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パシャっと。
目の前で魚が跳ね、幸運にも古都はその瞬間を写真に収めることが出来た。
古都貴嗣古都貴嗣はあまり魚に詳しくないので魚種まではわからない。しかし、昨今河川の汚染や外来種の増加などの話は耳にするので、一見すると在来種っぽい小さな魚が跳ねる様子を見れたのはなんだか自然を感じられてとても良い。
古都は今日も気分赴くままに散歩をしていた。今日来ているのは家の近くにある河川の上流だ。昔飼っていた犬のサンタとよく来ていた、そして古都が気分のままに散歩をするようになったきっかけの河川のその上流。夏になりかけている6月上旬、古都は自然を感じたいと思い、足を上流に伸ばしてみたのだ。
なんだか6月にしては珍しい気がするくらいの十五時の晴れ。気温は28度。ジメジメしていてもう十分に暑い。
遠くの空には積乱雲と言わないまでも夏のようなもくもくとした雲があり、足元の草地にはヒメジョオンの小さく白い花が咲き始めている。
もう少しここら辺の自然をカメラで写そう。
古都は歩き出した。
河川とその周辺には様々なものが集まる。
大きな川の流れのその流線形、それに沿って咲き生きる生物、泳ぐ生物。それらを取る子供に釣る大人、一段上がってそれとは関係なしにグラウンドを駆ける野球サッカー諸々の少年少女とその保護者。
きっと開けたとこでは少し前のゴールデンウィークには若者がBBQでもしていただろう。
そしてその脇の道にはランニングをする人たち、さらに斜面があってその上の道では犬の散歩をする人も。
ここにもまた様々な物語が流れている。
古都はそれを感じながら、想像しながら写真を撮っていく。もちろんなるべく人は撮らない。なにがあるかわからないし、人よりも風景や自然の方が古都に写真を撮らせてくるのだ。もちろん、なにか奮い立たせるものがある時や頼まれれば人も被写体にする。
そろそろ夕方といった頃、なんとなく「もういっかな」となったので引き返すことにした。
そして、古都が歩きなれた近所の河川敷まで着くころには少しずつ空がオレンジ色になって来ていた。
最近知ったことなのだが、「褐色」という字は読み方によって意味が変わるらしい。
“かっしょく”であれば西の空に見える夕焼け空の一番明るいところの色を“かちいろ”と読むと東の空にやってきた夜の色を表すらしい。
河川敷に立って南向きに川を見ながら、古都はそんなことを思い出していた。昔の人ももしかしたらこの景色を見て一繋がりの空のグラデーションを同じ漢字で表したのかもしれない。推測だが。
もう少し光の恩恵を受けていようと思った古都は、河川敷の階段に座って今日撮った写真の整理を始めた。
少しそのような時間を取っていると、事件は起きた。
ドサッ
古都の右後方でなにか鈍い音がした。
それに驚いた古都が振り返ると、野球のユニフォームを着た人が倒れていたのだ。
古都よりも先にそれを見ていたランニングをしていた人がすぐにかけよる様子が目に移った。
えっ、と一瞬思ったが、古都もすぐに立ち上がってその場に駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
ランナーの男性と古都が意識を確認する。
見たところ、ユニフォームには近くの高校の名前が入っており、その高校の野球部であることがわかった。
古都とランナーの呼びかけにも答えられそうになく、ただ苦しそうに呼吸をしている。
異常なほど大量の発汗、眩暈のような表情。おそらく熱中症だ。
受け答えが出来なければ救急車を呼ばなくてはならない。
「救急を呼びましょう。」古都はランナーの男性にそう言った。
近くに陰のある涼める場所はない。階段を降りなければならないため、まずは通報だ。
「彼を見ていてください。」
そして、古都が電話をかけ始めた時、女性が犬と一緒に走ってやってきた。
「大丈夫ですか!?」
「熱中症っぽいです。」古都が伝えると、ランナーの男性が「すみませんがなにか飲み物をお願いできますか?僕のはもう残ってなくて…。」と女性に言う。近くにコンビニがあったはずだ。
「わかりました!」
女性はそう言うと犬を抱えて走り出した。
119。人生で初めてかけるが、冷静に、落ち着いて現状を伝えれば大丈夫なはずだ。
「119番、消防です。火事ですか、救急ですか?」
「救急です。」
「場所はどちらですか?」
古都は今の場所と目印を伝える。
「どうしましたか?」
「南高校のユニフォームを着た男性がランニング中に倒れました。おそらく熱中症化と思われます。」
「呼吸はしているでしょうか?」
「はい。荒くですが」
「意識はありますか?」
「意識はあるようですが受け答えは得られていません。」
「わかりました。あなたの名前と連絡先をお願いします。」
古都は個人情報を伝える。
「わかりました。救急隊が向かいます。」
「よろしくお願いします。」
電話が終わるとすぐにランナーと彼を運ぶことにした。
河川敷の北側は階段を降りると日陰になっているのでここよりはよっぽどいいと思うので彼を運んだ。
日陰で見るとよくわかるが彼の顔は真っ赤になっている。これはもう熱射病と言ってもいいぐらいだ。
運び終わるとすぐにさっきの女性がスポーツ飲料を買って戻ってきてくれた。
「買ってきました!」
「ありがとうございます、お代は後で渡します」
「大丈夫ですよ、困っているなら協力です」
急いでくれたのか彼女も息が切れている。
ありがたくいただいたスポドリを横になっている彼にあげてみるが、やはり受け答えは出来なそうで、スポドリも飲めそうにない。重症だ。
少しすると彼の呼吸は多少ましになっていた。だが、熱射病はまだ油断ならない。少なくとも見守ることしかできない僕らが次に何をすべきか話したり調べたりしていると、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。
「自分、行ってきます。」
といってランナーの男性がサイレンの方へ走っていった。誘導してくれるようだ。
そして、救急車が到着し、すぐに彼は救急車に乗せられた。
その後は状況確認などが少しあり、運ばれていった。
古都が一連の緊張から解放されて溜息をつくころにはもう日は沈んでいた。
協力してくれたランナーの男性と犬の散歩中だった女性と彼の無事を祈り、解散。古都も帰路に就いた。
彼と再会したのはそれから十日後、とかだった。
古都は鳥を見たくなっていつも行く河川敷に来ていた。なんで鳥を見たくなったのかはわからないが、なんか最近町中で見かけないかもなあ、と思って意識的に探してみることにしたのだ。当然、カメラを首から下げて。
河川敷の一番上の段を歩いていると向こうからランニングをする人が走って来た。別に何人もいるので古都は全然気にしていなかったのだが、顔が認識できる距離に来た瞬間、古都は、そして向こうも気づいた。
「あ」という声も同時に出た。
走りやすそうな格好でランニングをしていた彼は古都の前で立ち止まると
「この前助けてくれた人っすよね!」
と溌溂と申し訳なさの混じった声で言って来た。
「あ、うん。大丈夫だった…?」
「やっぱそうですよね!ほっっっっとうにありがとうございました!!!」
やはり野球部。声がそのままだ。
「結構ヤバかったんすけど、元々体力はあったんで一週間くらい入院して復活しました!」続けて彼は言った。なんとか元気になったようだったので安心した。
「そっか、よかった。南高校の野球部なの?」
「はい!今三年で、もうすぐ甲子園です!」
「お、甲子園行くの?凄いじゃん」
「あ、いえ、まだ予選なんすけど、絶対行きたいなって」
「いいね、頑張って」
なんとなく、彼には大きな何かを感じる。頑張ってほしい。
「ありざっす!」
彼が元気にそう言い、別れの挨拶が口から出そうになった時、彼の後ろから女性の声がかかる。
「あ!カイト!また走ってる!」
カイト、というらしい彼が勢いよく振り返る。
「アイナ!」
なんというか、ベタな予感がする。古都は冷静だが、心の内ではなにかに期待していた。
「さっき部活してきたばっかでしょ?今日はもう休まないと、また倒れるよ?」
「わ、わかったから・・・。」
こうしてなぜか古都も巻き込まれ、三人で休むことに。まあ理由は後でわかる。
階段に座って話を始めた。
彼は金森海飛金森海飛といい、南高校の野球部三年。今年こそは甲子園に行く!とみんなと誓い、練習に励むも、本人は応援席。だが、いつでも交代できるように、みんなも全力なら!と自分は人一倍頑張っていた。そして、この前倒れた。
南高校野球部は少し前までは強豪校だったらしく部員数はかなり多い上にしっかりと強い選手も集まる。その中で主力になるのは確かに大変かもしれない。
「そっか、頑張り屋なんだね、金森くんは。」
「うす、最後の夏なので…。」
「でもまた倒れたら僕も心配だな、体は一生もんだし」
「ですよね!ほんと、気持ちはわかってるつもりだけど、」
そう言って海飛くんのことを心配そうに見つめる彼女は湯川藍奈湯川藍奈、海飛くんと同じ南高校の吹奏楽部のトランペットパート。なんというかこれまたベタ展開。だが、彼女の話によれば南高校はまだ甲子園に行ったことは無く、吹奏楽部内部でも期待する人とそうでなくコンクールに打ち込みたい人で色々あるようだ。
その後は古都についても質問をされ、あれこれと話したり、古都の写真を見せたりした。
古都は近所の人間なのだが、電車を乗って通う少し離れた私立高校に通っていたので彼らの高校の内部のことは知らず、なかなかにリアルな高校生の話が聞けて楽しくなっていた。
そして話題はやはり野球部の話へ。
「海飛くんはいつから野球やってるの?」
「親が昔野球やってたからか物心ついた時にはボールとかで遊ぶのが好きだったみたいです。で、小学に上がったタイミングで地域のクラブチームに入りました。そこからずっとっす。」
「海飛はほんっっっとうに野球のことしか考えてないんですよ!古都さん!」
「なにかに打ち込めるってすごいことだよ、誇っていいと思う。」
「そうなんですけど・・・」
「頑張りすぎてこの前ほどじゃないけどよくケガとかするんですよ」
「そうか、まあ、程ほどにね…」
「骨折何回したんだっけ!?」
「今のところ十回・・・。」
「そりゃすごいね、体は本当に大事にしてね」
「はい、でも野球を本気で出来るのももう最後かもしれないんで、今は無茶してでも頑張りたいんです。」
古都と藍奈はなにも言い返せなかった。
「で、でも大学とかでも出来るんじゃない?」古都はなんとか繋ぎ止めたかった。
「そこも問題なんすよ、本当に今まで野球しか見て来なかったんで、勉強は・・・。高校受験も本当はもっと野球の強いところに行きたかったっすけど、成績が届かなくて…。今のとこも結構強いんすけど、正直・・・。」
「そっか、卒業後はどうするの?」
「それが、なにもないんす。逆にどうしたらいいと思います?」
「ちょ、ほぼ初対面の人に何聞いてるの、海飛も受験して大学行くよ!」
「え、だから俺は無理だって・・・」
「私が勉強教えるから!」
「どう思います?古都さん」
「いいんじゃない?大学。楽しいよきっと」古都は大学進学後のことを指して言ったが、それ以上にこれからの彼らのことを想像してそう言った。
「えー、やっぱ行くべきっすかね」
「大学生活はかなり有意義だよ本当に。」
「じゃー、頑張るかー」少し項垂れながら海飛くんが言うと
「頑張ろうね!」表情以上に入れしそうな藍奈さんがそう言った。
「とりあえず、まずは甲子園目指して練習だ!」
「でも今日はもう終わりだよ、休まないと」
「でも、部活時間短すぎて足りないよ、」最近の部活動は色々な側面から短縮化が進んでいるようだ。だが、きっと彼のような学生もたくさんいるのだろう。
そして、その流れで海飛が古都にあるお願いをした。
「あと古都さん、お願いがあるんすけど、」
「なに?」
「次の試合、見に来て欲しいっす。そして、みんなの写真を撮ってほしいんすけど・・・」
「いいけど、なんで?」
「実は俺が倒れる前から古都さんのこと知ってたんすよ、たまに川で写真撮ってましたよね?」
「うん、撮ってた」
まさかしっかりと見られていたのか。
古都は他人から見れば自分の風景の一部、という風に思っていたのでなんだか不思議な感覚だ。
「その姿に惚れてたんす!なんか、凛々しくてかっこいいなって」
「それはありがとう。」このようなことを言われるのも初めてだ。
「それで、俺たちの最後の闘い、残してほしいんすよ。」
「うん、なるほどね。」
古都は少し考えた。普段は人を被写体にはしないのであまり撮り慣れてはいない。ましてやスポーツ。動いている物はまた技術がいる。
だが、古都は彼らの物語に心動かされていた。
「わかった。僕でよければ」
「ありがとうございますっ!」
それからまた少し。七月に入ってだんだんと気温も上がり、セミのボルテージも上がってきている今日。古都は初めて来る駅で電車を降りた。
いつもは気分気ままに知らない駅で降りたり降りなかったりするのだが、今日は目的があってここに来た。
改札を出ると知っている人が手を振っていた。
「ごめん、お待たせ。」
「いえ、私も今着いたとこです」
今日は海飛くんの試合、案内人に藍奈さんが候補したのだ。
「ここら辺で普通の試合をするならあそこなんです」
「何回も来てるの?」
「はい。海飛が試合の度に」
そう言う藍奈さんは少し下を見ながら微笑みを浮かべる。
今日は古都も気合を入れてきた。カメラもいつも使っている風景用のものではなく、動きに強いカメラにしてきた。海飛がこんな見ず知らずの人間にお願いしてきた、さらに「みんなの写真」と言った。きっとそういうことだろう。海飛はもう覚悟しているのだ。
「今日の対戦相手はどんなとこ?」
「あー、私立の高校なんですけど、ザ・文武両道!って感じのところでそこそこ強いですね、」
「なるほど、頑張ってもらわないとね」
「はい。私も甲子園で演奏したいですし」
そうこうして二人は目的地へたどり着いた。
駅から少し歩いたところにある野球場。誰でも入れるようになっており、スタンドに行くとちらほらと近所のおじさんたちが見に来ていた。
球場から見える青空、その遠くには積乱雲が立ち上がっており、その真ん中には一直線の飛行機雲。いかにも夏といった感じだった。
早速古都と藍奈は南高校の応援席に向かう。
藍奈は保護者や他の部員にもそこそこ知られているらしかった。そしてそこへ海飛がやって来て古都の紹介をする。話はすんなり通った。
試合は南高校の攻撃から始まった。
古都は選手たちをカメラで捕らえることはもちろん、応援席の人たちの様子もカメラに収める。海飛の姿も。
試合はなかなか進まず、4回裏で相手が一得点。その後はどちらも譲らず最終回。
応援席も、ベンチも、選手も今日一番の声で気合を入れなおす。
そんな最終回、すでに2アウトが取られている中、南高校の4番バッターが今日イチの当たりを打ち放つ。
カキーーーン
漫画のように擬音がはっきりと浮かんだ。誰しもが一瞬、本当に一瞬だけその音に聞き惚れ、すぐに歓声をあげた。
ウオーーーーーー!!!!
放たれたボールは放物線を描き、そのままホームラン。
南高校は一気に2点を取り、逆転した。
古都は写真を送るために海飛連絡先を交換していた。
最後の試合が終わった次の日、古都はデータで写真を送った。お礼のメッセージが来てそれからやり取りはなかったが、ある日海飛からメッセージが送られてきた。
「ちょっと話したいっす。あとまたお願いが…いいすか?」
指定された場所は海飛が倒れた日に古都が赴いたいつも行く河川の上流。そこにあるグラウンドだ。
正午ごろにカメラをぶら下げた古都が辿り着くと、ちょうど少年野球の試合が終わったところだった。
そして、その中に海飛の姿はあった。
古都が下に降りていくと、それに気づいた海飛がやってきた。
「古都さん、わざわざすみません」
「大丈夫、散歩の範疇だよ」
「少し待っててもらえます?」
そういうと海飛はチームに戻り、子供たちの相手を始めた。そしてそこには飛び切りの笑顔があった。
「古都さん、お久しぶりです」
背後から声がかかった。振り返ると藍奈がいた。
「居ると思ったよ、海飛くんが頑張ってるなら」
「やっぱ、ばればれです?」
「まあ、わかるよ、僕は。」
「でも、あいつ鈍感なんですよね、」
「しょうがないよ、目の前のこと、野球でいっぱいみたいだし」
「ですよねー、ま、全力なところが良いんですけどね、」
あの日の試合は結局最終回裏で相手高校もホームランを放ち、2点を取り返した。
そして、最終的に2対3で幕を閉じた。
誰よりも悔しそうな表情をしていたのは海飛だったが、涙は堪えていた。
「海飛、古都さんの写真みて泣いてましたよ、」
「そっか、それだけ本気だったってことだよね」
そんな話をしていると、笑顔の海飛がやって来た。
「すみません、お待たせして。」
「いや、大丈夫だよ、で話って?」
「俺決めました、こいつと同じ大学行って、教員になります!」
海飛はそういうと古都の隣にいた藍奈の腕を優しく引っ張り海飛の隣に並ばせた。
「お、先生、いいね」古都は思わずにやける。
「そんで、次は俺が野球部を甲子園に導きます!」
「うん、とてもいいと思うよ、応援しているよ。」
彼は色んな立場の努力をきっと誰よりも理解している。もしかしたら導く立場というのは彼が考える以上に適任なのかもしれない。
「あ、あとこの少年野球チーム、俺がお世話になったとこなんすけど、ここのコーチもやることになりました!」
「ちゃんと勉強と両立してよね、次の試験で変な点数取ったら監督に言っとくから」
「えー、じゃあがんばるしかないなー」
「ほら、あと古都さんわざわざ呼び出したんだからちゃんと言いなよ」
「あ、はい、実は今日、この子らの引退試合だったんですよね、それで、また写真をお願いしたくて。あとは・・・」
写真のお願いなのはあの後のやり取りで知っていたが、どうやらここは海飛にとっても思い出の場所だったようだ。
海飛の父は亡くなっているらしく、その父が幼いころに野球をしている海飛の姿を収めたのがここらしい。
なので、決意を決めた海飛を同じ画角で撮り、仏壇に飾りたいそうなのだ。
古都は渾身の一枚を撮る。その姿は海飛がバットでボールを打つ瞬間。
藍奈がボールを投げ、それを海飛が打った。
そのボールは綺麗な流線形を描き、きっと積乱雲の向こうまで届いた。
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