港の猫の思い出缶

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夫の定年祝いに 「どこかでお祝いしようよ」 とリマが誘うと 「ポートランドパークに行ってみたい」 という。 3年前、日本の沿岸全体を襲った大津波のせいで 主な港は皆、その姿を消した。 津波の前から既に、 日本の沿岸では魚は獲れなくなっていたし 人もモノもトランスポーテーションで 瞬間移動するようになり 港は実質とっくに機能をなくしたので 今は江ノ島もただの観光テーマパーク 「江ノ島ポートランドパーク」になっていた。 温暖化で頻繁に起こる大津波から都市を守るため 日本の沿岸都市は全て 強度な樹脂でできた透明のドームに包まれた。 「江ノ島ポートランドパーク」も ドームの中に港を模した人工湾があり 桟橋、その下の白浜、岩の磯場 そして潮の香りや潮騒も人工的に再現されている。 ドームの中心には かつて観光名所だった江ノ島タワーが立ち その足元に路地が放射状に広がって 漁村やフィッシャーマンズマーケット 商店街も再現されていた。 まるで街全体が、可愛いスノードームのようだった。 江ノ島ポートランドパークの最大の観光目玉は 「ポートキャット」と呼ばれる子猫たちだ。 猫はいまや 飼い主の理想に合わせて 遺伝子操作されるのはもちろん 餌なしでも飼える機械化猫が多くなっていた。 遺伝子操作も機械化もされていない猫は いまや、世界中でもこの 江ノ島ポートランドパークにしかいない。 リマと夫はランドタワーに登り 透明のドームから見える 遠い海のうねりを眺めた。 タワーを降りると 昔の港町を模した商店街の路地で イカ焼きや蛤の浜焼き、サザエの壺焼きなどを ツマミにビールを飲んだ。 香ばしいイカの匂いにつられたのか いろんな模様の子猫が 路地のあちこちから現れて リマや夫の足に纏わりついた。 品種改良のため人工交配を繰り返した結果 子猫たちは皆、抜け毛が少なく手触りのいい ビロードのような毛並をしていた。 柄も様々で 輝くような白 艶やかな漆黒 目の覚めるような黄色 美しいシマや豹柄など リマは豹柄の子猫を抱き上げた。 まだ1ヶ月ほどの子猫は 頭が大きく手足が小さく お腹はまるまると太っていた。 膝の上に仰向けに乗せると 白靴下を履いたような前足を突っ張って 大きなビー玉のような黒い目を見張り 小さい牙を見せてニャーニャーと鳴いた。 イカは消化が悪いのよ これを買ってあげましょうね イカを売ってる屋台には 猫缶も売っているのだった。 「これを買うお客さん少ないんだよね 猫が餌を食べるなんてこと 今の若いもんは知らないのさ」 子猫は大きな耳を三角に立て 頭を左右に振りながら ふがふが言って、猫缶のフレークを食べた。 食べ終わっても 豹柄猫はいつまでもリマの足元で ニャーニャー鳴いたり 小さなピンクの舌を出して毛繕いをした。 日暮れごろ、2人はタワーに戻り 駅に繋がる空中通路を渡ろうとゲートに差しかかると リマが警備員に呼び止められた。 あなた、猫を連れていますね? リマはびくりと肩を上げた。 たまにいるんですよ 「ポートキャット」を連れ出そうとする方が 警備員は苦笑いをした。 あの、お金払ってもダメなんでしょうか。 夫も困ったように警備員を見つめた。 ダメですよ。 ここの子猫「ポートキャット」は 非常に弱く、普通に飼ったらすぐ死んでしまう 1年したら機械化される猫なので。 居たところに戻してきてください と言われた。 そんなこと知らなかったわ… ここの子猫は皆一年したら 機械化されるために育てられてるなんて。 「餌も要らず、排泄もせず、病気もしない猫 自分が飼えなくなったら 好きなタイミングで処分できる猫」 として売られる機械化猫になるらしかった。 リマは子猫をセーターの懐に入れたまま 夫と一緒にトボトボまた地上に降り 元の路地を探した。 お土産屋ばかり並んだ通り 宿屋の通り 海鮮食堂の並ぶ通り どの通りだったか、 放射状の路地を行ったり来たりして 夫婦はさっきのイカ焼きの店を探す。 お腹の小猫はニャーニャー泣きながら 湿った温かい小さな体を モゾモゾ動かしていたが そのうち寝てしまったようだった。 ごめんね。 やっと路地を見つけると 店先の椅子の上にそっと下ろす。 元気でね 早くお友達のところにおかえりね。 そう言って離れようとすると 子猫は寝覚めて、イスをぴょんとおり リマを見上げてニャーニャー鳴いた。 リマと夫は 後も振り向かず 無言でそこを離れた。 数日後 リマは宅急便に立ち寄った。 未来便、お願いします。 小さな箱には 子猫にあげたのと同じ猫缶と手紙。 100年後に配達してもらえるように託す。 宛先は江ノ島ポートランドパーク 港商店街、イカ焼き通り、豹柄子猫さま とした。 『豹柄子猫ちゃんへ こないだは (あなたがこれを読んでる時からは100年前です) 一緒に遊んでくれてどうもありがとう。 私は一目であなたを好きになり 一緒に暮らしたかったけど そうするとあなたは死んでしまうのだそうで 諦めました。 あなたを返す時 商店街通りで迷ってしまい あなたをお腹に入れたまま 2時間も歩き回ってしまいました。 あなたにとって、それが 怖い思い出になっていないか そればかりが心配です。 あなたが食べた缶詰を同封します。 今のあなたがこの缶詰を まだ好きか知らないけど 子猫のあなたは大好きなようでした。 どうぞ、その後のあなたの猫生が 幸せなモノでありますように お祈りいたしてます。 100年前の人間 リマ』 100年後。 未来便は無事に豹柄子猫に届けられた。 豹柄子猫は機械化猫になって ある老人に飼われていた。 飼い主の希望で 老人が死ぬのと同じタイミングで 猫の命も尽きるようにプログラムされている。 猫は読書も、人間との会話も可能だった。 ある日届いた宅急便の箱を開けると 缶詰と手紙が入っていた。 豹柄猫はゆっくり手紙を声に出して読んだ。 それから、缶詰を取り出した。 老人に頼んで缶を開けてもらうと 美味しそうな匂いがした。 もう長らく、食べものは食べたことがなかったので 美味しそうという感覚は久しぶりだった。 そして、匂いと共に はるか遠い記憶のどこかに 子供の頃、人間の女の人の セーターの懐の温かさと匂いも思い出した。 にゃあ 猫は とうに忘れたと思っていた 猫の言葉で鳴いた。(おわり)
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