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「じゃあ、玄関の鍵は開けたままにしとくから、見学とか終わったら勝手に入ってきていいよ」
「はい。ありがとうございます」
『ますいペインクリニック』は診療開始したばかりなので、ゲンキくんはリハビリ室にいる。だから俺は、医療事務の水島仁美さんにショータを預けることにした。
「この子が前から言ってた松井祥太。ゲンキくんのリハビリ指導の見学希望ね」
「今日は、よろしくお願いします」
ショータも勢いよく頭を下げる。そんなショータに、だいぶお腹のふくらみが目立ってきた仁美さんが微笑みかける。
「遠いのに、よく来てくれたね」
仁美さんもつらい経験を乗り越えて幸せを手にした「想像できる人」だ。
「じゃあ、案内するね」
「はい!」
仁美さんの先導でとことことついていくショータを見やった俺は、車椅子を回転させて自宅へ向かう。
「やれやれ。やっと家事ができるよ……」
ショータの迎えが早い時間だったので、今日の家事はまだ手つかずだ。リビングダイニングはロボット掃除機に任せ、トイレと洗面所の掃除を済ませる。風呂掃除は俺には無理なので、ここは香織さんの担当だ。
いつもならトイレと洗面所の掃除を済ませるとほっと一息つく俺だ。だが、今日はショータのために料理をするという大きな仕事が待っている。
台所に移動し、シンクに置きっぱなしにしていた朝食用の食器を洗いながら頭の中でシミュレーションする。車椅子ユーザーの俺にとっては、何よりも段取りが大事なのだ。
「よし」
洗い物が終わると同時にシミュレーションも終わった。休む間もなく、俺は食器棚から食器を、収納棚から調理器具を出していく。調理しながらこまめに食器や鍋を出すという動作が難しい俺は、いつも最初に用意しておくのだ。大小さまざまな皿や鍋、菜箸などを出した。
「そういえば、食器も増えたよなぁ……」
香織さんとの同居を始めた時は最低限の種類しかなかった。だが、友達を招いて料理をふるまううちに、ずいぶん種類も枚数も増えた。
「いやいや、感傷に浸っている暇はないし」
自分に活を入れ、まずは米を研いで炊飯器にセットした。次に、冷蔵庫を開けて食材を出していく。
冷蔵庫の野菜室からはキャベツと大根と大葉、そして白菜と柿。冷蔵室からは豚ロース肉と油揚げと生ハム。食料ストッカーからは、乾燥わかめ。まだ冷蔵室にはゲンキくんのばあちゃんが漬けたぬか漬けと悟先生が釣ったブリをさばいて分けてもらった刺身が眠っている。
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