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天使っていう病が流行しだしてからちょうど一年くらいが経っていて、それは中南米に落ちた隕石に起因するらしい。宇宙にはまだわたしたちの知らない未知のウイルスが存在していて、どうも隕石に付着していたのもそうだというのが世界各国の学者たちの見解だった。
「まあね、なにがどうあれしゃーないね」
つって、アキノは机に腰かけてアイスを食べている。細かいアーモンドのひっついたチョコバーのやつだ。
「おいしいのそれ」
わたしが受験生らしく世界史の用語集から顔をあげてたずねると、アキノは神妙にアイスを眺めてから、窓の外にどかんと広がっている青空を見た。
「まあ、ふつう、っすねー」
アキノの背中でぴょこんと翼が羽ばたいた。決して空を飛べるほど大きくはない、たい焼きくらいの翼がはえるのが天使の症状だ。
この夏、アキノはグレまくっていた。
髪は半分金髪に染めたし、ピアスの穴が四つから六つになった。元々の四つは両耳に二つずつあいてたもので、増えた二つは右の鼻の穴の上とへそにあいた。授業への出席は減り、肩甲骨まわりから翼が二つはえて、わたしとはずっと友達だった。
すごく変わったようで変わっていない。アキノは授業なんて出ないくせに高校には朝から来ている。「おはよー」ってあいさつしてきて、すかさずぺちゃくちゃしゃべりだす。昼休みと放課後もどこからともなくあらわれる。元々授業中って友達としゃべったりしないし。特にいまは受験をひかえているからなおさら集中しているし。お弁当食べながらおしゃべりしてればいつもどおりの仲良し二人組ってわけだ。
「なんかさー、ふらーってあらわれて、たのしそうにしゃべったらふらーっていなくなって、天使感マシマシっていうか、天使か、わたし」
あっはっは、ってアキノは笑っているけど、病気については実際どうおもっているんだろう。いまのところ翼がはえる以外に苦しい症状はないってWHOも報告してたけど。国からも罹患者に対して翼を出す「翼穴」のついた服を買うための補助金が出るみたいだし、翼が嫌じゃなきゃ別になんてことはないのかもしれない。
いや、それは天使になってない人間の勝手な決めつけなのかもしれない。だってアキノはグレまくっている。どうなんだろう、つらいのかな。
「飛べりゃあちょっとは自慢できるんだけどねー。ま、わたし最近原付の免許とったし、飛べなくたって田舎道ならすいすいーですよ」
と、アキノは財布のなかから免許証をとりだしてビシッとわたしの目の前にかかげた。いつの間に受験したんだか。天使になったアキノは、たまにわたしの知らないこともしている。
で、わたしは自室で踊ってみる。バレエ教室には通わなくなっちゃったけど、踊るのは好きだから。
そもそもバレエ教室に誘ったのだってアキノだった。小学二年生のとき、はじめてクラスが一緒になったアキノに勧められて母と見学に行ったのがキッカケだった。アキノは幼稚園のころからバレエを習っていて、すでに脚は高く上がるし、綺麗にターンできてた。元々運動神経のないわたしは教室の隅でぐずぐず先生と一緒に柔軟したり姿勢を直されたり、なかなか上達する気配がなかった。発表会でも後ろの方にちょこんと出てきて、はい、おしまい。舞台の中心で思いっきりライトと拍手を浴びるアキノの姿を眺めてばかりだった。
でも、そこにわだかまりなんてなかった。下手でも踊るのは楽しかったし、わたしはアキノの友達でありながら、ファンにもなっていたから。
そう! あの頃のアキノはわたしにとってまさに天使!
中南米の隕石のせいで言葉の意味がだいぶ変わってしまったけど、あのころアキノから感じたトキメキは変わらない。わたしが心から天使と呼ぶのは、思い出の中できらめくあのアキノだけだ。
じゃあ、いまのアキノは天使じゃないのかって? 難しい。
アキノは随分と変わってしまった。中学に入るとアキノはときどき、親にも黙ってバレエ教室を休むようになっていた。それでも朝になって教室で会うと特に気持ちにブレた様子もなく「おはよー」なんて言ってくるし。ああ、なんかちょっと疲れたりどこかを痛めたりしてるのかなー、くらいにおもっていたら、ある日アキノはバレエをやめてしまった。
「親が好きでねー、無理やり踊らされてたんだよ」
なんて朗らかに言うアキノ。せいせいしてんなよ!
「別に無理やりでもいいじゃん、うまいんだし」
「やだよ、わたしだって一人の人間なんだし」
あ、そう。
ということでわたしは一人バレエ教室に取り残された。いくら脚を上げようとくるっと回ろうと上手くはなれなかったので、高校に進学したタイミングで教室に通うのをやめたわけ。
なんてことがあったって、アキノはずっと友達だ。でも、舞台上で光っていたころの憧れに似た気持ちはないかも。でもそれって友達としては健全な変化だよね。それにあのころのアキノは思い出補正ってやつでかえって輝きを増してたりして。
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