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……あ。
星羅が席を立って、エレベーターホールに向かったのが見えた。
急いで後を追う。
「くそっ」
星羅が乗ったエレベーターには乗れなかった。
この時間に下に降りたってことは、一階にあるメール室に向かったんだ。
もう一機のエレベーターは、まだまだ到着しそうにない。
俺は全力で階段を下った。
「星羅!」
メール室に入る前に、大きな声で星羅を呼ぶ。
星羅の足が、ピタッと止まった。
「あ、西原君! 昨日はありがとう!」
呼吸を整えながら、星羅の前まで向かう。
肩で息をしながら、何とか声を振り絞った。
「星羅、どういうことだ? どうして俺、異動になってんだよ?」
「え? 覚えてないの? 西原君に提案したら、あっさり承諾したじゃない」
「待ってくれよ。昨日、酔った状態の俺に、その話したのか?」
「あれ、西原君、酔ってたの?」
白々しい星羅の笑顔。
普段は輝かしい天使のような笑顔だと思っていたけど、今はわかる。
この美しい外面の内側には、悪魔のような非情さが隠れていたのだ。
「星羅! 騙したんだな!」
興奮を抑えきれず、詰め寄ろうとする。
すると、すぐに何者かが俺の襟を掴み、そのまま投げ飛ばされた。
「いってぇ……」
俺を軽々投げ飛ばしたのは、まもる課のガタイのいいSPみたいな男だった。
男は俺を蔑むように見下ろし、ゆっくりと口を開けた。
「お前は会社に何の利益ももたらさないお荷物だ。そんなやつに、無駄な給料を与えるわけないだろう」
「だ、だからって、こんな下劣なやり方しなくてもいいだろう!」
俺の声を聞いた星羅は、クスッと笑って俺の前まで来た。
大柄の男と並んで、見下している。
「星羅、昨日言ったよな? これは仕事じゃないって!」
「仕事じゃないなんて、一度も言ってないわ。あなたのモチベーションを上げるために誘ったわけじゃないって言ったの。私の仕事、モチベーションを守るだけじゃないから」
大柄の男もニヤッと笑った。
そして「天使係の仕事は、真面目に働いている社員を脅かす無能社員を排除する役割もある」と、星羅に代わって言葉にした。
そんな……俺は勘違いしていたのか。
てっきり、男社員のモチベーションを守るのが星羅の仕事だと思っていた。
でも、違う。
確かに、モチベーションを上げるために誘ったということは否定していたけど、あの飲み会が仕事ではないということは否定されていない。
俺を酔わせて、無理に印鑑を押させるのが……星羅の任務だったのか。
「西原君、次の部署では、自信を持って頑張ってね!」
星羅はそう言い残して、俺の目の前から消えた。大柄の男も一緒だ。
広いロビーで、小さくうずくまる。
「……窓際族ばかりの部署で、どう頑張ればいいんだよ……」
虚しく独り言ちた俺。
シーンと静まっている空間で、エレベーターが開く音がした。
中から昼ご飯を買いに行こうとする会社中の社員が、ぞろぞろと降りてくる。
あいつらはきっと、まもられる側の人間なんだ……。
ようやく立ち上がった俺は、テキパキ動く人間たちの波を掻き分け、営業三課のデスクまで向かった。
〈了〉
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