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溝内央亮、二十九歳。 実家の祖父母は都内で不動産業を営んでおり、兄弟は年の離れた妹が一人。 両親と妹は海外に在住していて、仲は今は至って普通──どころか仲が良い。 今でも会えば父は央亮を抱きしめ、家族四人で手を繋いで歩きたいと言い出し、母と妹はそれを楽しそうに見ていて、央亮は面白がって実行する。なのでいつも父親は大喜びで、二人を連れて歩いては『私の宝物達なんだよ』と自慢して歩く。 祖父母もそれは一緒で央亮が会いに行けば、とにかく喜んであれやこれやと食べさせたがるし、央亮が訪うまでの間に様々なものを買い集めては央亮に贈りたがった。 この前など呼び出されたので何かと思って祖父母の家に行ってみると、車が用意されていた。央亮はこういう時、変に遠慮したりはしない。ありがたく受け取り、そのまま祖父母を乗せてドライブに出かけたりもする。 それがまた祖父母を喜ばせて、贈り物が続くのだ。海外の妹も同じ性質を持ち合わせているので、やはり可愛がられていた。 この祖父母は央亮とその妹に、既に生前贈与で都内のビルや駐車場を央亮に持たせており、不労所得で働かずとも暮らせるとても優遇された身分で、日々、のんびりと過ごしている。 見た目ーー容姿も決して悪くはないどころか、良い。 切れ長の目で鼻筋も通っており、唇は厚くもなく薄くもない絶妙なバランスだ。 身長も百八十センチをゆうに越しているため、学生時代はお遊びで読者モデルなんてのもやっていたし、多少やんちゃをしたこともある。ただ、どちらかと言えば女性受けする容姿で、そういう界隈では少々モテるタイプからは外れているが。 職業は趣味と実益を兼ねた心理士である。現在は私立学校や企業を主な仕事場として、周っている。 元々、央亮は人間観察が好きでそこが発端となり今の職業を選んだ。ここには、相手の心を読み解き意のままにしたいという欲も大きく含まれていた。 といっても誰でも彼でも該当するわけではなく、自分の興味のある人間ーーとりわけ、意中の相手には限られてくる。しかし相手を観察するには膨大なデータが必要なときもあるので、結局は万人を観察する羽目になるのだが。 生来、なんでもそつなくこなし、人との付き合いも苦ではなく、勉学もどちらかと言えば得意であった為、大学院まで出て心理の資格を取った。 経歴の箔となる為、民間資格だけではなく国家資格も取得している。 カウンセリングの評判も上々だが、催眠療法には手を出していない。 その筋の権威の話を聞いた時に、自分が踏み込んではまずいと思い、それ以上詳しく知ろうとしなかった。人としてしてはいけないことは心得ているつもりだ。 ここまでであれば、溝内央亮という男は完璧に近い。 性嗜好も男性だけではなく、女性も愛せるバイセクシャルなので、世間的な風当たりも然程なかった。 ただ、悪癖とも言えるものがある。 それは好きな人間への異常なまでの執着心だ。 自身が暇な時間はストーキング、盗撮盗聴は日常茶飯事。 意中の相手を撮りためた写真をまとめたアルバムの数は普通の家なら床が抜けるほどある。 プレゼントの中にGPSと盗聴器を仕込むのも、央亮にしてみれば当たり前の話で、今ではそれらを改造するのも手慣れたものだ。 好きなんだから、全部欲しい。 全て話して欲しい。 何も隠さないで欲しい。 頭からつま先まで体の特徴、1日の行動、趣味に特技、衣食住の好み……全てを把握したい。 それが、央亮にとっての『普通』だ。 逆にそれらを求められれば、央亮は喜んで情報を差し出す。 そこは無駄にフェアだ。 ただ、なかなかにヘビーな央亮のこの欲は、様々な人間でデータを取ってみたところ最初の数か月こそ目を瞑っていられるものの、時間が経てば経つほど、常人には受け入れられるものではないらしく別れ際には大抵、 「重い!」 と言って去っていく。 好きな相手と情報を共有したいという欲はおかしいのだろうか?といつも首を傾げていた。 そうはいっても央亮が今までお付き合いした人間は所詮情報収集のためなので、アルバムに残ることはないし、央亮にとって痛手は一つもない。 引き際がおかしな程あっさりしているせいもあってか、別れを切り出した相手の方が逆に執着してしまい、問題に発展することが数回あった。そのたびに、人間とは面白いね、と央亮は思う。結局のところ、ひらりと躱して央亮躱しては逃げてしまうのだが。 好みは今も昔も一貫している。 男性も女性もその好みに従ってデータ収集の相手を選んできた。前述にあるように、央亮の恋愛に男女の性差は関係ない。 しかし、一度見た目が好みの女性と付き合ったものの「初めてだったんだから結婚してよね」としつこく言われたことがあり、それにはさすがの央亮も辟易し、ここ最近はその心配がない男性ばかりを選んでいた。 そうした中で手にしたのが白田瑞姫である。 慎重に慎重に、央亮は瑞姫に近づいた。 揺れる瑞姫の心を読み解き、行動した。 瑞姫に寄り添い、瑞姫の為に見える行動はすべて手中にするための計算だ。 それらが全て成功し、まだ精神に幼さがある瑞姫は央亮へと完全に落ちる手前で、今は幸せの最中である。ここにもう一つの要素が加われば、完璧だ。 ただ、そんな央亮にも少し計算外なこともある。 それは瑞姫に対して、執着がより強くなっていくことだ。 今までの本気でない相手には心がないということもあってか、乱れることはなく、全て計算の上で計画を実行してデータを取ってきた。 しかしそうでない瑞姫に関しては稀にセーブできない時がある。 それは今の所、たまに思うままに瑞姫を抱くことで解消できる程度ではあるが、これ以上、箍が外れるのはまずいな、と感じ始めていた。 「ああ、よい表情だね……」 瑞姫の写真の上を指でなぞりながら、央亮は呟いた。 今、央亮は趣味の部屋にいる。その部屋は書斎から扉を一枚隔てた場所で、普段は鍵をかけている部屋だ。 中は簡素な作りで、家具は一人がけのソファとサイドテーブル、そして壁一面に本棚があるだけで、サイドテーブルの上にはノートパソコンが一台置かれている。 本棚には色分けされたファイルがずらっと並べられており、その他の壁には、央亮の趣味であるものが貼られていた。 「ちょっと居丈高な部分がまた可愛くて……ずっと大事にしてあげないとね」 指を離して、にこり、と央亮は笑った。そしてもう一枚写真を手に取る。 その表面も一度撫でてにっこりと笑った。 ふと、PCに映し出された時刻を見ると午前6時を過ぎたところだ。 「そろそろ起きるかな?お茶を用意しようか」 伸びを一つして、扉へと向かう。今日の昼は少し眠いかもな、と思いながらPCの電源を落として、その部屋を後にした。 ※ 「すごい、料理ができるんだね」 焼き鮭にだし巻き卵、味噌汁に漬物と白米。食卓の上に並んだ食事に瑞姫が驚いた声を上げた。はは、と央亮は笑いながら瑞姫の前へと座る。 「まあ、一人暮らしも数年するとね。大したものでもないけど……和食は好き?」 聞きはしたものの、央亮には瑞姫の答えはわかっている。何せ、それもリサーチ済みだ。央亮の予測通り、瑞姫はにっこりと微笑み頷いた。 「俺はあまり料理というものをしたことなくて……いただきます」 「そのうち一緒にしてみればいいよ。教えるしね」 どうぞ、とすすめると瑞姫が綺麗な所作で食べ始めた。食事も何度となく共にしてきたが、目の前にいる瑞姫の動作全てが自分好み。ごく一部の人間を除き、瑞姫を前にすると蓮っ葉に思えてくる。 いいね、と心で賞賛しつつ、自分も箸を取って食事を摂る。 「そういえば、持ち物は……昨日の服と、スマホと財布だけ、なんだよね?」 途中、そう声をかけると瑞姫が頷いた。着の身着のままで出てきた瑞姫は着替えさえなく、今も纏っているのは央亮の服だ。 「流石に着替えがないと不便だから……買いに行こうとは思ってるのだけど……。あの、央亮。お願いが、あって……」 瑞姫は箸を置いて、改まって央亮を見た。おや、と思い央亮も箸を置く。 「どうしたの?」 「その、少しの間……置いてもらえたらな、と……」 少し言いにくそうではあったが、そう言い終えると央亮の様子を窺うように小首を傾げた。普段、瑞姫が泊まるといっても必ず家に帰してきたのは央亮だ。断られる可能性も含めた故の問いかけだろう。央亮はわざと考えるようにした後に、いいよ、と答える。 「でも、家族の誰かには必ず連絡をいれること。そうでないと誘拐騒ぎになったら困るしね。あと、大学にはちゃんと行こうか。今日は休んでも、もう少しで冬休みだよね?」 正直な話、手の内に転がり込んできた瑞姫を、央亮としてはこの家から出すのも嫌だが、日常を壊すと碌なことがないのだ。円滑な付き合いを保つためにも、あの男と付き合ったせいで、というのは避けたい。それに何と言っても、白田家の息子である瑞姫だ。下手なことをすれば、一緒にいること自体が難しくなる。その辺のことを踏まえての条件だ。 央亮の返答に、瑞姫は少し驚いたように目を瞬かせた後、笑んで頷いた。 「わかった。ありがとう、央亮。……真面目なんだね……」 「えぇ?酷くない?ま、普段の格好がアレだからなぁ……」 瑞姫からの返しに、央亮が肩を竦めると、ふふ、と瑞姫が面白そうに笑った。 そうやって和やかに、朝食の時間が終わり、央亮は仕事に向かう為に用意を始めていた。様変わりしていく央亮の様がなんとも不思議で、瑞姫がじっと見つめていると、 「服だけど、俺が買って来ようか?帰りに見繕ってくるよ?」 あらかた用意を終えた央亮が瑞姫の前へ来て、首を傾げた。 「え、でも……」 「趣味は違うかもしれないけど、たまにはそういうのも面白みがあっていいと思うよ?それに、ね」 するり、と瑞姫の腰を抱いて、央亮が顔を近づける。 「ここで待っててもらって、お帰り、って言って欲しいな?」 言いながら、瑞姫の唇を啄んだ。そのまま唇から、首筋を辿るように口付けながら、肌の上に残る赤い痕に軽く噛み付く。ぴくん、と刺激に瑞姫の身体が震える。 「あっ……わか、った…………央亮、遅れる……」 ちゅ、ちゅ、と何度も同じ場所にキスを繰り返す央亮の胸を、緩い力で瑞姫が押すと、残念、とおどけたように言いながら央亮は顔を上げた。瑞姫が目元を赤くしつつ、ばか、と小さく呟く。 「さて。あ、おかしなところはないかな?仕事だからね」 瑞姫を解放し、その前で一度回った。 「大丈夫だよ。その格好、凄く格好いいよ」 「そう?それは良かった。ちなみに、普段は?」 瑞姫の声に機嫌よく笑い、央亮は首を傾げた。少しだけ間を置いて、瑞姫はやはり顔を少し赤くしながら、 「……普段も、好きだよ」 そう答えて、央亮の頬に口付ける。 そんな瑞姫を、央亮が抱きしめて、頬に口付けを返した。 それは確かに、幸せな恋人同士のやり取りだった。 「ああ、書斎にある本は適当に読んでいいよ。好みのものがあるかはわからないけど。触って駄目なものはないから、好きに過ごして」 「ありがとう。気をつけて。あ、買い物した代金は……」 「いらないよ。その代わり、俺色に染まってね?」 「なんだ、それ」 出がけにそう告げて、笑い合った後、央亮は家を出た。 央亮を見送った後、瑞姫はリビングへと戻る。スマホを見ると、幾度かの着信が義隆から入っていた。その通知を消して、天井を仰ぐ。 「馬鹿だな……」 ぽつりと、瑞姫が呟いた。
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