れることで罰としてやる!」 法による調べもなしに断罪である。王子様といえど、国の司法を無視するのはいかがなものか。 しかし、それでもヴィクトリアは扇を口もとにあてたのみで、目には失意のかけらもない。 「あら、まあ……でしたら婚約は破棄となりますわ。そのお言葉は覆される事などございませんわよね?」 念を押すのは、何よりヴィクトリア自身の為だと誰が知ろう。 何しろ、王子が田舎くさい女にうつつを抜かしていた間、ヴィクトリアが代わりに王家の仕事をこなしてきたのだ。また面倒な仕事をさせられるのは御免こうむりたいだろう。 「泣いて縋られても覆す事はない、神の御前で贖罪するがいい」 「そうですか、分かりました。殿下の未来について思えば、わたくしは喜んで修道院へと入らせて頂きます」 「……え?」 「神がわたくしの言葉をどうお聞きになられるか、想像しただけで楽しみですわ。──では、用意が整うまで屋敷の自室で謹慎させて頂きますので、これにて失礼致します。殿下はどうぞ引き続き、夜会の見世物をお務め下さいませ」 「──なっ?!」 ヴィクトリアの立ち位置は、あくまでも殿下に心変わりされた哀れな令嬢。 彼女は思った。 ──悪くない、これを存分に利用して遊ばせてもらわなくては。 ヴィクトリアは王子妃教育に王宮での仕事に、あまりにも自分の時間を持てずにいた日々を生きてきたのだ。疲れるほど熱心には取り組みなどしなかったけれど、手抜きもしなかった。 そうすれば、将来への布石を打てるし、いつかは己の楽しみを心置きなく味わえるようになると信じてきたからだが。 「帰宅するのであれば、わたくしは罪人を運ぶ鉄馬車というものに乗ってみとうございますわね。──そこの従者たち、わたくしを運ぶにふさわしい鉄馬車の用意を」 「えっ?」 王子の太鼓持ちというか、ただ控えていただけの従者たちは驚いて、無礼にも聞き返してしまった。 なんでいきなり自分たちに話が振られるのか分からない。そう言いたげな顔である。しかしヴィクトリアは一歩も譲らない。 「わたくしは同じ言葉を繰り返すつもりはないの。──聞いていたでしょう、早く動きなさい」 「──は、はい……」 貴族の中の貴族、公爵家令嬢を罪人が乗る鉄馬車で公爵家まで運ぶ?前代未聞だ。 「──では、お楽しみ下さいませ」 ヒールを鳴らしてヴィクトリアが身を翻す。アレキサンドリアのことなど一瞥もしない。騒いでいたアレキサンドリアからすれば、被害者のはずなのに立場がない。 招待客は皆、残された王子とアレキサンドリアの様子を見つめている。彼らがどう動くか言うか、反応を楽しみに待っているのだ。 ──これがヴィクトリアの第一歩となる。 「お前たち!見世物ではないぞ、不躾に何を見ているんだ!──サーシャを診る医師はまだなのか?!」 「……そ、そうですわ!私は恐ろしいものを飲まされて……ああ、アスラン様……私の命がここまでと知っていたなら、私はあなたにもっとお話ししていましたのに……」 しがない子爵家から、せめて伯爵──いや、侯爵家に陞爵して欲しい、とか。 「サーシャ、大丈夫だ。我が国の医療技術を駆使して助けるからな!生意気で厄介な婚約者はもういない、これからはサーシャこそが私の婚約者だ!」 「……アスラン様……」 王子妃として婚姻が成れば、ただの子爵家令嬢から王室の一員に格が上がる。これは悪くないとアレキサンドリアは気を取り直した。 彼女は、自分の体調に異変がないことを訝しむだけの理性もなく、邪魔者の退場を喜んだのである。 ──そして、六頭立ての鉄馬車が用意された。 急な要望に慌てたものの、大人数で車輪を交換し、内装にもこだわり、乗り心地の良さと気品を追求し、カーテンやクッションにソファーまで揃えた逸品に仕上げてある。 「これが鉄馬車というものなのね。なるほど……面白いわ」 「お気に召して頂けましたようで、何よりでございます。──お足もと、お気をつけ下さい」 「ええ。待っている間に各所へ手配した早馬は?」 「はい、全て到着しているかと」 ヴィクトリアは、それを聞いて薄く微笑みを浮かべた。 「皆さまに心配させてはならないものね。わたくしの不祥事には両親も心を痛めたことでしょう」 ──正確には、王子の愚かさにである。 ヴィクトリアの家族は、彼女のことを良く理解している。彼女に関する全ての事柄を見てきたのだから。 王宮勤めの従者たちには分からない。ヴィクトリアの本性など、知りようがないのだ。 だから、彼女の一言には同情してしまった。 ──今ごろ、お父様もお母様も……家族は皆、根回しをしてくれているわね。楽しい演目の始まりよ、何しろ王国の正妃が生んだ第二王子が、無様に身を滅ぼしてゆくのだから。 ヴィクトリアが、そうほくそ笑んでいるとは思いもせず。 「──わたくしはもう第二王子の婚約者という立場も失った身よ。ただの臣下、公爵家令嬢として運びなさい」 「は、はい。畏れながら……丁重にお送り致します」 そうして、ことさらゆっくりと馬車が走り始めた。馬を急がせて揺れがひどくなってはいけない。王子が断罪しようとも、彼女は国王や国の司法が認めた罪人ではない。 無駄に豪華な鉄馬車は、ヴィクトリアの権威を見せつけながら夜の王都を走った。 王宮のことなど知る由もない民は、それを奇異な目で見送っていた。 「……全て終わり……あの方が選んだ道だもの」 その独白さえ、さながらヴィクトリアの諦念かと聞こえて、御者は悲しげな顔になった。 カーテンに囲まれたヴィクトリアは、それはもう喜色満面の笑みだったのだが、幸い見えていない。 ──さあ、殺ってやりましょう。あの愚かものを。 国内で最も高名な公爵家の令嬢、ヴィクトリア・デス・ウィンフィレア──その本性が、敵にはひとさじの慈悲もなく、残忍なまでに潰しきることを遊ぶように楽しむものだとは、限られた一部の人間しか知らない。
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