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第2話:首都の夜(10)
「〝隻眼のザロフ〟ともあろう者が小娘一人を相手に手こずるとは……」
「そう言われちゃあ、一言もねえ。まったく面目ねえこって……」
片膝を立てた姿勢で屈んでいるザロフは、ふくらんだ布袋をうやうやしく相手の前に差し出した。
相手は紗の帳の中にいる。照明と言えば部屋の隅に燭台があるばかり、闇の中にぼんやりと相手の輪郭が浮かび上がる程度だ。
「俺の商売は信用が第一だ。こいつはお返しいたしやす」
紗の隙間から、指にいくつも大きな宝石が嵌まった白い手が伸びてきて、ザロフの捧げ持つ布袋を取ろうとした。
「ただ――」
手が、ぴたりと止まる。
「信用というのは、仕事を請け負う俺だけじゃなく、そちらさんの方にも必要ではねえでしょうかね?」
「妾に何か不服があるような口ぶりじゃな?」
「不服だなんて滅相もありません。俺が言いてえのは、あのナターリヤって娘、最初聞いていたのと、どうやら話が違うようで……」
「剣の心得があったという話か?」
ザロフは苦笑した。
「あんなもの、所詮はお嬢様のチャンバラごっこ。そうではなくて――」
「なんじゃ。言いたいことがあるならはっきり申せ。妾は、持って回った物言いが一番嫌いなのじゃ」
「わかりました。単刀直入に申します。あの娘――魔女じゃねえんですかい?」
紗の向こうで、闇が凝った。ザロフが左頬の傷を歪めて、ニヤリと笑う。
「ばかな!クオニア公国の公女が魔女などと……いや、待て。アルファルト公爵はナターリヤとその母親である第一夫人を疎んじていたと聞く。原因は……それか?!」
「俺は難しい政治の話はわからねえし、興味もねえ。でも、魔女を殺すとなりゃ、この報酬じゃ割に合わないんですよ。それともう一つお耳に入れておきたいことが――」
「聞こう」
「俺たちが連れ去る寸前だったナターリヤを奪ったのは誰だとお考えで?」
「城兵ではないのか?」
「いいえ、〝銀の狼〟です」
「〝銀の狼〟?最近、巷で評判の義賊とやらか?そんな者がなぜ……?」
「ちょっと侍女の方のお耳を拝借できねえでしょうか。壁に耳ありと申しますからなあ」
相手は傍らの者に何か小声で命じた。紗を掲げて、侍女らしい女が出てきて、ザロフの前まで来ると、前屈みになった。
仕事柄、感情を表に出さない訓練を積んでいるはずだが、その耳元にザロフが無遠慮に口を近づけると、生理的な嫌悪感からか、その眉が微かにしかめられた。
ところが、次の瞬間、その眉がハッと開かれた。慌てて身を起こすと、紗の中に戻り、今度は人影の耳元で囁く。
「な、なんだと!〝銀の狼〟の正体が……?!めったなことを申すと、たたでは済まんぞ!」
「もちろん、根拠はあります。以前、〝紅狐〟という二つ名の盗賊がおりやした。義賊気取りで一時はかなり派手にご城下を荒らし回っていたんですが、ご存知ですか」
「そういう者がいたのは聞き及んでおる。ただ、捕まって処刑されたはずではないのか」
「表向きはそうなっております。厳しい拷問によって獄死した、とね。でも、もう一つ、別な噂があるんですよ」
「別な噂……だと?」
「この女、実は生きていて、今は〝銀の狼〟の片腕となっているらしい、と――」
「まさか……そんなことが……?!」
「蛇の道は蛇って言いましてね、俺らの間ではよく知られた話なんですよ。そうです、獄死したことになっている女がピンピンして、義賊の片腕になっているなんて、どう考えてもおかしい。そんなことが可能だとしたら、よほど身分の高い御方が関わっておいでのはずだ。そして、おそらくその御方こそ、〝銀の狼〟の正体――」
甲高い笑い声が上がった。
「ザロフ、その金は返すには及ばぬ。面白い話を聞かせてくれた礼じゃ」
「恐れ入ります」
ザロフは一度うやうやしく一礼してから、布袋を懐に入れる。
「引き続き、ナターリヤの身辺を探れ。もしあの娘が魔女である証拠を摑むことができたら、この倍の報酬を与えよう」
「は!ありがたき幸せに存じます」
ザロフは平伏した。紗の中で人影は立ち上がり、侍女を従えて立ち去る。
(俺にもようやく運が向いてきたらしいな……)
平伏したザロフの顔に、不気味な隈取のような笑みが広がった。
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