いつか大地に根を張って

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大好きだった柊人が死んだ。 初めて結ばれた日の翌日、彼は車にはねられた。柊人の信号無視だったらしい。 私はその知らせを彼の部屋で聞いた。彼のシャツを羽織り、彼の匂いに包まれて、昨日の思い出に浸っているときだった。 電話を受けた瞬間、世界が急に遠くなり、身体の全機能が暴走しているような、奇妙な感覚に襲われた。 電話のあと、私がしたことといえば、我ながら滑稽である。 柊人の部屋から、唯一「生きている」ものを持ち帰ろうと思った。私の顎ほどの高さがある、窓際に置かれたパキラの鉢植え。 その幹にそっと触れてみた。植木鉢の土からまっすぐに伸びた四本の幹が三つ編みのように絡まり合っている。…いや、正確には四つ編みだけど。まあ、そんな細かいことはどうでもいい。 私はその幹をそっと撫でた。ひんやりと乾いた感触が指先に伝わる。 昨夜、柊人の背中に指先を這わせたときの感覚がふと蘇り、ぞくりとした。 その瞬間、パキラの幹に柊人が宿っているような、そんな錯覚に襲われた。 訃報を受けた二日後、私は葬儀場にいた。 黒い服に包まれた見知らぬ人たちの中、線香の匂いが喪服に染みつくのを感じる。 お坊さんが腹の底から絞り出すように響かせるお経が、堂々と空間を満たしている。 僧侶は深い紫の法衣に、龍や牡丹を思わせる金色の模様があしらわれた赤い袈裟を肩から掛けている。 広い背中の向こうから、ひょっこりと柊人の霊体が現れたりしないかしら。 その瞬間、ふっと風が吹いた。 室内であるはずなのに、確かに髪が揺れたのだ。驚いて周りを見回すが、誰も気づいていない様子で、皆一様にうつむいたままだ。 私は目を閉じ、心の中で強く念じた。 ――柊人、そこにいるの?いるなら、もう一度髪を揺らして… 風は吹かなかった。髪も動かなかった。 諦めきれずに何度も粘り強く呼びかけてみたが、それきり何も起こらなかった。 柊人と出会ったのは場末のホストクラブだった。友達の玲子に誕生日祝いだと無理やり連れて行かれたその店で、柊人はどこか居心地の悪そうな顔で座っていた。 中学生が自分でブリーチしたようなまだらな金髪と、不健康なほどの透けるような肌の白さ、幼さの残る頬に私は危うさを感じた。 「ねえ、君いくつ?」 つい補導員みたいな真顔でそう聞くと、「お姉さんより六個くらい若いよ」 と、突然へらへらした顔で返してきた。 薄くて切れ長な目は笑うと一気にあどけなくなる。 なんだか気持ち悪い奴だなと思う反面、なぜか目が離せなくなる。 「私、二十三なんだけど。六歳下ってことは…十七歳ってこと?」 「そう、十七…。あっ!やべ!」と言った瞬間、柊人は慌てて口を塞ぎ、耳元に唇を寄せて 「これ、二人の秘密ね」と囁いた。 クッソガキじゃん! 若いとは思ってたけど、まさか未成年とは。この店の管理はどうなってるわけ? 私が思わず睨みつけると、柊人はそれを見逃さずに、 「誕生日なんでしょ。玲子ちゃんから聞いたよ。おめでとう、ちいちゃん」と上目遣いで微笑んだ。 心臓が鼓動を立て、体の中で暴れ出すような感覚に襲われた。 やめてよ、こんな子どもにときめくなんて、さすがにださすぎる。 柊人がグラスにシャンパンを注ぎ、グラスを掲げて乾杯を促してきた。 「あんたは飲んじゃダメでしょ」 私は慌てて、柊人の手からグラスを奪い取った。その様子を見て、柊人はおかしそうに笑う。 「ちいちゃんは僕の保護者じゃないんだから、そんなことしなくていいんだよ」 「だって…!」 ――もうあんたの年を知っちゃったんだから、放っておけないでしょ―― 柊人に近づいて小声で言うと、第三ボタンまで開けたシャツから安っぽいコロンの香りが漂ってきた。どこか危なっかしくて、見ていられない。思わず手を伸ばし、シャツのボタンを一つそっと閉じた。 「ちいちゃんって、真面目でいい人なんだね」 柊人は、魅力的な異性を褒めるときには使わないような言葉で私を形容すると、どこか寂しげに微笑んだ。 それが私と柊人の出会い。そのすぐ後、柊人はホストクラブをやめたと、玲子が雑談の中で、何かのついでのように言った。 「なんか、親にばれて連れ戻されちゃったみたいだよ」 玲子は特に興味もなさそうに言っていたが、私が 「え、そうなの?」 と驚きを滲ませて聞き返すと、 「あれ、もしかして千尋、彼のこと気に入ってたの?」と身を乗り出してきた。 「そんなんじゃないです。ただ、心配はしてたかな…」 「心配?」 「だって、あの子、本当は未成年なんでしょ?あんなところで働いてていいのかなって思ってたから…」 私がそう言うと、玲子は目を見開き、ぶはっと息を吐いて笑い出した。明るい茶色に染めた髪が肩で揺れている。 「やだなぁ、あれ、柊人君のやり口よぉ。柊人君って若く見えるけど、ちゃんと成人してるのよ。未成年を装って女の子の態度を見て楽しんでるの。千尋にも言ってたんだ」 ほんと、なんてやつだ! 心配して損した。からかわれていたことに気づき、むかむかしてきた。 「あ、でも、柊人君、千尋のこと気に入ってたのね」 「え?」 「だって、柊人君、気に入った子にしか、それ、言わなかったもの」 「何それ、全然嬉しくないんだけど」 私は興味なさそうに答えたが、あの日からずっと、頭のどこかで柊人のことが気にかかっていた。 もちろん心配していたのは事実だけど、それだけじゃない気持ちが、確かに心の奥に残っていた。 「あの後、街で偶然会ったよね。本当に驚いた」 柊人の部屋から持ち帰ったパキラという観葉植物に向かって、思わず語りかける。 乾いた土が目に入り、水をやった。ぐんぐんと水を吸い込んでいく様子は見ていてなんだか気持ちがいい。 「金髪で、猫背で、だらしない恰好だった柊人が、すっかり別人みたいになってたからびっくりしたよ」 パキラの柔らかな葉に触れながら、話を続けた。 「艶やかな黒髪で、仕立てのいいスーツを着て、一見、立派な社会人に見えたけど……目を見たら何も変わってないの。心細そうな、子どもみたいな目だった」 柊人と再会したのは、外回りを終えて駅から会社に戻る途中のことだった。 柊人は先輩らしき男性と並んで歩いていて、私は彼があまりに変わっていたから、気付かずにその場を足早に去ろうとしていた。 そのとき、ふいに「ちいちゃん?」と呼ぶ声がして振り返ると、スーツ姿の見覚えのある顔があった。 夏が始まろうとする季節、新緑をたっぷり茂らせた木々が、柊人の従者のように背後に控えていた。 「柊人?」 前髪を上げてのぞいた額には、彼の若さがまぶしく写し出されている。 「ちいちゃん!」 母親を見つけて駆け寄る幼子のように、柊人は無邪気に顔をほころばせてこちらに近づいてくる。私は、隣の男性が彼のこの行動をどう思うかが気になってしまう。 ああ、仕事中なのに大丈夫かな。しかも、「ちいちゃん!」って。 そんな私の心配をよそに、柊人は満面の笑みで目の前に立った。 「ちいちゃん!会いたかった!名刺渡したのに、ちっとも連絡してくれないし、こっちはちいちゃんの連絡先を知らないし…。もう二度と会えないかと思った」 「今は会社勤めしてるんだね」 私は言葉少なに返した。 「うん。父さんにバレて、お店辞めさせられちゃった。それで今は父さんの会社で働いてる。…この世で一番似合わないものになろうとしてる」 柊人は少し寂しそうに微笑む。その表情が、あのときと同じだ。 ふと、柊人の少し後ろで彼を待っている男性に目をやる。三十を少し超えたくらいだろうか。若さの中に精悍さがあり、いかにも「できる男」といった雰囲気が漂っている。柊人と並ぶと、お守り役のように見える。 彼は私の視線に気づき、軽く会釈した。私も控えめに微笑んで軽くお辞儀をする。 「あっ!だめだよ、ちいちゃん!原田さんは既婚者なんだからね」 何を勘違いしたのか、柊人がぷくっと頬を膨らませて語気を強めた。 いやいや、あんたが先輩をほったらかしにして話し込んでるから気を遣ったんでしょうが! 「柊人、ごめん。私、もう仕事に戻らなきゃ。また、連絡する」 名残惜しい気持ちもあったが、とりあえずその場を切り上げることにした。 「絶対電話してね!」 縋るような目で柊人は言った。 「うん、またね」 柊人の頼りない薄い肩を軽くぽんと叩き、その場を去った。 その日の夜、私は柊人に電話をかけた。 ワンコールでつながり、こちらが声を発する前に「ちいちゃん!」とはしゃぐ声が聞こえた。 まったく、電話の相手が私じゃなかったらどうするつもりなのよ。 「柊人?電話、かけたよ」 言われたから仕方なくかけたというポーズで、素っ気なく返した。本当はとてもどきどきしていたのに。 「ありがとう!嬉しい!」 柊人の素直さについ口の端が緩む。 「それより、びっくりしたわ。あの柊人がまさか会社員になってるとはね」 「はは。まじそれな。俺もびっくり」 柊人は他人事のように笑った。 「いつから今の仕事に?」 「んー、二カ月くらい前かなぁ?」 「そっか。せっかく始めたんだから、頑張ってよ」 柊人を前にすると、なぜだか年上ぶって、つい指導者みたいな口調になってしまう。 「はい!頑張るからさ、ご褒美ほしいな」 柊人の甘えた声に耳がくすぐったくなり、自分で自分の体をぎゅっと抱きしめた。 「何か欲しいものでもあるの?」 「あのね、今度会ったら、ハグしてほしい!」 あっけらかんと言う柊人に思わず苦笑する。しかもハグってところがかわいすぎる。 「って言うか、会う前提なのね」 「そりゃあ、もちろんそうだよ。ずっと会えなくて寂しかったんだから、それくらいいいでしょ」 なんだか威張ってそう言う柊人が面白くて、つい意地悪をしたくなる。 「そもそも、お店で一回会ったきりじゃん。ただのお客になんでそんなこと言うのよ」 しばらく沈黙が続いてから、柊人がいつになく低いトーンで言った。 「僕が十七歳って作り話したときに、本気で心配してくれたお客さん、ちいちゃんくらいだったんだよね。みんな笑って流したり、聞こえなかったふりしたり、面白がって茶化したり。真面目に心配されるのって、初めてでちょっと嬉しかったんだ」 寂しそうに見えたあの微笑みは、戸惑いもあったからなのか。 「あー、それにしても会社員って本当に疲れるよね」 柊人が突然話を切り替え、ため息交じりで言った。 「そう?ホストの方がよっぽど大変そうだけど…」 「あはは。俺って真人間じゃないんだろうなぁ。親父はワーカーホリックの堅物だし、母さんは…まあよく分かんない人だけど、俺とはまったく違うしさ。ちいちゃんは真面目に働いててすごいな」 「私はそれしかできないから会社員やってるだけだよ。他にできることもないし。規則正しい生活は苦にならないから、ちょうどいいのよ」 私たちは他愛もない話を続け、週末に会う約束をして電話を切った。 柊人は最寄り駅まで車で迎えに来てくれた。小さなグリーンの軽自動車から降りた柊人は少し恥ずかしそうに、 「狭い車ですが、どうぞ」 と言って、助手席のドアを開けてくれた。 お給料で買った中古車だという。乗り心地が悪くて、パワーもない、狭くて小さなその車が愛おしかった。 その日、私たちは手をつないで海辺を歩いた。 柊人の指は細くて長く、少し引けるくらい白くてすべすべしている。 それから彼の望み通りハグをしたのだけど、なんだか力が入っていて、二人の間には微妙な距離があった。そのぎこちなさがなんだか可笑しかった。 次に会ったとき、帰り際に柊人はお行儀よく唇を重ねてきた。物足りなさに少し肩透かしをくらったような気分のまま、彼の小さな笑みに胸が甘く締めつけられる。気恥ずかしそうに目をそらす柊人が、妙に可愛かった。 その次は食事に行った。柊人はグラスワイン二杯で目の淵を赤く染めていて、 「そんなにお酒弱くちゃ、そもそもホストは無理だったでしょうに」とからかうと「うるさいなぁ」と拗ねたように言いながら顔を近づけてくる。 彼の近くで感じる、無邪気であるのにどこか上品な雰囲気に胸が甘く締めつけられた。 期待が膨らむ私に、「ちいちゃんだって赤くなってるじゃん」とふいに耳の後ろに手を差し込まれて、叫びそうになったのは秘密の話。 こうして、私と柊人は少しずつ、もどかしさを抱えながらも、恋人同士になっていった。 柊人のお葬式から一週間が過ぎた頃、玲子から電話があった。 「千尋?元気してる?柊人君のこと、残念だったね。あんた、仲良くしてたみたいだけど、大丈夫なの?」 玲子には、柊人とたまに会っていたことは話していたけど、付き合い始めたことは話していなかった。 「大丈夫よ。そりゃ少しは驚いたけど、そんなに深い仲でもなかったしね」 弱いところを見せたくなくて、柊人との関係を玲子には隠したまま、平然を装う。 「そっかぁ。ならいいんだけど、驚きよね。まだ若かったのに」玲子は残念そうに声を落とした。 「柊人君って、ああ見えて実はお坊ちゃまだったみたいね。お父様がかなり大きい会社の社長だったんですって。そりゃホストなんてやめさせられるわよね。親が決めた婚約者もいたらしいわよ。二十五歳になったら結婚する予定だったんだって」 初めて聞く話に、胸が衝かれる。 「何それ。単なるうわさ話でしょ」 精いっぱい平静を装って返したが、本当は手のひらに汗がじっとりと滲んでいた。 「それがそうでもないのよ。お店の外で、柊人がお嬢様風の清楚な美人と親密そうに話しているのを見た子が何人もいるのよ。子どもみたいな顔して、柊人もやるわね」 その後も玲子の話は続いたけど、私は生返事を繰り返すことしかできなかった。 電話を切ったあと、私はソファにもたれ、しばらく放心状態になっていた。 ふと窓際のパキラと目が合った気がした。もちろん、パキラに目があるわけじゃないが、弁解でもするような気配がする。 「婚約者がいたなんて聞いてないわよっ」 思わず握りしめていたスマホをパキラに向かって投げつけた。スマホは幹に当たり、カタンと床に落ちた。 スマホが当たった衝撃でパキラの葉が揺れている。まるで泣いているように見えた。 柊人が死んだ後も、私の日常は待ってくれない。 毎日同じ時間に起きて、同じ電車に乗る。心にぽっかり穴が空いたようなまま繰り返される日々は、食べごろを過ぎて水分が抜けきった林檎のように歯ごたえがない。 終業時間になり、周囲に「お疲れ様です」と言って会社を出た。 かつては、誰よりも早く帰るのは気が引けたものだ。でも、今は他人の目を気にする余裕もない。日常を維持するだけで精いっぱいだ。 朝から降り続く雨で、地面がぬらぬらと光っている。傘を差して歩き出そうとしたとき、急に若い女性の声で呼び止められた。 「突然すみません。神崎千尋さんですか?」 振り返ると、ふわふわと甘い雰囲気をまとった可憐な女性が立っていた。怪訝に思いながらも「はい」と返事をする。 「私、長内柊人の婚約者だった貝原優菜と申します」 甘い見た目とは裏腹に、芯の通った話し方をする人だ、と感じた。どこか、威圧的な空気すら漂わせている。 玲子が言っていたことは本当だったんだ。柊人には婚約者がいた。 私は他人事のように、貝原優菜を見つめた。 「生前、柊人がお世話になったようで、ご挨拶に伺いました」 優菜は微笑んでいるが、目元は固く引き締まっている。 「いえ、お世話なんて…」 優菜は私と柊人の関係を知っているのだろうか?もし知っているとすれば、どうやって? 「どうして、という顔をしてますね」 優菜は意地悪そうに口角を上げた。 「スマホですよ。柊人は歩きスマホが原因で事故にあったんです。あなたに送る文を打ちながら…。浮かれていたんでしょうね」 優菜はバッグからスマホを取り出し、画面を開いた。 「あなたに送る途中だったメッセージのスクショです。どうぞ、見てください」 私は恐る恐るスマホを受け取り、画面を確認した。 ――ちーちゃん、昨日はありがとう。本当はもっと一緒にいたかったのに、休みの日まで仕事で呼び出されるなんて本当にツイてない。早く終わらせて帰るから、絶対に部屋で待っててね。ちーちゃんに話したいことがあるんだ。まだ話せてないことがある。でも、僕を信じて―― そこでメッセージは途切れていた。柊人の真っすぐな言葉に胸が締め付けられる。 「本当はこんなものあなたに見せたくもありません。私のプライドはズタズタに傷つけられたんです。でも、あなたには一生この重荷を背負ってもらわなければ気が済みません」 優菜は顎を上げ、目を細めた。 「所詮、あなたとの関係なんて遊びにすぎない。時が来たら別れなければならなかった。それなのに、柊人は浮かれて、こんなくだらないメッセージをあなたに送ろうとして、不注意で事故に遭い、そして死んだ。その経緯をあなたはちゃんと知っておくべきです」 優菜の瞳には怒りが燃えている。優菜にとっても柊人は大事な人だったのだろう。私を憎んで当然だ。 優菜はふうっと息を吐くと、顔を上げてきりっとした表情で言った。 「話は変わりますけど、あなたが柊人の部屋に行ったとき、リビングの窓際に観葉植物って置いてありました?一メートルは超えてたからあれば目に入ると思うのよね」 観葉植物についての質問には、何か理由があるような気がした。私は知らないふりをした。 「さあ…。なかったと思いますけど。どうしてですか?」 優菜は少し思案するように目を伏せてから、顎をわずかに上げて話し始めた。 「あの観葉植物…、パキラという種類なんですけど、柊人は大事に育てていたんです」 優菜は少し息を整えるようにしてから、遠い目で語り始めた。 「柊人は少し寂しい家庭環境で育ちました。お父様は家庭を顧みず、お母様もあまり柊人に関心を持っていなかったんです」 どこかいつも不安げで寂しそうな柊人の横顔が思い浮かび、胸が痛んだ。 「小学生のときに、柊人は自分のお小遣いで小さなパキラを買ったんです。それを大事に育てて、何倍もの大きさにしたんです。きっと彼にとって、あのパキラは居場所を探す自分自身のようなものだったのかも知れません。『いつか大地に根を張らせたい』って言ってたし、もしかしたら実家の庭にでも植えたのかも知れません。ご両親に確認してみます」 優菜は言いたいことだけ言うと、くるりと背を向け足早にその場を去って行った。 その日から、私はパキラのことを今まで以上に大切にした。 水やりや肥料は適切なタイミングと量を守り、成長期には新しい葉を迎えるように、余分な枝葉をそっと切り落とした。さらに、パキラが一回り大きくなったときには、新しい鉢に植え替えもした。 毎日のようにパキラの前に座り、一日の出来事を話しかけていると、柊人が目を細めて微笑んでいる気がしてきた。 いつか柊人が望んでいたように、この子を大地に根を張らせることが、私の夢となっていた。 あれから五年が経った。 私は会社勤めを続け、郊外に庭のある一戸建てを購入した。 私の背丈を追い越したパキラを抱え、庭に出る。日当たりの良い、気持ちの良い空間だ。 「柊人、いよいよこの子を大地に植える日が来たよ」 パキラを地面に置き、感慨深い気持ちでそう話しかけた。 「ねえ、ママ、誰とお話してるの?」 足元からひょっこりと緑人が顔を覗かせる。誕生日がくれば五歳になる私の子どもだ。 「あら、ごめんね。ママの大事な思い出の人とお話してたのよ」 「ふうん。どこにいるの?」 「お空のもっと高いところかな?」 「すごいね!ママ、その人とおしゃべりできるの?」 「そうなのよー」 「ママ、かっこいい!」 緑人はそう言って、柊人にそっくりな無邪気な笑みを浮かべ、手足をばたつかせて笑った。 その瞬間、私を優しく抱き寄せるように、温かな風が吹いた。私はその風に身を委ね、そっと目を閉じた。 ――柊人、ありがとう。あなたとの出会いで私はかけがえのないものを手に入れたよ。私とこの子をずっと見守っていてね。
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