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「メイ!?」
南が慌てて席を立ち、メイのもとに駆け寄る。頭を打っていたらおおごとだ。僕もふたりのかたわらにひざをつく。
頭に衝撃は無さそうだ。だけどメイは、突然高熱が出たかのように苦しそうにしながら、
「ゆう……と」
とちいさな手を伸ばす。
「遊園地……みんなで……たのしく……」
その言葉と、伸ばされた手。それをトリガーに、僕の頭の中でまたフラッシュバックが起きる。
憎らしいほどの青空。トラックのクラクション。血まみれのちいさな手。遊園地の約束。暗い部屋の隅で膝を抱えていた『あの子』。
「樋村」
南の方が僕より冷静だった。メイを抱き上げて深刻そうな表情で告げる。
「とにかくメイを休ませよう。お水と、戻すかもしれないから桶を用意して。ことがことだからわたしも今日は泊まる。親には上手く言うから」
そう言い切って、彼女は寝室へ消えてゆく。女子を家に泊めるなんて、両親が聞いたら卒倒しそうだが、僕一人では持て余して途方に暮れていただろう。今は南がいてくれることが何よりもありがたい。
それに、思い出したことがある。それを誰かに聞いて欲しかった。
交代でシャワーを浴びて、タンスにしまいっぱなしだった母のパジャマを着た南が部屋に入ってくる。彼女が自分の親に電話口で本当に上手く言うのは耳にした。
「どう?」
問いかけに、僕は首を横に振る。
メイは顔を真っ赤にしてぜえぜえと荒い呼吸をくり返している。タオルに包んだ氷のうを額にのせても、あっという間に溶けてゆく。
両親のベッドの上で、彼女を挟んで川の字になるように僕と南は向き合う。やましいことなんて考えている暇は無かった。
「……思い出したんだ」
ぽつりとこぼす僕に南が怪訝そうな表情を向ける。だけど、僕の続けた話に、彼女は驚きを顔に満たしていった。
「メイは、僕の幼なじみだった」
波原愛衣。それが彼女の「生きていた」頃の名前だ。
このマンションに引っ越してくる十年前、まだ築数十年のアパートに住んでいた頃のお隣さん。僕と同い年で、よく一緒に遊んだ。
だけど今思い返せば、彼女は家族に恵まれていなかった。母親は毎日派手に着飾り、若い男と出かけて。父親が酒瓶を割り怒鳴り散らすのと、『ごめんなさい』『もうやめて』と愛衣が泣きながら懇願する声が、毎晩のように壁越しに聞こえた。
見かねた母が、暗い部屋の隅で膝を抱えていたあざだらけの愛衣を、彼女の父親がいない隙にうちに連れてきて、ごはんを食べさせて、お風呂に入れてあげた。
『ゆうととおうちのひとたちは優しいね。だいすき』
一緒の布団にもぐり込んで、至近距離で向かい合いながら、愛衣は笑っていた。
『ゆうとのお嫁さんになりたいなんて言わない。ゆうとが幸せなら、わたしも幸せだよ。それでじゅうぶん』
だけど、神様なんていないんだ。苦しんでる子を助けてくれる存在なんていないんだ。
僕の父が僕と愛衣を遊園地に連れていってくれることになった、晴れ渡る夏の日。初めての遊園地に大はしゃぎの愛衣は、
赤信号を見ずに飛び出して。
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