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第1話
「ジーニアスの舞踊?」
ふと目に入った報道記事の見出しの一部を、フレイザーは声に出して読み上げた。毎朝の日課にしているデジタル新聞のチェックをしていたところ、太字で書かれていたその文言がひときわ目立っていたのだ。
――ジーニアスの舞踊、少女が五百人を救う。
記事の本文に素早く目を走らせて、フレイザーは中身を読む。それは先日、第八ソーラーシステム内における反抗惑星制圧作戦において、五百人余りが乗艦している宇宙戦艦を、十八歳の女性軍人が敵の不意打ち攻撃から護りきった、という内容だった。宇宙戦闘機F6S4に乗ったその女性軍人の見事な活躍ぶりを、メディアは「ジーニアスの舞踊」と名付けて、やけに大げさに称えている。
(少女、と呼称するあたりは若干胸糞が悪いな)
年齢が若かろうが女性だろうが、逆に老人だろうが男性だろうが、制服を着て軍務に就いたならば誰もが等しく「軍人」だ。それなのに「軍人」ではなく「少女」という単語をわざわざ見出しに使うあたり、メディアがどんな意図をもってこのニュースを伝えたいのかが想像できて、フレイザーは気分が悪くなる。
しかし報道機関の姿勢はともかくとして、「ジーニアスの舞踊」という単語はやけにフレイザーの頭の中に残った。
フレイザー・ベリンガム、二十六歳。その社会的身分は、「第一銀河守護星軍、第七ハウス第四恒星星団、第三SS部隊第八宇宙団飛行隊所属、一等星大尉」というものである。この長すぎる肩書は、民間人には無理でも守護星軍の軍人ならば誰もがみな必ずそらんずることができるものだ。
守護星軍とは、各国または各共同体が独自に持っている軍隊とは異なり、銀河全体の治安維持と紛争解決を担う組織である。特定の教育機関を卒業したエリートのみが入れる軍隊であり、そこに所属しているという箔は並大抵のものではない。ゆえに守護星軍の軍人たちはこの驚くほど長い肩書を、己の誇りにかけて決して詰まることなく名乗り合う。
――シュイン。
フレイザーが朝課のニュースチェックを終えた頃、待機室の自動ドアが開く音がした。同僚が来たか、と思ってフレイザーがドアの方に視線を向けると、そこには見知った顔があった。
「よっ、フレイザー」
「お前、なんでここにいるんだ」
それはリース・スペンス。長いので肩書は省略するが、フレイザーと同じ所属の、しかしフレイザーより一段階階級の劣る、二等星大尉だった。
「今日は非番のはずだろうが。わざわざ制服を着込んで休暇をとるつもりか」
「わけあってさ、別の奴と非番を交代したんだ」
「わけ?」
「なあ、入っていいぞ」
サラサラとした少し長めの銀髪のフレイザーと異なり、見事なブロンドの髪の毛を短く刈り上げているいかにも軍人らしいリースは、開いたままだった自動ドアの向こうへ人懐っこい笑顔を向ける。すると、リースの背後から一人の少女が静かに待機室内に足を踏み入れた。
「紹介するよ。彼女はエーファ・ベルツだ」
「初めまして、ベリンガム大尉。第三SS部隊第九宇宙団飛行隊所属だった、三等星少尉エーファ・ベルツです。本日よりこちらの第八宇宙団飛行隊所属となります。よろしくお願いいたします」
敬礼をする目の前の女性を見て、フレイザーは瞬きを繰り返した。
リースが紹介したその女性軍人は、今し方デジタルニュースの記事で名前を見たばかりの人物――「ジーニアスの舞踊」をやってのけた本人だった。記事に本人の写真はなかったが、「エーファ・ベルツ」という名前と見た目の若さからして、間違いなく本人だろう。
「エーファ・ベルツ……先日、宇宙戦艦を一人で護りきったのはお前か」
とても丁寧とは言いがたい、少し棘のある声でフレイザーは尋ねた。初対面だが、自分は大尉で彼女は少尉だ。階級が下の者に対して雑な態度になるのは、軍人にとってはいたって普通のことだった。
「正確には、一人ではありません。ユニバースダストの味方が何名もいました」
エーファはフレイザーの見定めるような少しきつい視線に臆することなく、淡々とした声で答えた。
ユニバースダストとは、宇宙で戦死した軍人を指す言葉だ。どのような最期を迎えたかは問わず、ただ宇宙で死に、広大な宇宙の中をただよう塵のひとつと化した同胞に敬意を込める表現である。
つまり、彼女一人ではなく、戦士した何人もの味方がいたからこそ、宇宙戦艦は落ちずにすんだのだろう。そのあたりの仔細は、ニュース記事には書かれていなかった。エーファただ一人にすべての手柄があるかのように脚色して記事を書いていたメディアの見え透いた思惑は、やはりフレイザーの胃をぐつぐつと不快にさせる。
「それで、なぜベルツ少尉をリースが連れているんだ」
しかし、報道機関の思惑も姿勢も、今は関係がない。突如目の前に現れた「ジーニアスの舞踊」の踊り子から、フレイザーはリースへと視線を移した。
階級はフレイザーの方が一段階上がっているが、二人はシャーラヌス軍学校からの友人だ。腐れ縁と言ってもいい。真面目で堅く、融通のきかない短気でぶっきらぼうなフレイザーと、いつもおちゃらけて人懐っこいリースはどちらかというと正反対の性格だ。しかし、互いの長所と短所をうまく補完し合えるところが、同じ気質の友人とつるむよりも気楽で、気付けば人生の半分以上を一緒に過ごしていた。
「それがさー、エーファちゃんってば、第九宇宙団で謹慎処分にされたらしくってさ」
「謹慎処分?」
「おかしいと思うだろ? フレイザーも〝ジーニアスの舞踊〟の件は知っているみたいだけどさ、それだけの活躍の直後に謹慎だぜ? 意味わかんなくね? でさ、うちの隊長に掛け合ってみたら隊長も思うところがあったらしくてさ、あれよあれよと手続きして、第九宇宙団からうちに異動させたわけ」
「どういうことだ」
リースにではなくエーファの方に視線を向けて、フレイザーは問うた。すると、エーファは感情も抑揚もたいして見られない、定規で引いた一直線のような声で答えた。
「先日の第八ソーラーシステムにおける作戦それ自体に過失疑いあり。ゆえに調査結果が出るまで、関係者一同を謹慎処分とする。そう決定された次第です」
「作戦自体に過失?」
「な、おかしいだろ? 外部から見る分には、あの作戦にそんな過失があったとは思えないんだよなあ。だって、相手はわりと普通の反抗惑星だろ? 銀河全体の平和と秩序に協力しない惑星の軍事力を制圧する……俺ら守護星軍の本領発揮じゃんか。百歩譲って過失があったとしても、関係者を謹慎処分にする必要なんてあるか? 責任者だけでよくね?」
「お前、それを上官の前で言ってないだろうな。軍の裁定は絶対だ。それを簡単に疑う姿勢が昇格の妨げになっていると、自覚しているんだろうな」
フレイザーが咎めると、リースは両手を顔の横でひらひらさせて、気の抜けた笑顔を浮かべた。
「俺はフレイザーと違って、昇格にはあまり興味ないんだよ。階級が上がって昇進して責任を取る立場になるよりも、俺は一生現場の人間でいたいね」
「それで、ベルツ少尉はうちで飛ぶのか」
「それがさー、さすがに飛ばせるわけにはいかない、ってのがうちの隊長の判断だ。うちに異動させたはいいけど、作戦に従事させるのはナシってことだな。もう第八宇宙団の人間になったんだから、先の作戦の過失云々には関係ありません、って詭弁を通して謹慎はさせないけどな。そこでフレイザーなんだよ」
「は?」
リースの飛躍した弁に、フレイザーは思わず間の抜けた声を出した。
「ほらお前、ちょっと忙しいタイミングじゃん? エーファちゃんをさ、お前の補佐ってことにして内勤させればよくね?」
「いいかどうか、それは俺が判断することではない」
「あー、言い直すわ。隊長がそういうことにしておけ、って言ってたからさ。はい、つまりこれは上官命令。今日からエーファちゃんはフレイザーの補佐官です」
リースは軍人とは思えない軽いノリでそう言うと、エーファの肩をぽんとたたいた。
「エーファちゃん、フレイザーのこと頼むわ」
「おい、リース」
「じゃ、俺は今日の分の飛行訓練があるんで。ちょっと宇宙まで行ってくるわ」
睨みつけてくるフレイザーを華麗に無視して、リースは待機室を出ていく。残ったフレイザーは、必要なこと以外喋らないエーファをため息交じりに見下ろした。
(ずいぶんと小さいな)
フレイザーもリースも、身長は成人男性の平均より少し高いくらいである。一方のエーファの身長は、おそらく成人女性の平均にも満たないほどだろう。立ち位置が近いと、彼女のつむじが見下ろせそうだった。軍人らしいショートボブは頬と首筋に毛先がかかる長さで、ほとんど声を発さない唇は若い十代のそれらしく張りがある。
ニュース記事によれば、彼女は十八歳の若輩だ。三等星少尉という階級からしても、軍人になって日が浅い。しかしながら、少尉という士官クラスで軍生活をスタートさせたということは、教育機関における成績は極めて優秀だったのだろう。
とはいえ、性格ゆえなのか勤務中だからなのか、不必要なおしゃべりはせず表情も一貫して動かないところを見るに、なんとも人間味の欠けた少女である。
(こいつが本当にあの戦果を上げたのか?)
メディアの書くニュース記事など、真実を何倍にも薄めたもの。あるいは、真実を無茶な角度から切り取って好き勝手に再構築したものだ。鵜呑みにするなど愚の骨頂。そう頭で理解はしていても、目の前の若くて小柄な女性軍人が、ユニバースダストの仲間がいたとはいえ、敵の攻撃から宇宙戦艦を護りきったファイターパイロットであることは間違いない。
「お前のF6S4はどうした」
フレイザーは、まずは基本的なことを尋ねた。
「こちらの基地の格納庫に収容済です。当面は作戦任務に従事できないので、待機モードです」
「整備員は? まさか、機付整備員も異動させたのか」
守護星軍の宇宙戦闘機は、地上で使われる戦闘機とは運用が異なる。
地上戦闘機の場合、機体とパイロットはセットにされず、作戦内容やパイロットのシフトなどによって、前回と異なる機体に乗ることが珍しくない。ところが、宇宙戦闘機は機体とパイロットが組にされる。パイロットからしてみれば、唯一無二の「マイ戦闘機」なのである。もちろん、機体が全損して廃棄された場合は新しい機体に乗り換えるし、作戦上必要な判断がなされた場合も、別の機体に乗って飛ぶことがある。しかし基本的には、全損でもないかぎり同一機体に乗り続ける。
一方、地上戦闘機も宇宙戦闘機も、整備員は機体とセットである。ゆえに宇宙戦闘機の場合、パイロットの所属が変わるということは、そのパイロットが持つ戦闘機およびその機体の整備員も、同時に所属が変わるということである。
そのため、各種手続きが煩雑になるので、宇宙戦闘機パイロットの大きな所属変更というのはあまり行われない。今回のエーファのように、「宇宙団」レベルの異動は非常に珍しいものだ。
「整備員も、前回の作戦の〝関係者〟です。そのため、私と同様に謹慎処分が出ていました。ですから、扱いは私と同様です」
「つまり全員、お前と同じように第八宇宙団に異動になったわけか。ご苦労なことだ」
そこまでさせるとは、いったいうちの飛行隊長にはどんな考えがあるのだろうか。フレイザーはふとそう思ったが、「飛行隊」と一言でくくるこの組織には、かなりの数の軍人がいる。その組織の長である飛行隊長は、一等星大尉にすぎないフレイザーの知らぬ事案を、いくつも抱えていることだろう。その飛行隊長を追及することは藪をつついて蛇を出すことと同義なので、フレイザーはそれ以上エーファの異動の背景について考えることはしなかった。
「この基地の設備と地理は把握したか」
「データ上では確認しました。昨夜こちらの隊舎に移り、今朝はスペンス大尉の案内で隊舎からここまでまっすぐに来ましたので、実物はまだ見ていません」
「ならば、まずは主要な設備を案内する。お前の機体の整備員も一緒にな。新参者だけで歩かせると、妙に勘繰る奴が出るからな」
守護星軍は、ほかの軍にもれず派閥争いがある。また、所属組織によっては別の組織と対立しているところもある。そうすると、異動してきた者をスパイか何かだと疑う者がいるのだ。軍内部でそのように互いを疑い合うのは愚かとしか言えない行為だが、残念なことに過去何件ものスパイ行為が確認されている。大概が軍内部組織の争いゆえの密偵ではなく、軍外部の政治や外交の対立から送り込まれてきたスパイだったが、騒ぎが起きたことは事実なのだ。
そうした要らぬ騒動を起こさないためにも、エーファたち第九宇宙団からの異動者を、しっかりとこの第八宇宙団の一員として扱う必要がある。
(リースの奴め。そういう雑事こそお前がやれよ)
面倒な役割をあっさりと残していった悪友に、フレイザーは胸中で悪態をついた。
しかし気持ちを切り替えると、格納庫に内部通信をかけて、エーファの機体の整備員全員を基地内の食堂に集合させるのだった。
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