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第2話:首都の夜(6)
「お前は、先ほど〝がまんできない〟と言ったが、何が〝がまんできない〟のだ?」
「そ、それは……」
〝催情精油〟で頭が沸騰状態になっていたエアリスが思わず口走った言葉を覚えていて、それを今訊いてくるとは、なんという意地の悪さだろうか。エアリスは唇を噛むと、キッとユージャーを睨みつける。
だが、ユージャーは平然とその視線を受け止めただけでなく、また執拗に耳たぶを甘噛みしてくる。
「あふっ……お、お許しくださいませ……わたくしはそんなこと……」
エアリスの〝怒りの仮面〟は、あっけなく剥がされ、弱々しく許しを乞う声に変わる。
「はて?私の聞き間違いであったか。お前はそんなことは言っていないと申すのだな」
「は、はい……」
「主人に嘘をつくとは、いけないメイドだ」
ユージャーの片手が、エアリスの下腹部に伸ばされた。
「わたくしは嘘など……あっ、だめ……そ、そこに触らないで!」
切迫した声を上げると、エアリスは必死に身を揺すって、男の腕を振りほどこうとした。
しかし、ユージャーは片腕で余裕をもってエアリスの動きを封じると、もう片方の手でその下腹部を探る。
「ここをこんなに濡らしたまま、仕事に戻るつもりなのか」
「は、恥ずかしい……」
エアリスは眼に涙を浮かべ、蚊の鳴くような声で言う。
「ここを、どうにかしてほしいんだろう?」
憂いの翳の宿った、睫毛の長い眼を伏せると、エアリスは僅かに頷いてみせた。
「それでよい。素直さは、良いメイドの必要条件だ」
「きゃっ」
ユージャーは軽々とエアリスを抱え上げると、寝台の上に無造作に放り投げた。
「ナターリヤについて語ったお前の言葉は悪くなかった。褒美を取らそう」
ユージャーは、ボタンを引きちぎるようにしてワイシャツを脱いだ。
寝台の上に物のように手荒く放り出されたことを恨む様子も見せず、エアリスは男の光り輝くような上半身を、潤んだ眼でじっと見上げていたが、やがてユージャーが自分の方へ身を屈めてくると、コクッとかわいい音を立てて唾を呑み込んだ。
「わたくし、嫌いになってしまうかもしれませぬ」
ユージャーの股間に埋めていた顔を上げると、エアリスは舌でそっと自分の唇を拭った。
傍らのテーブルに置かれたランプの灯りに照らされ、エアリスの紅い唇がテラテラと濡れ光っている。
いや、唇だけではない。四つ這いになっているエアリスの身体全体が、薄い脂の膜に覆われたように淡い光をまとっているのだ。
「ほほう」
上体を起こすと、ユージャーはエアリスの顎を右手の人差し指一本で持ち上げるようにして、息がかかるほど顔を近づける。
「お前をいつもいじめる主人が嫌いになったか」
性的に満たされた女特有の、じっとりと色気が滲んだ眼で、エアリスは微笑む。
「いいえ。ユージャーさまが……ではありませぬ。これからユージャーのお妃になられる御方のこと。女は業の深い生き物でございますゆえ」
「それは困ったな」ユージャーは涼しい顔で言う。「〝妃選び〟が終わった後、お前には妃付きの侍女になってもらうつもりでいるのだが……」
エアリスの切れ長の眼が、微かに光った。
「ということは、お妃の第一候補は――」
「いや、そんなに簡単な話ではない。お前をナターリヤ付きのメイドにしたのは単なる偶然だ。ただ……」
ユージャーは腕を伸ばし、エアリスの髪を撫でる。
「〝偶然〟が常に〝運命〟とは限らぬが、〝運命〟はいつも〝偶然〟の仮面を被ってやってくるものだ」
エアリスは、ユージャーの言葉の意味を考えるように眼を閉じた。
※
バシッ、
バシッ、
バシッ、
『まったく、さんざん手こずらせやがって!何が義賊“紅狐”だ?!気取ってんじゃねえよ、この女!』
牢の中。縛られて床に正座させられている女囚人の背中を、獄吏が刑罰用の棒で打ち据えている。
獄吏は、不摂生な生活を送っているらしく、腹の突き出た締まりのない体つきだが、膂力はありそうだ。豚のような金壺眼には、いかにも囚人を責め苛むことに悦びを感じていそうな、血走った色があった。
『おいおい、あまりやりすぎると、死んじまうぜ』
もう一人の、ひょろりと背の高い獄吏が、泥鰌髭を撫でながら言う。
『こいつには、さんざん煮え湯を飲まされたからな。こうでもしなきゃ、腹の虫がおさまらねえ。――おい!誰が寝ていいって言ったよ?』
ついに耐え切れず、前のめりに倒れた女の髪を、太った獄吏が摑んで無理やり引っ張り上げる。それでも、女が起きないと見ると、桶の水を叩きつけるようにその全身に浴びせかけた。
『グッ、ゲフッ……グホッ……』
女は蝦のように身体を縮めて、激しく咳き込む。
獄吏は女の腹を蹴って仰向けにさせると、胸に足をかけ、グリグリと踏みにじる。
『ううっ…ああっ……』
女の柳眉が激しい苦悶に歪む。
『まあ、あくまで口を割らないならそれでもいいぜ。どうせ、お前は明日には処刑されるんだからな』
獄吏の高笑いが、石造りの牢の天井に反響する。
女は切れ長の眼をカッと見開くと、血を吐くような声で叫ぶ。
『殺せ!弱い者から奪い取ることしか能のない豚どもめ!』
『こいつ……まだこんなことをほざきやがるのかっ!俺は豚と呼ばれるのが一番嫌いなんだよ!』
逆上した獄吏が女を打ち据えようと、再び棒を振り上げた時、涼やかな声が響いた。
『棒で打ったり、水をかけたり、なんと無粋なことだ。スヤバード王国はいつから淑女を遇する法も知らぬ野蛮国に成り下がったんだ?』
通気の悪い牢内には、拷問にかけられた囚人の血や垂れ流された排泄物、黴のにおいなどが入り混じった、一種独特の異臭がこもっている。
その異臭の中に響き渡った、軽く笑いを含んだような気品ある声音は、まるで長屋のドブにダイヤモンドを落としたような、強烈な不調和を醸し出した。
『ハア?』
何か面白い冗談を聞いたぞ、という顔で振り返った二人の獄吏が、次の瞬間、同時に跳び上がった。慌てて直立不動の姿勢をとり、敬礼する。
『こ、これはユージャー王子!』
※
(わたしがユージャーさまに命を救われたのも、単なる〝偶然〟なのでしょうか……)
エアリスは、その言葉を口には出さなかった。ただ、静かに顔を伏せると、ユージャーの乳首に舌を這わせ、それから、そっと歯を立てた。
「何をする」
「エアリスは、いけないメイドでございますから」
「またお仕置きをしてほしいのか」
「まだ夜は長うございます、ご主人さま」
「困ったやつだ」
傍らのテーブルの上のランプを取り上げると、フッと吹き消した。
「あっ……!」
やがて、どこかねっとりとした部屋の闇の中に、すすり泣くようなあえぎ声が高く低く、漂い始めた――。
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