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1. 記 憶
比較的温暖で、雪が降ることは珍しい。
そんな地元の就職先へ、挨拶に行った日のこと。
雪がちらつき始めた駐車場で、薄曇りの空を見ているあの人の横顔を見た。
心に焼き付いた姿。
あの日が無かったら、いまの俺は、運命はどうなっていたのだろう。
*
篠乃目夏海は、四月の人事異動で米舘市役所財務部経理課から、都市建設部都市建設課に配属になった。
それから四か月目のある日、市内の料理屋で暑気払いが始まった。
「おい篠乃目、飲んでるか」
「はいっ、がっぽがっぽ飲んでますよ!」
ビール瓶を手にやってきたのは、水道課の課長だ。
夏海の父親と同級生で、入所当時からよく声をかけてくれていた人だ。
テーブルに置いていたコップを空にして注いでもらうと、今度は使っていないコップを渡して返杯する。
「課長もどうぞ」
「ああ、少しな、もう飲みすぎた」
隣に腰を下ろすと、赤くなった顔の皺をくしゃっとさせた。
「仕事は慣れたか」
「まだ必死です。係長と相手先に行っても何もできないし。でも、お茶淹れは上達しました」
財務部では朝のお茶淹れは各々でやっていたが、建設部では、例え年齢が三十になっても下っ端がやる。
夏海は下から二番目で、他に高卒ルーキーがいるが、一人では大変だからと手伝っているのだった。
「うちの部署は男ばっかりだし、華が無いよな」
「そうっすね。でも俺は高校の先輩が多いし、同期はいいやつばっかりだから、居心地いいですよ」
そうか、と安心したように笑みを浮かべると、そのまま言葉を続けた。
「お前彼女は? 親父さんに孫抱かせてやれよ」
夏海がビールを口にすると、酔っぱらいの絡みが始まった。
「孫なら、妹のところにいるからいいですよ」
田舎は結婚が早い。
今年で二十六歳になるが、小学生の子供がいる同級生も何人かはいる。3つ下の妹も、二十歳で第一子を産んだ。
「そうなのか。ま、決まったら教えてくれよ」
笑って返す夏海の肩を叩いて、別のテーブルに行った。
コップに残っていたビールを飲み干し、尻ポケットに入れていたスマートフォンを見ると宴会が始まって一時間になろうとしていた。
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