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穏やかな朝
目が覚めると同時に、父親が僕の部屋に入って来た。僕は目をこすりながら上体を起こした。
「おい、聡、もう朝飯出来たぞ・・・って、起きてるのか」
僕のベッドの横までやってきた父は僕を見下ろした。
「うん、今起きた」
なんとか返事はしたものの、僕の胸の中は悲しみと虚無感でいっぱいだった。紫さんにもう会えない。その事実が寝起きの僕の心を搔き乱した。
「飯冷める前に早く・・・って、お前、それ何持ってるんだ?」
父が僕の握り締められた左手を見て言った。「え?」と返事をして自分の左手を見ると、そこには夢の中で紫さんからもらったあの馬の人形が握られていた。
「何でこれ・・・・・・」
理解ができなくてそう呟くと、僕のその声に被せるようにして父が声を上げた。
「その馬の人形・・・菫が大事にしていた人形じゃないか・・・!」
思いもよらぬ言葉に僕は声を失った。父の口から出てきた菫という名前。それは既に他界している僕の母の名前だった。母は僕を産んでほどなくして亡くなっていた。
「お前・・・、どこで見つけたんだ・・・?それはお前が生まれた時に、午年だからって菫が買って大事にしていた人形なんだ。けれど菫が亡くなった後、どこかに行ってしまって家中探しても見つからなかったんだよ」
驚きと興奮が入り混じったような様子で話す父の言葉を、僕は半ば感傷に浸りながら聞いていた。
「・・・掃除をしていたら、たまたま見つけたんだ。・・・あのさ、これ、僕が持っていていいかな?」
それをすんなり承諾した父に対し、僕はすぐに行くから先に朝ごはんを食べてて、と言って部屋で一人になった。
夢で出会った彼女を思い出す。
あなたが世界から離れられなかったのは、間違いなく僕が原因だろう。僕がもっとしっかりしていて、立派な人間だったなら、きっとあなたは夢にやって来なかった。僕の不甲斐なさがあなたをいつまでもこの世界に引き止めた。
亡くなってまでも心配をかけてごめん。頼りない人間でごめん。けれど、もう大丈夫だから。あなたが僕に前を向く勇気をくれた。これからは人並みの人間として生きていけると思う。だからどうか、安心して休んでほしい。
握っていた人形に目を落とす。十八年の歳月を経てそれはところどころが黒くなっていた。その黒を僕はふき取り、綺麗な状態にする。
それを僕は自分の勉強机に置いた。つぶらな瞳が愛くるしい茶色い馬の人形は、殺風景な僕の机をささやかに飾ってくれた。彼女の宣言通り、この馬は僕のお守りになることだろう。
休日の晴れた空はうららかだった。カーテンを開けた窓から朝日が入り込んできて、その光を浴びて人形は金砂を纏ったように眩しく輝いていた。
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