―TIPS1

1/1
前へ
/2ページ
次へ

―TIPS1

時代は変わった。 或いは変わりつつある最中だ。 きっかけは量子能電算機の開発だった。 まるで高くボールを投げた時の放物線のように、西暦2000年を越えて、文明の進化は停滞の時を迎えていた。 が、そこにカンフル剤のように打ち込まれたクローニング、輪転式進化性AI、スポーツ化した機械化戦争、それらをはじめとした全てが量子能電算機の開発を後押しした。 そしてそれが完成してしまえばあとは簡単な話だった。 視野世界の完全解析、人類、どころか地球全体のアーカイブ化が始まった。 深海や地底、火山の中を除いて地球上でシミュレートされていないところがなくなるまでさしてかかりもせずに、人は、もう一つの世界を造る権利を得た。 ほぼ完璧にシミュレートされた模造地球世界を運営する組織は、[公社]と呼ばれた。 公社はシンギュラリティ後の全てを駆使して創世を始めた、量子生物(ナノマシン)による植林に擬態したサーバー[万博]の敷設、万能模倣粒子[電子]の開発、[魂魄]の証明と保護の確立、その解明を目的とした技術組織[魂魄機関]の設立、明らかに人間では不可能なオーバーペースで公社は創世の初期段階を完了した。 あからさまな新秩序を構築しようとするその企てに反発が起きないはずもなく、物理世界の上位既得権益層はありとあらゆる手を持って妨害を行おうとしてきた、が、全てが速さの前に無駄になった。 公社と現代貴族(モダンノーブル)の抗争が表に出始めたころ、ついに[人体の電子換算(エゴ・リィンカーネーション)]が発表された、発表されてしまった。 電網世界とはつまるところ、資本主義からの脱却、新たなる価値観世界へのパラダイムシフトそのものだった。 二千年代の人類の歴史は要約すると、疲弊と悪あがきが主題となっていた。 そこらかしこで起こる紛争とテロ、貧富の拡大、権利と利益を求めて勃発したファッショナブルな人権運動、世界中に蔓延しては縮小してしかし絶えずそれを繰り返す疫病、他にも大小様々な事件や事故があって、世界のどこを見ても幸福や平穏からは遠く、さりとて確かな破滅や致命的な破壊というには足りず、だからこそ大きな変化は起こり得ない。 緩やかな黙示録とでも言うべき袋小路に人類は嵌りこんでしまっていた。 そんな倦怠感に包みこまれていた最中に突如現れた[電網世界(逃げ場所)]。 最高の、或いは最悪のタイミングで公社は[人体の電子換算(逃げ道)]を発表し、社会にも、世界にも疲れきっていた大量の人々がそこに雪崩のように押しかけた。 なにしろそこに逃げ込むのに必要なのは当時生活必需品として広く普及していたハンドスキャナー、発売時には映像や音楽、文書や情報をいとも簡単に電子化するという売り文句で出された値段もすこぶる手軽な量産品。 しかも戻ってこれない訳では無い、[電子]と[魂魄機関]により、人はいつでも現実世界と電網世界を往復することができる。 気軽にコンビニに行って買って、疲れたから適当に現実を捨て去る、其処は電網世界、完全解析されたが故に現実世界そのままに複製された家、町、(AI)、物。 時が経てば腹が減り、触れれば感触が返る、慣れ親しんだいつもと変わらない違和感のない世界。 しかしサーバーを変えれば世界は幾つでも用意され、家賃もなく、食事もコピペすれば無料(ただ)、アーカイブには古今東西の娯楽が溢れている、勿論それらも無料(ただ)。 人は、そこで初めて労働という価値観から解放された。 労働と資本という人類に与えられた偉大なる歯車機構、或いはひたすらに空転して人を走らせる呪いの回し車。 それらから解放された人々は、多くはその疲弊を癒すために休息に入り、静かすぎる営みが少しの間続いた。 が、全ての人がそのまま堕落しきってしまうかといえば、全く持ってそんなことはなかった。 たとえ屋根があり衣服に不足せず食べ物は好きなだけ与えられるとしても、そこには一人退屈を紛らわす玩具(おもちゃ)があったとしても、人がそこで満足して歩みを止めることはなかった。 退屈、或いは不安、もしくは不満、満たされてなお、だからこそもっと、人は求めてやまないものがあった。 それこそが次の時代を推し進める指標、人の総体を動かすそのための燃料を、公社は[価値]と名付け、そのまま[価値主義]と呼ばれる社会が電網世界に鎮座することになった。 電網世界における[価値]とはつまり、人の承認欲求を元に換算される新しい功績指数だった。 それまでの旧世界における全てがアーカイブ化され[資本]を喪失した新世界において、人類がその満たされたあとの退屈から飛び出して欲望を見出すのに、承認欲求というお手軽で際限のない都合のいい機能が幅を効かすようになるまでそうはかからなかった。 おそらくは公社の想定通りに進んだシナリオだったのだろう。 あまりにもスムーズに成立した個人価値総数[ハイスコア]、創世後に創造された文化の保護複製阻止システム[コピーガード]、大々的に開かれた[文化祭(フェスティバル)]と言う名の行動指針のモデルケース展覧会。 人々は自ずから動きだして[価値]を得るための行動を始めた。 例えばアイドル、旧態依然とした大メディアはすでに無く、しかしウェブでは広がりすぎて偶像ではいられない、だからこそ魂魄を模造して個人(ファン)その者達に配る、貴方のためだけ(・・・・・・・)の[アイドル(偶像)]が産まれた。 もしくはクリエイター、[資本]や[人体]による制限をクリアされたクリエイター達は、体感時間を加速させ、運動機能を改造し、自らの情熱が赴くまま以前(前世)の職場を超えたブラックな制作環境を造りだし新技術を産み出していった。 そしてステーツマン、最早そのサーバー容量に対して総ユーザーが一人一つ地球規模のエリアを所持したとしても余りある電網世界において、誰しもが、望むなら、一つの世界を造る余裕があったからこそそれを行えるような人材こそ希少だった。彼らもまた望むまま新しい街を、都市を、場合によっては国を、[エリア]を造りだした。 それらを例において他に諸々と、[スコア]を得るため、[承認]されるための活動が人類のタスクに置き換わり、人々は次第に資本を基盤とする旧世界を忘却していった。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加