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七月の午後六時はまだ明るい。沈みゆく太陽が照らし出す夕焼けの赤と、名残を惜しむ青が混ざり合って、得も言われぬグラデーションを彩っている。
「綺麗だねえ」
南は目をすがめて口元をゆるめているが、僕の気持ちは沈んでゆくばかりだ。
心残りのように赤にしがみつく青が嫌だ。なんでこんなに青を厭うのかわからない自分が嫌だ。どうしてなのかを思い出そうとすると、こめかみのあたりがじんじんするので、眉根を寄せて額に手をやる。
「樋村」
ぽつり、と。南がこぼれ落ちるように呟く。
「無理していいものを描く必要無いんだよ。展示会は全員参加必須じゃないし。わたしたちは一年生だから、まだあと二回チャンスはあるし」
その言葉に、痛みが胸にまで落ちた気分になる。
違う。違うんだ。受賞を狙って最高の青空を描こうとしているんじゃない。ただ描けないんだ、単純に。理由もわからずに。
それを音にして南に伝えようとした時。
「ゆうとーーーーーっ!!」
頭上から僕の名前を呼ぶ高い声がして。
白い翼を背に生やした少女が、空から僕目がけて落ちてきて。
どすん、と。衝撃とともに、彼女と僕はもんどりうって道路にひっくり返った。
「ゆうと! ゆうと! 会いたかった!」
七、八歳くらいのその少女は僕の首にしがみつき、涙声で叫ぶ。かたわらで南が目を点にして棒立ちになっているのがわかる。商店街を行き交う人たちの視線を一身に浴びているのもわかる。
「ま、待って。待って。僕はたしかに悠人だけど」
ゆうとを連呼するこの少女を放っておいたらどうしようもない。近すぎるこの距離をなんとか離そうと、少女との間に手を入れながらたずねる。
「君は誰?」
問いかけに、少女はまだ濡れたままの目をきらきら輝かせ、歯を見せて笑った。
「メイ!」
その拍子に、ずきりと頭痛が増してかがみ込む。フラッシュバックする光景。憎たらしいくらい太陽がまぶしい青空。対称的に地面を染める赤。動かない誰かの小さい手。
「樋村、大丈夫?」
相当ひどい顔色をしていたのだろう。さすがに南も不安げにひざをつく。額に噴き出した汗をぬぐいながら、「大丈夫」と応えた。
「なら、いいんだけど」
南はまだ不安げな表情をしながら立ち上がり、それからいつもゆるやかにカーブを描く眉を、珍しくつり上げて、メイと名乗った少女を見下ろす。
「それで、あなたは誰? その羽根は本物? 樋村の何なの?」
口調に棘がたっぷり仕込まれている。女の嫉妬は怖い。相手は子どもだというのに。
そんな南のやきもちにも気づいていないのか。少女は満面の笑みで挙手する。
「メイはメイ! 天使のたまごだから羽根はほんもの! メイはゆうとのだいじなひと!」
「……そうなの?」
南が僕に振り向く。逆光でどんな顔をしているか見えないのが怖い。僕は、全力で首を横に振った。こんな子は知らない。そもそも、天使のたまごって何なんだ。
(本当に、知らない?)
またずきりと鈍痛が襲う。
『メイはゆうとがだいじ! ゆうともメイがだいじだよね!?』
その無邪気な顔に、見覚えがあるのは、本当に気のせいなのだろうか。
「とにかく、目立ちすぎるわ」
南が周囲の目を気にしながら、メイを僕から引きはがす。
「樋村の家に行こう」
その言葉に、僕から離されてぶんむくれていたメイが、またも笑顔を輝かせた。
「ゆうとのおうちに行けるの!? みんなで!?」
「みんな」
棒読みで発しながらメイを見る。そして南を見る。南は、自分も頭数に入れてもらえると思わなかったのだろう。ほんのり頬を紅潮させて。
「ま、まあ、こんな小さい子を男子高校生とふたりきりにさせるのは、心配だからね」
僕としては小さかろうがそうでなかろうが、女子ふたりを自分の家にあげることのほうが心配なのだが。
「わーい! ゆうとのおうち! みんな一緒!」
僕のそんな憂慮も知らず、両手を挙げてぴょんぴょん跳ねるメイの手を引いて、僕らはその場を離れるのであった。
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