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僕は今、白いキャンバスと向き合っている。
美術部の仲間たちが懸命に筆を動かす中、パレットに手を伸ばすこともできずに、ただ椅子に座り、膝に手を置いて。
やがて部活終了を告げるチャイムが鳴り、ほかの生徒はめいめいに片付けを始めた。
「ひーむらっ」
僕の視界の端で揺れる黒髪。泣き黒子のある垂れ目を親しげに細めてのぞきこんでくるのは、クラスメイトの南芹乃だ。クラスでも目立たない部類に入る僕に逐一かまってくる理由は想像がつくが、僕のどこを気に入ったのかは、まったくもってわからない。
「樋村、今日も描けなかったの?」
南は僕のキャンバスに視線を転じてため息をつく。
今、美術部が取りかかっている展示会は、来月末だ。お題は「夏の青空」。なんということはない、基本的なテーマ。
僕は、それが描けない。
何故なのかは僕自身にもわからない。ただ、青空を脳内に思い浮かべようとすると、視界がぼやける。しくしくと頭痛がして、真っ赤な世界に閉じ込められることもある。青い絵の具を手にすることができず、見たくもなくて、ほとんどを捨ててしまった。
「高校生ごときがいっちょまえにスランプ気取りかよ」
聞こえよがしにそう揶揄する奴がいるのは知っている。そいつが、南が僕に興味を向けているのが気に食わないからだということも。
だけど、それを気にすることはない。南は一方的に僕に好意を向けてくるだけだ。鬱陶しいとか離れて欲しいとかは特に思わないが、必要以上に近づいてゆこうとも思わない。
だから僕は、無言でイーゼルを教室の隅に片付けて、帰宅の準備をする。南も鞄を持って、一緒に帰る気満々だ。
「一人で帰れるだろ」
学校から南と道を別れるまでは商店街を通る。このあたりは治安が悪いということも無いから、女子高生一人でもそうそう危険は無いはずなのに。
「製作に悩む部活仲間の相談に乗ってあげようっていうの。感謝なさい」
そう言ってはにかむ南も、たいがいお人好しだと思う。でも、厚意をむげにするほど僕も薄情ではない。
「途中までならね」
鞄を手にしながら返すと、南の表情がぱっと明るく輝いた。
その輝きがまぶしくて、僕にはつらい。描けない青空のようだから。
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