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子供は驚いたように再び女性に顔を向けた。その子から出ていた禍々しさは全て消え、口は半開きになっている。
女性の手は、最初より何倍も震えていた。蛙を怖がっているのか、寒さに耐えているのか。手の震えとともに瞳も揺れている。それでも彼女はしっかりと優しく、子供の足を押さえていた。
「お願いだから、じっとしてて。無理に抜け出そうとすると余計に血が出ちゃうから」
切なく慈愛に満ちた声。それを聞いた子供は、ようやく動かしていた足を止めた。首を下向きに折り、置物のようにじっとする。
雨粒で手が滑る中、女性はゆっくりとした慎重な手つきで、子供の足を溝から引き抜いた。その足には切り傷の血が滲んでおり、所々に痛々しい痣ができている。
女性は傘を持ち上げ、子供の上に差した。彼女は躊躇いの雰囲気を出しつつも口を開く。
「……私の住んでるアパートがすぐそこにあるから、よかったら手当てするよ。知らない人の家に上がるなんて、おうちのかたが心配するだろうから、もちろん無理にとは言わないけど」
子供は雨粒を滴らせながら、かぶりを振る。女性が心配そうな顔をすると、子供は小さく「いない」と言った。子供が初めてちゃんと言葉を発した瞬間である。女性は目をパチクリさせた。
「え?」
「親。いない」
「……いないの? じゃあ家はどこ?」
女性が戸惑ったように尋ねると、子供は間髪入れず「ない」と呟いた。
「ない……」
彼女はおうむ返しをし、子供の顔をまじまじと見つめる。すると何かに気づいたのか、ハッとしたように子供の濡れた髪を触り、それをその子の耳にかけた。
露わになったその子供の耳は、斜め上に向かってツンと尖っていた。まるでエルフの耳だ。
「そういえば、さっきの蛙……見間違いかと思ってたけど、まさか……」
女性は低い音程で言うと、子供の耳を髪で再び隠した。そしてその子の肩に手を置く。
「ねえ、とりあえず私の家においで。手当てしたいし、あなたは隠れたほうがいいと思う」
子供の返事を待たず、彼女は起立した。傘を持ちながら、不慣れな手つきで子供を抱き上げる。
緊張した面持ちの子供に対し、女性は優しく背中を撫でた。
「心配しないで。私はあなたの味方だよ」
子供が顔を上げる。冷たい空気に鼻を赤く染めた女性は、子供に対してそっと微笑みかけた。
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