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その日、古くから地元に土着し安寧を紡いできた獅子流会事務所に、激震が走った。
「僕は、渡嘉敷組長代理の命を救うために、自分の両親を殺しました」
そう供述した男は、貼り付けたような笑みを浮かべ、正装に身を固め単身で事務所に乗り込んできたのである。
沖縄と鹿児島において随一の力を誇るこの組織は、古くからその名を轟かせ、数多くの者が彼らの力を恐れ敬ってきた。近年は海を越え山を越えて、九州や台湾にも侵食しつつあるこの組は、組長である知念氏が無期懲役判決となった今も、衰えることはない。普段、厳粛で人を寄せ付けない威圧感に包まれていた事務所は騒然となる。
「なんか企みやぁが! やぁー!?」
突如として事務所に押し入ってきた不審者に対し、組員たちは次々と詰め寄り、乱暴に抑えつけた。その男は、組長代理である渡嘉敷大将に会わせて欲しい、と取り押さえる男に述べた。
彼は丸腰で、持ち物といえば小さなボディバッグを一つだけ。しかし、その異様とまでも言える落ち着き具合や立ち振る舞いが、彼らの警戒心を刺激していた。
「じゃあがうるさいやっさ! 誰か、そいつ黙らしみそーれ!」
その場のひとりが、林太郎のボディバッグを奪い取って押収し、男を殴りつけると同時に床に押さえつけた。ところが、その男は痛みも恐怖も感じていないかのように微笑み続けていた。常に口角を上げて目を細めるその表情は、冷え冷えとした薄気味悪さで、組員たちは誰もが見過ごせない異常さを感じていた。
「バッグん中、なんが入っとぉが?」
「僕の両親の首ですよ」
妙に落ち着いた声でそう話し始めると、周囲に「いい加減にしろ!」と怒声が響くのも構わず、彼はただ一点を見据えたまま続けた。
しかし、それが嘘ハッタリではないことは、この業界の者なら理解していた。ボディバックは遺体袋と同じ構造で、妙な重さがあったのだ。バックを手にする組員の男は、ブルっと背筋を振るわせた。
「組長代理の……、いや、その言い方は些か不適切ですね。理沙の、渡嘉敷理沙さんのお父様に会わせてください」
その異常な申し出に、組員たちがざわつき始める。
「渡嘉敷の代理ぬ来とぉどッ! ちばりよぅ、静かにしれッ!」
やがてその声が響くと、背筋を伸ばした組員たちは一斉に動きを止めた。そして、その場に居合わせた男らは、背広をまとった堂々たる体躯の男に向き直り、深々と頭を下げる。
その存在感は事務所内の全員に息を呑ませるほどの重みを帯びている。彼が一歩一歩と近づくにつれ、空気はさらに張り詰め、異様な緊張感がその場を支配していく。
大将は男の顔を一瞥すると、重々しい声で問いかけた。
「娘が、なんだと?」
その場の空気が一瞬にして凍りついた。今や琉球列島を統べる帝王とも呼ばれるようなこの男の前で、平然とした態度を保つ者など、ほとんど存在しない。だが、彼はその視線に一歩も引かず、深い笑みを浮かべたまま口を開いた。
「お父さん、理沙を――」
その瞬間、男は殴打された。大きく横に打ち飛ばされ、冷たい床に顔面から強打する。端正な顔がみるみるうちに腫れていき、ツーっと鼻血が落ちる。それでも口角を釣り上げたままの男に、取り囲んだ男達はぞくりと肌を泡立てた。
しかし大将は眉一つ動かさない。彼の視線は、打ち捨てられた男に注がれたままだ。
「……んじゅらさんやっさ。貴様のように素性のわからん男に父と呼ばれる筋合いはない」
「……失礼、申し遅れました、佐渡島林太郎と申します。ハト派でもなければ、タカ派でもない、特定の組織にとどまることはありません。常にカネとリスクで動くため、業界ではカラス派などと呼ばれています」
大将はここにきてようやく眉をぴくり、と動かした。
「……殺し屋か?」
ケロリとした様子で起き上がった林太郎は、その問いにニコリと笑うと「はい」と答えた。
「どこの指示で動いている」
「沢海會です」
彼が飄々と答えた瞬間、取り囲んでいた組員達はどよめいた。沢海會は関東最大の広域暴力団であり、関東進出を試みていた獅子流会とはどちらかというと反目の組織だ。
「貴様は人を殺せるのか?」
「もちろんです」
「ここにいる全員を殺すことはできるのか?」
「はい、今すぐにでも」
彼が低い声でそう答えた時、「ふざけるのもたーけぇにしれ!」と、代行付きの男が、我慢ならない様子で彼の頭を鷲掴みにした。
「やめろ、照屋。おそらく本当だのことだ」
「……ぐっ」
照屋と呼ばれた男は悔しそうな様子で、彼の頭を乱暴に突き放した。
「バックの中身を開けろ」
大将が目配せすると、照屋は林太郎の正面に回り込み、彼の左右の親指を結束バンドで拘束した。そのまま、バックを開けさせる。
その間、林太郎は不気味なほど素直に指示に従った。
「なんだと……!」
バックの中身を見た大将は声を荒げる。出てきたのは、彼の供述通り二人の男女の生首と、USBメモリだった。
死体を初めて見る組員らも多い。彼らはヒッと情けない声を出し、のけぞった。
「僕の、両親です。それとも、内部監査人のサトウと家庭教師のウエダ先生……と言った方がよろしいでしょうか」
言葉を失う大将を尻目に、彼は淡々と続けた。
「必要ならDNA鑑定に出してもらって構いません。また、渡嘉敷代行の身の安全確保のために、私の所属する組織は皆殺しにしました。よって代行がカラス派から命を狙われることは今後ございませんのでご安心を。もし心配でしたら、こちらのUSBメモリにその一部始終が写っていますのでご査収ください」
誰もが一瞬、背筋に寒気を感じた。林太郎はただの狂気の男ではない。この場にいる全員が、彼の猟奇的な何かを感じ取らずにはいられなかった。
大将は一言も発せず、ただじっと林太郎を見つめた。その瞳の奥にある冷酷な光は、林太郎の真意、そして他に得られる情報を探ろうとしているかのようだ。
「……貴様の望みはなんだ」
そう低く呟くと、彼はゆっくりと部屋の奥へと歩みを進めた。
林太郎は、周りを取り囲む組員に拳銃を向けられる中、笑みを貼り付ける。
「理沙と結婚させてください」
目を輝かせながら、そういった。
やがて部屋の奥に突き当たった大将は、デスクチェアに腰をかける。タバコを取り出すと、脇の男がすぐにそれに気づき火をつける。
そして、照屋に再び目配せをし、林太郎を立たせ、「それは無理だ」とキッパリと言った。
「大事な娘だ。貴様の両親のタマなぞ取るに足りんほどにな」
「……では、どうすればいいのでしょうか」
ここで林太郎は初めて人間らしい表情を見せ、肩を落とした。
「貴様も、私の命より大事なものが欲しいのだろう。それならば、同様のものをこちらによこすべきでは無いのか?」
「しかし、私にはもう何もありません。今回のことで全て捨ててしまいましたから。……理沙以外に大事なものが思い当たらないのです」
その言葉を大将は一笑に付した。
「考えろ。それでも思い浮かばぬならば、それまでだったということだ。娘は諦めなさい」
「……わかりました」
笑みを消し、目を伏せた男を見つめると、大将はふう、と紫煙吐き出した。
その額にはびっしりと、脂汗が浮かんでいた。
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