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私は武田さんのご家族に武田さんの死を伝えなければならない。
看護師という仕事をしている以上は幾度となく行っているこの報告であるが、その度に心が痛む。
特に今回は「私が殺したようなもの」だ。罪悪感での胸の痛みは肺がアルミ製となり、グシャグシャに潰すのと戻すのとを繰り返しているようだ。
ナースステーションの電話機に手をかけた瞬間、私は小林先生に声をかけられた。
「少し、いいかね。武田さんのご遺族の方へのご報告は少し待ってくれ」
小林先生の部屋に呼ばれた私は、小林先生の座る大机の前に立たされた。
「武田さんのナースコールに気がつかなかったそうだね。あの夜のメンバーに聞いたら、君が椅子に座って寝ているのを見たというよ」
「はい。間違いありません。武田さんのナースコールに気が付かなくて『ものの数分』ではありますが、放置してしまいました」
「君、この『ものの数分』で命が左右されると言うことを知っているのかね?」
「重々承知しています。言い訳のしようもありません」
「厳しいことを言うようだが、君の過失による医療事故と言うことになるね」
そう、私は居眠りで武田さんを殺してしまったのだ。
もしも居眠りをしなかったら…… いや、数分数秒でも早くナースコールに気がつくことが出来ていたら…… 助けることが出来たかもしれない。
後悔しかない。
「はい…… やるべきことが終われば看護師の職を辞しようと思います……」
「下の責任は上の責任。私も責任を取らねばと考えている。だが、私は多くの患者を抱えている。私抜きでの継続医療は無理な患者さんもいるぐらいだ」
「辞めるのは私一人のつもりでした。小林先生に責任はありません」
「今、この病院は看護師が足りない。後任や新人が来ると言う話もない。特に君のようなベテラン看護師に辞められては困るのだよ」
「はぁ……」
「そこでだ、死因の方を『循環器不全の未対処』から『循環器不全による自然死』に切り替えようと思っている。そうすれば、誰も悪くない。君以外の二人にも話はしてあるよ。二人共、君が悪いとは思ってないよ」
「そんな、悪いのは私で」
「悪いとすれば、看護師の3Kたる待遇が改善されずにそのままでいる体制かな。ありのままを言えば、君には『医療過失』として前科がつくだろう。私も君も身の破滅だよ」
「だからと言って本当のことを黙って、嘘を吐くなんて私には」
「いいかい? 私と君が身の破滅なんてことになったら、どれだけの患者を見捨てることになるか考えてみたまえ。多くの命を見捨てることになるのだよ?」
「……」
俯き、暫し考えた。武田さんを殺した責任を取り白衣を脱ぐか、まだ見ぬ多くの命を救うために武田さんを殺した責任を胸に秘めたまま白衣を着続けるか。
二つは両天秤にかけられシーソーのように揺れ動く。
数分ほどの沈思黙考の末、結論は導かれた。
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