アフガンの掟と日本の誇り

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 アフガニスタンを旅する人が言っていた。物乞いはいてもホームレスはいないと。つまり人々が助け合って生きているからこそ実現出来ることだ。それは日本に生きている自分にとって驚嘆すべき事実だ。何せ、優生思想に侵され、新自由主義に則り、強者を助け、弱者を挫き、誰もが人間らしく生きる権利があるとする生存権なぞ無視し、憲法に背いた政治により弱者は切り捨てられ、而も助けられないどころか自己責任を問われ、挙げ句の果てにホームレスになる人のみならず自殺する人が後を絶たないのだから…。  元々日本には働かざる者食うべからずという口碑が厳然とあり、生産性のない人間は生きる価値がないとされがちだ。ここで言う生産性のない人間とは怠け者を指すのではなく生産する能力に欠けるが、他に能力がある人のことだ。その人を見殺しにする。だから何も政府の所為ばかりでなく人民の間にも問題視すべき所があり、見返りが期待出来る仲間内で助け合うことはあっでも見返りが期待出来ない弱者を助けることはまずないのだ。そればかりか拝金主義に基づき軽蔑しネグレクトする。だから金の有る無しで良し悪しを決めるのではなく、弱きを助け強きを挫く武士道の義侠心を持った子を育てなければならないのだが、武士道が完全に廃れた現代日本では義侠心の義の字も知らない者が腐るほどいる。仮令、知っていても義を見てせざるは勇なきなりで実践出来ない。だから義侠心を伝授出来る親が払底しているのだ。嗚呼、情けなや、せめて惻隠の情を持ってもらいたいものだが…。  それに引き替え、アフガニスタンの人々はイスラム教より遥かに古より伝承されて来たパシュトゥーンワーリーという掟により自分の命や財産よりも誇り、そして他人への尊重を重視する、つまり互いにリスペクトし合う習慣から敵対心さえ持ってなければ、どんな訪問者に対しても深い敬意を示し、手厚くもてなす、それも見返りを期待しないで、というのだから助けを求められれば、どんな人でもそのように助けるのである。嗚呼、なんと尊いことか!  また、日本が見習うべきことに米軍がアフガニスタンから完全撤退した最大の理由は、現地住民との友好な関係構築が反乱軍を制するには最も有効なミッションとなるが、伝統や文化や宗教を頑なに遵守するアフガニスタンの人々は決して米軍とは折り合わなかったからだ。もっと言えば、アメリカに懐柔されなかった。ところが日本と来たらどうだ。アメリカの犬になってアメリカの言うことに何も逆らえないではないか!それは政府間レベルの話にしてもだ、未だに米軍基地が日本各地にのさばり、沖縄の基地なぞは中国を挑発する温床にしか成り得ず、日本の主要空域は米軍が掌握し、事実上、軍事に関することは米軍に牛耳られ、そもそも戦後からアメリカ化して自国の伝統も文化もかなぐり捨てたではないか!嗚呼、嘆かわしい。  しかし、アフガニスタンの人々から神ともヒーローとも賞賛され敬慕された日本人がいた。中村哲その人だ。氏は本業は医師だが、土木技術も学んで貧困と病気に苦しむ人たちを無料で治療する一方、給料を払って難民を雇い、用水路を長尺に建設して干ばつや地球温暖化で砂漠化した農地を肥沃にし、あらゆる農作物を実らせ、家畜を飼えるようにして農業を盛んにした上、学校やモスクや公園も建設して人々に心の平和を齎したのだから然もあらん。嗚呼、真のノーベル平和賞に値する、なんとドデカい偉業なんだ。その規模は核爆発が齎す悪の正反対の善だ。お陰で何十万の人が助かったのだから…。それは偏に罪無き貧しき人々を救いたい一念が齎したもので氏は飢餓に困窮するアフガニスタンを豊潤にした日本の誇りだ。この度し難い程に腐った日本の強者の中にあって唯一無二の…。
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