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5 お泊り
健吾と二人の旅は、仕事とは名ばかりで本当にただの兄弟旅行になった。健吾と二人きりになるのが久しぶりの潤は、この時間がとても楽しくて終始笑っている。
目的地につくと、健吾は少し責任者と話をしていたがすぐに潤のもとに戻ってきた。そして二人でショッピングに食事を楽しんだ。
潤は健吾を見て、少しドキドキしていた。
あの頃だって大学生で潤から見たら大人だったが、今はまさに働く男そのものでスーツ姿がやけに眩しい。それに比べて自分はただの大学生。あの頃の健吾のような頼もしい男性にはなっていない。いつまでたっても健吾に追いつかない自分が少し恥ずかしくなる。
「潤、どうした? 疲れたか?」
「なんか、健吾がかっこよすぎて遠い人みたいだなって……」
「なんだ、それ。潤ほど俺に近い人間はいないよ」
「どこが近いのさ! 僕はまだまだ甘ちゃんの緩い大学生だよ」
すると健吾がいきなり潤の顔の間近くまで、グイっと自分の顔を寄せてきた。潤の身長は低くはないのだが、健吾がかなり高いので身長差がそれなりにある。健吾が少し膝を折る形になった。
「ほら、近いだろう」
「ぷっ、もう、健吾そういう冗談言う人だっけ?」
「冗談じゃなく、これほどの距離に近寄れる人間は潤だけだ」
「はいはい、確かに顔が近すぎるでしょ」
潤は笑って、健吾の頭をがしゃがしゃとした。
「ふはっ、せっかくのイケメンなのに頭がぐちゃぐちゃになって、でもワイルドになったよ?」
「イケメンか。お前から見て俺はそう見えるのか?」
健吾は笑いながら言う。
「そうでしょ。お父さんも渋オジだけど、健吾はまさにイケメン! 僕、健吾ほどカッコいい人見たことないよ」
「お前は、綺麗だよ」
「え?」
健吾がいきなり真顔になり、お互いの唇が近づきそうな位置でそう話した。思わず、そのセクシーな唇に潤は見とれてしまう。
「綺麗だ」
「……」
慌てて潤は健吾から離れた。
「も、もう、やめてよ。男にそんなこと言っても嬉しくもなんともないんだから!」
「ふっ、顔が真っ赤だな」
「健吾! やっぱりからかったね」
健吾が笑うと、なぜか潤はホッとした。あのよう真剣な顔を向けられるとどうしたらいいかたちまちわからなくなる。
いくつかの買い物を終え、食事を済ませた二人は今夜休む場所を目指した。そこはショッピングモールに隣接するホテルだった。
「あ、健吾。今日のホテルここだ!」
「ああ、父さんが取ってくれたらしいけど、ここ経費で落ちるのか?」
「なんか、豪華だね」
そこは見るからにランクの高いホテル。出張のような扱いだと思っていた潤と健吾は、父親からのサプライズに驚いた。
「まあ、いいか。よしチェックインするぞ」
「おう!」
スーツの男と学生。健吾はこういうところが似合う大人だが、潤は場違いな場所にいる気がしてソワソワしてしまう。チェックインを終えた健吾が潤のところに来た。
健吾がキーを持って潤にお待たせと言うと、潤はいぶかし気な視線を兄に送る。
「なんか……ホテルでの感じがさ、手慣れてる」
「なんだ、それ」
健吾は笑いながら、潤の腰を支えエレベーターまで誘導する。
「こういうさりげない動きが、大人みたいで遠い気がする」
「はは、俺は大人だしな」
エレベーターの中でぼそっと潤がつぶやくと、健吾は笑いながら先ほどの話を出してくる。同じように、顔を潤のすれすれに近づけて……
「遠くない。お前は俺に一番近いだろう?」
「ちょ、だから距離感!」
吐息がかかる距離に、潤の心臓は急に大きな音を鳴らした。健吾の身に着ける香水だろうか、潤の鼻腔にシトラスのようなさわやかな香りがしてきた。
「ほーら、近いだろう」
「もう、またそれ? そんなセリフ、ホテルで使いなれてるんじゃない?」
「俺はお前から見たらどんな人間だよ」
残念そうな声で健吾が言う。それを考える潤。
(どんなって……とにかくすごい男。この世の中で一番大切な義理の兄。あと、なんかいい匂いした)
恥ずかしいので、そんなことは脳内で考えるだけにして、からかいまじりに潤は口に出す。
「エリート、イケメン、モテる、イケメン」
「おお、イケメン二回でてきた」
「だって、なんか健吾が近くに来るとドキドキするし、イケメンの威力がやばい」
「ふーん、ドキドキするんだ?」
健吾がなにか言いたそうな顔をしたが、その時エレベーターは目的の階に到着した。
二人が部屋に入ると、そこは目の前に夜景の広がるロマンティックな部屋だった。部屋には大きなベッドが二つと、テレビ、テーブル、ソファなどが置いてある。男二人でも息詰まることもないような広い空間だった。
「うわっ、なんかエロイね? まるで新婚カップルが泊まる部屋みたい」
「なにがエロイんだよ」
「だって、同じ部屋にベッドが並んでるよ」
「そりゃ、ツインなら並ぶだろう」
潤は部屋を見渡して、そして他の場所も見に行った。
「うわっ!」
「どうした?」
潤の驚く声に、健吾が心配そうに後をつけてきて声をかける。
「お風呂がガラス張り、中見えちゃうよ……」
「ああ、ブラインドが下りるよ。でも別に俺とお前なら見えてもいいだろう?」
「え、いい……のかな?」
潤の後ろに立つ健吾。バスルームの扉に手を置き潤の肩に腕を下ろす健吾の言葉に、潤はその時なぜかドキドキした。
「ダメなのか?」
「え?」
潤はすぐに後ろを振り向く。見つめ合うほどそばに居たい。そんなことを彼の瞳を見た時ふと思ってしまった。やっと、健吾をひとり占めできる。ずっとこの数年、憧れていた時間。潤を悲しみの底から救い上げてくれた人、大切な兄。
「い、いいんじゃない?」
「ふふ、いいのか」
潤はどきりとしながらも、この動悸をなぜか彼に知られたくなくてはぐらかすように言うと、前を向き目線を外した。健吾は楽しそうに笑って潤に寄りかかってきた。彼の体重を背中に感じるだけで、なぜか変な汗が出そうになる。
「ちょ、やめてよ。重いから!」
「お前、相変わらず細いな」
「どうせ、僕は父さんや健吾みたいに筋肉つかないモン」
「いいよ、これくらいが。俺の中にすっぽり入るくらいがちょうどいい」
後ろから健吾の腕が回ってきて、潤はどきりとしてしまう。散々自分から近い距離で接してきたが、いざ相手から来られると、これが正しい距離感なのかわからなくなってしまう。しかしこのぬくもりから離れたくない潤は、そっと自分の胎にまわる逞しい健吾の腕に自分の手を重ねた。そこで健吾がびくっとしたのが潤に伝わる。
「さ、ふざけてないで。一人で風呂入りな、あわあわにして遊んで転ぶんじゃないぞ」
急にいつもの雰囲気に戻る健吾は、潤から体を離した。
「うー。ふざけたのは健吾でしょ! 僕そこまで子どもじゃないし!」
「ほらほら、そんな言葉にムキになるところがお子さまなんだよ。お兄ちゃんが洗ってあげなくちゃ入れないか?」
健吾はいきなりふざけた空気を出してきたので、突然のいつものような空気感に潤は安心して健吾と笑い合った。
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