ああっガブリエルさまっ!

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ああっガブリエルさまっ!

 「よく来たな、ガブリエルが眠る神殿に」  チェーンロック越しに、骨ばった小柄なおばあさんが出迎えた。おばあさんは、首から十字架のペンダントを下げており、頭には白いターバンをかぶっている。胡散臭いマザーテレサといったところか。  さっきまで僕はミキと名乗る美女に道案内してあげていたはずが、気が付けば、この部屋に引きずり込まれていた。 「が、がぶ?」 「だ、大天使様っ!! ミキと申します! 死ぬまでに一度お目にかかりたいと思っておりました!」  ミキさんは息継ぎもせずにまくしたてると、額をなめらかに畳へと押し付けた。 「挨拶などよい」  おばあさんは、ふんっと鼻を鳴らす。 「て、天使って?」 「田中さん!! 大! 大っ天使です! このお方は大天使ガブリエル様のご加護を一心に受けられているのです」  先ほどまでの花が揺れるような笑顔が嘘のように、ミキさんは目を血走らせている。 「小僧、お前はなんだ?」  うーん、なんだと言われてもな。  道に迷っている美女に声をかけられて、えっと、それで、それだけか。 「な、なんだって言われ――」  何と答えたものか逡巡している僕の頭を、ミキさんは強引に手で抑え込む。  不快なほどに、い草の匂いが鼻をつく。 「ちょっ、ちょっと!?」 「田中さん。まずはご挨拶を」  起伏の無い声でミキさんが言う。 「だ、大天使様、は、はじめまして」 「手を放してやれ。もうよい」 「はいっ」  ミキさんは上気した顔で頷くと、聖母のような笑みを見せる。 「この小僧が今日の信徒か?」 「はいっ、大天使様」  もういい加減認めなければならない。  僕は今、知りもしない新興宗教に入信させられそうになっていることを。 「今から小僧の入信の儀を執り行う。お前はもう帰れ」 「も、もうなさるのですか!?」 「この小僧は大天使ガブリエル様の恩恵を受ける素質がある」 「じゅ、16歳の田中さんが!?」  なんだかいい加減おもしろくなってきた。 「わ、分かりました! 私はこのことを他の信徒に伝えて参ります!」 「ああ、頼むぞ」  ミキさんはバランスを崩しながら部屋を飛び出していく。 「小僧っ!」 「は、はいっ!?」 「これより入信の儀を始める」   ***    偽テレサは入信の儀と言い放つと、僕に聖書を音読させた。  受胎告知という大天使ガブリエルが登場する有名な一場面。  その時、未だ処女であったマリアは、大天使ガブリエルから、神の子を授かることを告知され、その子にはイエスと名付けるのだと、神の啓示を受けたという話らしい。  久しぶりの音読を終えると、僕は偽テレサから十字架のペンダントを授けられ、あっけなく家路につく許可を得た。  ただ一つ、部屋を出ようとしたその時、偽テレサは僕に言った。 「今日にでも神からの啓示があるじゃろう。あとは小僧、お前がメッセンジャーとなるだけじゃ。あの大天使ガブリエル様のように」と。  僕は思った。  いい加減にしろババアと。   ***    僕は今、めちゃめちゃ金縛りにあっていた。  ババアとか思ってすみませんでした。  力を入れれば入れるほど、僕の体は石のように強張っていく。 「はっはあ、あっはあ……」  助けを求めたくても、まるでのどを潰されたようで、声が出せない。  僕は少しでも心を落ち着けるため、唯一動かせる瞼をきつく閉じた。   『これは神の啓示だ、今から貴様に授ける。』    僕の脳内に、地を這うような声が響き渡る。  本当にこんなことがあるのか!?  ただ僕は今、この考えられない展開を受け入れる以外に選択肢がない。   『葉新は近い将来、虎の子を授かる』    葉新!? 今葉新って言ったよね? 絶対に言ったよね?  どういうこと? 子供?    『そう慌てるな。そうだ、今貴様が思い浮かべている葉新のことだ』    えっ、神ってこんな脳内でコール&レスポンスできる感じなの? 気安いな。   『啓示は以上、さらばだ。大天使ガブリエルの加護を受けるものよ』   ***   「――――ってことは! 葉新さんがマリア!?!?」  ぼやけた頭で教室を見渡すと、全クラスメイトの視線が僕を貫いていた。 「おいっコタてめぇ、今なんつった!!?」  僕の天使はガタンっと椅子から立ち上がると、腰まである可憐な金髪を揺らした。  今日も今日とて、アイラインで強調された瞳は美しく、吸い込まれそうになる。 「……え、えっと、葉新さんがまり」 「下の名前で呼ぶなっつってんだろ!!!!」  天使に蹴り飛ばされた僕は、気が付けば天井を見つめていた。  そうなのである。   早乙女さんは、下の名前、葉新(ハニー)と呼ばれることが、何よりも嫌いなのであった。   ***   「で、なんでコタがいんだよ」 「な、なんでって、僕は授業で居眠りしたから」  僕だって、好きで日曜に生徒会主催のゴミ拾いに参加しているわけじゃない。 「あっそ」  正直そっけない態度も最高です。 「はにっ、じゃなくて、さ、早乙女さんはどうして?」 「おいてめぇ、わざとやってんのかそれ?」 「いやっ、そ、そんなっ!」 「一個上の先輩ぶっ飛ばしたんだよ」 「えっ?」 「ここにいる理由だよ! お前が聞いてきたんだろ」  ああやっぱり怒っていても可愛い。いや、むしろ怒っている方が良いまであるか。 「どうせお前も私が喧嘩ふっかけたって思ってんだろ?」 「えっ? 思わないですけど?」  早乙女葉新という女性は、基本的に悪を許さない心優しい天使である。  いつもの態度が少しばかりつっけんどんなだけで、訳もなく喧嘩したりなど絶対にしない。  いや多分。 「……あっそ」  早乙女さんはそっぽを向いてしまう。 「さ、早乙女さんはなんで制服?」  大体の人間は汚れることを想定して、学校指定のジャージを着ている。 「あっ? こっちの方が気合入るからに決まってんだろ」  決まってるんだ。可愛いからなんでも良いけど。  本来であれば、このまま葉新さんと幸せな時間を過ごしていたいのだが、そういうわけにもいかないのである。  理由は単純明快で、僕はどうしても葉新さんのお腹が気になって仕方がないのだ。  眼鏡を外し、何度目を凝らしても、うすぼんやりと光を宿しているように見える。僕以外の人間には見えていないようで、どうやら本人すら気が付いていないようだ。    ――――――――いやっ誰の子供なの!?   「行くぞ」 「え?」 「ごみ拾いすんだろ?」  あれ、葉新さん意外とやる気なんだな。 「えっと、ぼ、僕と一緒に行くってこと?」 「そうだよ。そうすればコタが拾えばいいだろ?」  めちゃめちゃ僕に全部やらせる気でした。 「ま、任せて!」  葉新さんは僕の腕をぐいぐいと引っ張っていく。  ああ、勘違いしてしまいそうになる。  でもダメなんだ。  葉新さんには心に決めた伴侶がいるわけで、僕の初恋はもう既に終わってしまったのだ。   ***    僕は葉新さんの命に従い、必死にゴミを拾い続けた。  人使いがちょっぴり荒いところもチャームポイントということで。 「よしっ、もうやめだな」  まだ開始から1時間しか経っていない。 「も、もうですか?」 「お前頑張ったし、もう十分だろ」  僕は口元がにやけそうになるのを必死に我慢する。 「せ、先生に、怒られませんかね」 「やることやったんだから別にいいだろ。長い時間やりゃいいってもんでもないし」  葉新さんは時々、目も覚めるような正論を言う。 「よしっ、これでいいな」  葉新さんは近くにあったゴミ箱のゴミを、僕の持っていた袋に全部入れる。 「ちょっと遊ぶか」  いたずらっぽく葉新さんは笑う。 「あ、遊ぶ??」  葉新さんは僕からゴミ袋を取り上げ、近くにいた生徒会役員へと放り投げる。 「お前生徒会だろ? お望み通りゴミ集めてやったから、それで文句ないだろ? じゃ私たちあがりで」  葉新さんは生徒会にそう告げると、華やかなネイルが施された手で、僕の髪をぐしゃっとする。 「大人の遊びってもんを教えてやるよ」  生徒会役員の金切り声も聞こえなくなるほどに、僕の頭はぼおっとしていた。   ***   「ふぁ............気持ちい」 「ふぅ......」   少しばかり声が大きかったのか、険しい顔つきのおじさんに咳払いされてしまう。   ――――――――僕は今、タイルに描かれた美しい富士山を眺めながら、少し熱めの湯に浸かっていた。    葉新さんにとって大人の遊びとは、まずはひとっ風呂浴びることらしかった。 「でも、たまには大きなお風呂もいいか」  一旦状況を整理したい。  葉新さんは、現在おそらく子を授かっている。 仮にまだ授かっていなくても、これからということなのだろう。  問題は今おなかの中に赤ちゃんがいて、それにまだ葉新さん自身が気付いていない可能性があることだ。きっと妊娠していれば、赤ちゃんに悪影響が及ぼさないために、気をつけないといけないことがたくさんあるはずで。  あまり激しい運動をするのはよくないだろうし、学校の体育とかは大丈夫なのだろうか。  食べ物だって、偏ったものばかり食べていたらダメだろうし。  心配事が頭の中でぐるぐると駆け回る。  でも、僕が考えても仕方がないことか。  ――――だって、葉新さんの子供は、僕の子供じゃない。  それだけは確かだ。  ――――でも、自分の好きな人には幸せになってもらいたい。  別にそれでいいじゃないか!  葉新さんが、僕の天使が幸せになるのなら、もうそれで十分じゃないか。 「おいっ!! うるせぇぞ!」 「すっ、す、すみません!!」  僕は早々に湯船から飛び出した。   ***   「コター?」 「は、早乙女さんっ――」 「あ? なんだよ」  お風呂上りの葉新さんの頬はうっすらと赤らんでおり、完全に乾ききっていない髪から首筋へと滴がしたる。 「か、髪が、その、ち、違ったので」  このリアクションはさすがに自分でも気持ち悪いと分かる。 「髪? ああ暑いから後ろでまとめてんだよ」  何の気なしに後ろを振り向くと、葉新さんはクリップで留められた髪を持ち上げてみせる。  石鹸の優しい香りが僕の鼻腔をくすぐった。  目のやり場に困り、僕はつま先へと視線を逸らしてしまう。 「そ、そうなんですね」  葉新さんはしたり顔で僕を見てくる。 「お前さ、今エロいこと考えただろ?」 「そっそ、そんな!! か、考えて――」 「今嘘ついたら二度と一緒に風呂行ってやんねぇぞ?」 「めちゃめちゃ考えてました」 「急に真顔になんなよ。気持ちわりぃな」 「葉新さんが、う、嘘つくなって!」 「だ、か、ら!! 下の名前で呼ぶなっつってんだろ!」  葉新さんは僕の頭を小突く。 「す、すみません」  葉新さんが嫌なのは分かるけど、僕からすると凄く素敵な名前だと思ってしまうのだ。 「よしっ! 風呂入ったし、次は飯だな飯っ」  お風呂に入ったからなのか、いつになくご機嫌な葉新さんは、暗くなりはじめた商店街へと僕の腕を引っ張っていく。   ***   「いやっ僕はね、葉新っていう名前も凄くかわいいと思うんですよ!」  油っぽい真っ赤なテーブルに、僕は握ったこぶしを振り下ろした。  卓上に置かれた調味料達が、ガシャンとそれぞれの音階を奏でる。 「おいっ! やめろって!」 「やめませんよ! 葉新さんがあおってきたんでしょ?」  ぐっと眉間にしわを寄せると、葉新さんはジンジャーエールを一気にあおる。 「もちろん見た目が美しいのもあるけど、やっぱり一番は心の美しさ! 葉新さんは覚えてないかもですけど、僕は何度も助けーー」 「とりあえず落ち着けって!」   葉新さんは僕の口に餃子を2つ押し込んでくる。 「お前酔っぱらってんのか?」  酔っぱらうも何も、僕もジンジャーエールしか飲んでいない。 「......んっ。葉新さんが悪いんですよ!? じゃあなんで告白してこないんだよとか言うから!」 「だから悪かったって!」  幸い店内はがやがやと活気があり、僕たちが少しくらい大きな声を出しても目立たない。  いくら葉新さんでも、なんで告白してこないのかなんて言われたら僕だって腹が立つ。  そりゃ告白なんてできるわけない!  ――――だって迷惑じゃないか! ......葉新さんには心を許した人がいるのに。  それなのに、葉新さんに好きだなんて言えるだろうか。  一番伝えたいはずの気持ちを伝えられなくて、苦しくて......でも苦しいなんて葉新さんには言えなくて。 「と、に、か、く!! 葉新さんは僕にとっての天使なんです! もうこのことは認めてください!」 「み、認めるってなんだよ......」 「いいから!」 「分かったって! 天使でもなんでもいいから! はずいからもう黙れ!」 「分かったならいいです。でも僕は絶対に葉新さんに告白しませんから!!」 「......なんだよそれ。べ、別に告白してもらいたいなんて……言って、ねぇだろ」 「........................あ、そっか」  もう恥ずかしさで死ねる。 「店出るぞ。まじではずいわ」 「す、すみません。か、会計は僕が! ――――――すみません」 「なんだよ?」 「さ、財布落としました......」 「奢るからいいって」   ああ、もう死にたい。   ***    店を出れば外はすっかり暗くなっており、体の芯から冷えるような寒さだった。 「っち」 「さ、寒いですね」  街頭に薄ぼんやりと照らされながら、僕は葉新さんの一歩後ろをついていく。 「本当にすみません......」 「何回謝んだよ! ......私も悪かったから」 「は、葉新さんはなにもっ――」 「お互い悪かった! ってことでいいだろ」  やっぱり葉新さんは優しい人だ。    それにしても、はあっと白い息をはく葉新さんの格好はとても寒そうに見えた。  ブレザーの上着は着ていても、下にセーターは着ておらず、コートなども持っていない。  これも何かおしゃれへのこだわりなのだろうか。  僕なんて、まだ11月になったばかりだというのに、真冬用のコートを着込んでいた。 「は、葉新さん。寒くないですか?」 「あっ? 普通にさみぃよ」  そこは寒いって言うんだ。 「葉新さんの家って、ま、まだ、遠いですか?」 「ああ」 「..................そ、それなら」 僕はコートを脱いで、葉新さんへと手渡す。 「いらねぇ」 「で、でも」 「お前が風邪ひいたら私が嫌な気分になんだろ」  コートを脱いだというのに、頭からつま先まで僕の体は熱くなっていた。  僕は、もう日が沈み切っていることに心から安堵する。 「そ、それなら、も、もうあそこが僕の家なんで、う、上着取ってきますから!!」 「いや別に――」  僕が急いで玄関へと向かうと、どこかで見かけた女性が佇んでいた。 「あっ田中さん! お待ちしておりましたよ!」  そこには初めて出会った時と同じような、絵にかいたような笑顔をみせるミキさんがいた。 「誰だよ」  葉新さんの冷え切った声が、背後から僕の心臓を貫く。 「い、いやっ」 「田中さん! ぜひお宅にお邪魔させていただけませんか?」 「帰る」  ブレザーのポケットに手を入れ、葉新さんは素早く踵を返す。 ーーーーなぜそんな顔をするのだろうか。  静寂に包まれた住宅街の中、僕はただ、段々と小さくなっていく葉新さんを見つめることしかできなかった。   ***    翌日、僕と葉新さんは体育倉庫の整理をさせられていた。  昨日葉新さんが公園のゴミ箱の中身を袋に入れていたと、生徒会役員からチクられたのだ。  ちゃんと拾ったゴミだってあったのに。 「ま、また掃除なんて、やんなっちゃいますね」  僕は葉新さんの顔色を窺う。  葉新さんはジャージ姿でも相変わらず美しいのだが、僕への反応は一切ない。  やっぱり昨日の件がまずかったのだろうか。 「あっ、あの、き、昨日のこと怒っ――」 「怒る? どういう意味だよ」  めちゃくちゃ怒ってる。 「す、すみません」 「すみませんってなんだよ。彼氏面かよ」 「............」  本当にそのとおりだ。  別に僕と葉新さんは付き合っているわけでもなんでもない。逆に変な気を遣うことの方がよっぽど気持ち悪いのだ。  昨日からすべての行動が裏目に出ている気がする。 「今日はもう話しかけてくんな」 「...............はい」  黙って掃除を再開しようとしたその時、葉新さんは突如としてバランスを崩すと、近くにあったボールかごへ倒れ込んだ。 「だ、大丈夫ですか!!」 「ってぇ。大丈夫だから話しかけ」 「は、葉新さん! あ、足っ! 足に血が!!」    葉新さんの太ももには、黒々とした血が伝っていた。  目を大きく見開くと、半開きのドアにぶつかりながら、葉新さんは倉庫から飛び出していく。 「ちょ、ちょっと!? 葉新さん!?」  僕はつんのめりそうになりながらも、もつれた足で葉新さんを追いかけた。   ***   「はあはあっ............んっ......はあはあ、は、葉新さん! びょ......はあ、病院に」 「はあはあ......こんくらいで行くかっつうの! 馬鹿か! はあ......お前は!! はあはあ......」  葉新さんと追いかけっこをしているうちに、気が付けば屋上にまで来ていた。 「はあはあ......ち、違うんです! はあはあ、葉新さん、も、もうお腹見せてください」 「は、はあ!?!?」  雷様におへそを取られまいとする子供のように、葉新さんは両腕で下腹部を抱きかかえる。  葉新さんのお腹は昨日よりも明らかに強く光っていた。  一歩ずつ僕が近づくごとに、葉新さんはじりじり後ろの金網へと下がる。 「隠さないでくださいっ! 僕はもう知ってるんです!!」  さらに一歩近づこうとした瞬間、葉新さんの聖なる前蹴りが僕のお腹にさく裂した。 「いい加減にしろっ!!」 「うっ…………」  僕は衝撃で地面に片膝をつくと、追撃を食らわぬよう、右手を前に突き出した。 「いやっ、ち、違うんです!! そ、そういう変な意味じゃなくて!!」 「ば、ばかにすんなよ! へ、変な意味じゃなくて、人に腹見せろってなんだよ!!?」   ーーーーーーもう言うしかない。   「は、葉新さんは妊娠してるんですっ!!!!」 「は?」  葉新さんはぽかりと口を開けたまま、僕を見つめる。 「だから葉新さんは、と、虎の子を妊娠してる? ですっ!」  僕は多分、最初で最後の受胎告知をした。 「は?」  葉新さんの表情は先ほどから一ミリも変わらない。 「いやっ、だから、血も出ちゃって――」 「いや、これ生理」  秋らしい乾ききった風が、僕のもとをさらりと通り過ぎていった。   ***   「お前の言う偽テレサって、うちの地区の司祭だろ?」  葉新さんは胸元から十字架のペンダントを取り出す。 「あっ、僕がもらったやつ!」 「入信した証だな」  えっ、葉新さんも信者なの? 「そ、そのミキっていう昨日家の前にいた女の人に、無理やり連れていかれて!!」 「ふーん」  葉新さんは目を細める。 「で、その日の夜にお告げがあって」 「私にガキができたって?」  僕は首が取れそうになるほど頷いた。 「いやバカ言うなよ」 「で、ですよねー」  改めて考えてみれば、こんな話を信じてもらえるわけがない。 「てかお前、もしかして私に男がいるって思ってたから、昨日」 「あっ、いやっ、あれは! そ、その...............はい」  葉新さんは声を上げて笑った。  そんなにバカにしなくてもいいじゃないか。  こっちだってそれなりに、必死になって悩んでいたのだ。 「わりぃわりぃ。いやっでもお前私のこと好きすぎんだろ」 「いやっ、まあそれは......否めません」  葉新さんはふっと真剣な顔つきになると、僕をじっと見つめる。 「案外、お前のガキだったりしてな」 「........................え?」  僕は訳が分からず、にやにやしている葉新さんを見つめることしかできない。 「コタ、お前の名前は?」 「――――田中虎太郎です」  僕はその意味が分かると、体中の熱が一瞬にして耳に集まるような感覚に襲われた。  胸に手を当てなくともドクドクと強い鼓動を感じる。 「ばーか」  葉新さんは踵を返すと、さっさと階段を降りていってしまう。    もう新興宗教でもなんでも入信しますから!    ああっガブリエルさまっ!   もう一度だけ、僕に神のお告げを!!                                              
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