天使の心。

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 絶望、失望、悲しみ、妬み。そんなネガティブなエネルギーや人間の不幸を糧とする、卑しい存在である『悪魔』。  僕はその中でも、恋心に関するものが好物だった。 「……失恋の気配がする」  長い黒髪に膝下スカート、良く言えば真面目、悪く言えば野暮ったい印象の少女『望月ノエル』は、完璧な王子様である『白神ヒトヤ』に叶わぬ恋をしていた。  空腹のまま人間界に降り、美味しそうな気配に誘われるままターゲットを望月ノエルに決めた僕は、期間を決めてその恋がどんなものか観察することにした。  人間が食事前にレストランのメニューやお菓子のパッケージ裏の成分表を眺めるようなものだ。  グルメな僕は、空腹こそ最高のスパイスだと思っている。  恋心の一喜一憂も大事な調味料。僕はノエルという料理を余すところなく堪能したかったのだ。  しかし彼女の恋は遠くから見詰めるだけで満足するような、到底叶う見込みのない片想いで、そもそもヒトヤとは会話したことさえないようだった。  ヒトヤと廊下ですれ違う機会があっても、ノエルは顔を上げられず俯いて、足早に立ち去る。  それなのに、完全に通りすぎてから振り返っては溜め息を吐くのだ。そして前方不注意で他人とぶつかって、慌てて謝ってまた溜め息を吐く。  煮え切らなくて、どんくさくて、暗くて、弱虫。それがノエルに対する第一印象。 「僕が何か仕掛けなくても、勝手に失恋しそうだな……こいつ」  そんなノエルの恋の相手のヒトヤは顔も良ければ性格も良い、まさに王子様的な存在だった。 「これなら手を下すまでもなく、自然と食事にありつける……楽勝楽勝」  天使は人間のために恋のキューピッドをすることもあるけれど、悪魔は食事の楽しみのために恋を壊すこともある。  例えば、何股もしてる男に騙されながらも幸せだと笑う女を、他の女とのデート現場まで連れて行って現実を見せ付けてやったり。  例えば、恋に恋しているような夢見がちな女に、理想の王子様の情けない本当の顔を教えてやったり。  そんな些細な邪魔で揺らぐ愛だの恋だのは、所詮まやかし。あっという間に消えてしまう、ふわふわの綿菓子みたいなものなのだ。  授業中、ノエルはノートにヒトヤの似顔絵を描いていた。普段から良く観察しているおかげか結構似ていたけれど、授業が終わる頃には消してしまっていた。  昼休み、ノエルは窓際の席で本を読むふりをして、校庭を走るヒトヤを眺めていた。  友達も居らずずっと一人で過ごす彼女の幸せそうな横顔に、僕はいっそ憐れみを覚える。純粋な恋ほど、失った時の傷は大きいのだ。 「……まあ、僕には関係ないけど」  そうして僕は、ノエルの失恋までを見守ることにした。 *****  ノエルの恋を見守り始めて、一週間が経った。進展がなさすぎてつまらない。 「せめてもうちょい何か……見守ってて楽しい感じのないわけ?」  楽に失恋を見守れると思ったのに。ヒトヤに恋人が出来るだとか、いっそ告白してフラれるだとか、何かしらないとノエルは失恋なんてせずに、ずっと淡い片想いを続けそうな気がした。 「確かに失恋の気配はあるのに……」  僕は悪魔だ。不幸の匂いはすぐにわかる。人間でいう、夕飯がカレーの家があったら外からでもわかるようなものだ。  けれどシーフードなのかキーマなのか、甘口なのか辛口なのかは匂いだけじゃわからない。だから、今の時点では失恋の原因も不明。  あまりの進展のなさに、ノエルに恋を諦めさせる手段としてヒトヤの弱点を探したりもした。  理想を壊し幻滅させれば御の字だと思ったのだが、幻滅要素は何も見つからなかった。  かといって今すぐ恋人が出来そうな雰囲気もなく、ヒトヤを狙う女子達をけしかけようかとも思ったが、そいつらが失恋したとして食べられないのは悔しいのでやめておいた。つまみ食いはしない。悪魔の美学だ。  楽に食事にありつけると踏んだのに、思いの外難易度が上がってきた。 「今からターゲットを変えるのも、僕のポリシーに反するんだよなぁ……」  帰宅したノエルは、遊びに出掛けることもなく自室で勉強している。  どうやらヒトヤの受験先を一緒に受けたいようで、必死に成績を上げようとしていた。真面目な優等生風な雰囲気はあるものの、基本どんくさい彼女は勉強も効率が悪かった。  それでも彼女は、誰より一生懸命だった。同じ学校に居たって、話しかけすら出来ないのに。好きな人と来年も近くに居るために、こんなにも努力している。  気付けばとっくに空は暗くて、それでもノエルは、眠い目を擦りながら勉強を続けていた。 「……報われればいいのに」  彼女の恋の成功を願ってしまうような、そんなつい溢れた言葉は、悪魔らしからぬものだった。  そのせいで、僕の悪魔の能力が一瞬弱まる。 「わ!?」  自慢の羽根は小さくなって黒い服に隠れ、僕はあえなく彼女の部屋のベランダに落っこちる。  物音に驚いた彼女と、姿を隠す余裕もなく無様に尻餅をついた僕のご対面だ。 「だ、誰ですか……!?」 「あー……僕はあく……じゃなくて、天使!」 「天使……?」  我ながら苦しかった気はする。羽根がなければ人間と近い見た目をしているけれど、こんな真夜中にベランダに現れた時点で、どう考えても不審者だろう。  けれど単純な彼女は、空から降って来た僕を天使と信じて疑わないようだった。 「えっ、天使ってことは、私の恋を叶えてくれるんですか?」 「え、まあ……?」 「本当!?」  勘違いされたものの、訂正するとややこしいのでやめておく。心底嬉しそうな笑みに、本当にヒトヤが好きなんだと理解した。  叶うはずのない、というか叶える気がない願いだというのに。何故か複雑な気持ちになる。 「……今のままだと失恋確定だけどね」 「えっ……まあ、私みたいなのは誰も好きになってくれないと思いますけど……」  もやもやの八つ当たりのようにちょっと意地悪を言えば、凹んだように俯くノエル。彼女はすぐに不幸の匂いをさせる。そんなだから、僕みたいな悪魔の食い物にされるのだ。 「わかってないなぁ。だから僕が来たんだよ」 「え、魔法のアイテムで両想いにしてくれる、とか……?」 「自己評価低い割に地味に図々しいな」 「す、すみません」 「魔法とか、そんなんで好かれても嬉しくないだろ。僕がするのはアドバイスだけ! あとは自力で何とかして」  こうして成り行きで、天使だと嘘をついてしまった悪魔の僕と、ターゲットである失恋間近の彼女の日々は始まった。 *****
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