ひとつの魔法

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 昭の心境と違って村の朝は涼しく生き生きと太陽を覗かせていた。昭はお金を押し付けられた後から、帰り道はポケットの中、風呂の後は自分の鞄の奥底、眠る時は枕の下に銭を入れ、バレないようにと不安でほとんど眠れずにいたのだ。昭は自分の小遣いをきちんと持っていたし、その中に混ぜることも出来れば、万が一多いと訝しがられたとして母親が息子を罪人だと決めつけることもなかっただろう。昭は本の読みたさに手伝いを少しサボったり、通るなと言われた道をこっそり歩くこともままあった。だとしても金を盗るなどというはっきりした犯罪に手を染めたことはなく、それが今、千尋の声一つでその疑いがかかると言うのだ。こんなにズボンが重たかったことはないと、昭は重い足を走らせて村の西へと朝一番に走った。  昭の母親はいつも通り朝は伏せたままで、昭は叔母を手伝って食事を運んだり水を汲むと、昨日ちゃんと挨拶出来なかったからと適当に言って早々に叔母の家を出た。道すがら既に畑仕事や農作業をしている人に挨拶を交わし、まだ閉まっている貸本屋に辿り着く。  ガラス戸が叩かれれば、昨日初めて聞いたようなはっきりした通る声が返ってきた。 「はあい」 「佐々木昭です。来ました」 「ああどうも」  かんかんかん……と下駄の歯が鳴り、ガラス戸が大きく開く。千尋はまた人懐こそうな笑顔で昭を中に通した。 「これ、返すね」  昭が百円玉二枚をポケットから出せば、千尋は腕を組んだ。 「何だ、いらねえのか」 「いらないよ。盗人にもなりたくないし」 「まあ後でな。まずは話を聞きてえんだ」  千尋は自分からは店の外が見えるよう上り口の前に立ち、昭はすぐ隣に、しかし外からは一見見え辛い場所に立たせた。 「僕が魔法を使えないって話?」 「いやもっと根っこの問題だよ。……魔法ってなんだ」 「え?」  昭が不思議そうに千尋を見れば、彼は明らかに嫌そうな表情で舌を回した。 「ほらすぐそれだ。魔法ってあれだろ、呪いとかそんなんだろ? 火が出たりだとか水が出たりとか……それくらいは利子さんに聞いてんだよ。でも詳しく知らねえんだ」 「本当に知らないの?」 「知らねえ。で、皆口揃えて言うのが、魔法の本を読めば魔法が使えるようになるか、とかだよ。どうも皆魔法を使いたいみてえだし……本はないし魔法は知らない、なんて言ったら増々怪しまれるだろ。そこでお前みたいに魔法が好きじゃないけど魔法を知ってて他所から来たばかりの奴、なんていい奴が来るとは良い機会じゃねえか」 「なる、ほど……?」  昭は少しばかり考え、考え、口にした。 「怪しまれてるって知ってたんだ」 「そりゃそうだろ。人の噂はすぐ回って本人にだって届くんだぜ。聞く気があるかどうかだが。利子さんが説明してくれたはいいものの、村で誰も知らない孤児が急に現れて店やってるなんて怪しすぎんだろ。良い子ぶってまあ置いといてもらえてるけどな、これ以上怪しまれちゃ流石にまずい」  昭はもう少し考えた。千尋の後ろにも自分の横にも並ぶ本棚を見て、うん、と頷く。 「お金を返させてくれるのと、本をいつでも読みに来ていいってことにしてくれるなら教えるよ」 「お前……こっちは一応商売だぞ。……まあいいか。金目当てでもないし」  金を返し、店主から許可さえもらえれば。昭は先ほどまでとは打って変わって軽くなった体で店の棚を吟味し始めるもので、千尋は思わず少しばかり声を大きくした。 「おい。人が来たら聞く間も無いだろ。先に教えろよ」 「ああ、そっか」  昭は既に棚から抜き出していた本を一旦上り口に置かせてもらい、どこから説明しようかといくつか魔法の歴史を口に出す。千尋が全く何も知らなかったもので話は一番最初、八年前から始まった。  一九六〇年。終戦し戦後の復興も完了した空気が流れ、空港やらテレビやらと日本が明るく成長していく途中。突如、魔法は生まれた。  最初は火、水、風を自由自在に動かせる子供が現れた。全員前触れもなく突然出来るようになったと話し、メディアに一度騒がれればどんどん試す子が、実際に出来る子が世界中に増えていった。その中には大人もいた。その頃からすでにこれは”魔法”だと呼ばれ始め、魔法を使う人を”魔法使い”と呼んだ。自由自在に動かせるどころか無から火や水を生み出す者も、土や植物、雷で同じ現象を起こせる人も増える。  一年も経たない内に各国に魔法研究所が設立され、魔法連盟が組まれた。未だ全貌が見えない以上仮でしかなかったが、魔法が世界的に存在する力だと位置づけられたのだ。  また一年、一九六二年には悪事に利用されない為にも魔法学校が設立され、魔法が使える者は大人子供限らず強制的に入学と寮生活をすることになったが、全員が使えるわけではない力を使えるのだと、強制入学はもはや選ばれた人の証明でしかなかった。 「魔法を使える人も学校も増えたことで最近は通学制度になって、人が増えたことで研究も進んだんだ。今では火、水、風、雷、土、植物の六つが扱えるって分かって、魔法を使う力……魔力が強い子は無からこれを生成できる、魔力が弱い子だと元々存在するものを操作できる。人によって得意分野があるみたいで、特に無から生成するとなるとどれだけ魔力が強くても一人一つが限界みたい。土と水が混ざったコンクリートを動かしたりもできるけど、コンクリートを生成できる人はいない……とか」 「へえー。本当に奇妙な呪いって感じなんだな」 「呪いは分からないけど、魔法は目の前で見たことあるよ。うちでは兄様と姉様が使えるようになって、一番最初に見せてもらったんだ。公園に一気に水の玉が生まれて割れて、虹がかかって……凄く綺麗だった」  思い出して上を向く昭を、千尋は目を細めて見た。 「お前、魔法好きじゃねえか」 「違うよ。嫌い、……ってほどじゃないけど、好きでもない。兄様も姉様も、友達も皆選ばれて魔法学校に行ったから……魔法のせいで寂しくなったなって。普通の学校も人が減っちゃったし、空港とか高速道路も魔法の研究ばっかりで開発が遅くなってるし。テレビも新聞もラジオも本も魔法ばっかり。魔法が使えない僕には関係無いことばっかりなのに、周りがどんどん変わっていく」 「お前も魔法が使えたら違ってたかもな」 「そうしたら、寂しくなかったかもね。でも母様がもっと寂しかったかも」  昭の父親は昭が生まれた次の年に亡くなった。名家だった父の家が憐れんでくれたこともあり金には悩まされなかったが、言いようもない寂しさを母親は子供と仕事に尽くすことで埋めていた。それが、長男も長女も魔法が使えるようになれば。選ばれた子として寮に住むことになり、その辺りから母親は体調を崩すようになった。 「去年、兄様も姉様も結婚したんだ。魔法職にも就けて……そうしたら、母様すっかり弱っちゃって。僕が成人して働けるようになったら一人でこの村に戻ろうかって話してたんだけど……」 「けど? 早いよな。お前成人してないだろ」 「うん。結婚式が終わって落ち着いた頃から、魔物が出るって噂が立ち始めて……家の近くでも出たみたいだから、母様一気に弱っちゃったんだ。それで、予定を早めた」 「魔物?」 「魔物。そう呼ばれてるけど、実際どんなものかは分からないんだ。何か、火を吹く犬だとか、真っ黒に染まった熊ぐらい大きな獣だとか言われてる。皆バラバラなことを言うけど、怪我した人もいるから本当だと思うよ」 「へーえ。そっちの方が俺にとっては想像がつくな。で、それも魔法でできてるのか?」 「多分そうだと思うけど……魔法で生き物を作れる人はまだいないんだ。でもそんな生き物がいるとも思えないし、皆魔法か、魔法使いの仕業だろうって」 「まあ悪いことに使う奴は出てくるだろうよ。しかし、そんな訳の分からん力で悪さするとはねえ。盗人の方がよっぽど良心がありそうだ」 「ないでしょ……」  だろうな。と千尋は笑った。それから大きく伸びをし、下駄を揃えて脱いで上り口に上る。 「大体分かった。これで魔法については大丈夫だろう、助かったー……」 「僕は盗人にされないで助かったよ」 「信じてたのか? いくらなんでも怪しい孤児と元村人の子供なら、せいぜい疑われるのは俺だぜ」  昭は目を丸くした。千尋はもう愛想の抜けた馬鹿にした顔で笑い、暖簾を潜る。 「今日はもういいぞ。帰るまで好きに読めよ」  ぺたぺたと畳を踏む音がすぐに止んだ。昭は肩の荷が下りるどころか荷などなかったのだと知らされ、苦いような笑うような顔をしたが、落ち着いて上り口に置いたままの本を見る。そしてこの貸本屋の本棚を軽く一周し、現状に満足することで忘れることにした。  昼が近付き、東側しか扉の無い貸本屋は少し暗がりに落ち込んだ。昭は眼鏡がずり落ちた際に暗さと時間に気が付き、本を閉じて暖簾向こうに声を掛けた。 「ねえ、読みかけの本って別に置いてもらうことできる?」 「戻しとけよ。一応商売だって言っただろ」  千尋は、まあ客はあんまり来ないけどな、と言いながら暖簾を捲って昭を見下ろす。彼の横には本が十冊積まれていた。絵本や漫画も小説もあれば、都会なら規制されそうな本まである。 「お前読むの早いな」 「ここの本、見たことないものばっかりで面白くって」 「本当に好きなんだな」  千尋は笑ったが、昭は素直にうん、と答えて積んだ本を持ち上げようと土間に下りて上り口に顔を落とした。そこで千尋がいることで開いた暖簾の向こうに紙がいくつも見えたものでつい言葉を零す。 「君、小説書いてるの」  手が本の山に触れることなく座敷に、座敷を覆い隠していた暖簾を捲る。千尋は昭を上から見、彼の視線の先を追って首を振った。 「ちげえよ。あれは利子さんのだ。俺は整理してるだけ」 「利子さんって……昨日母様が言ってたことしか知らないけど、小説書いてたんだ」 「趣味でな。全部本にはなってねえよ。こうして書いては積んでるだけ」  暖簾が千尋によって大きく捲られる。四畳しかない狭い客間には、昨日無かった原稿用紙の山が置かれていた。開いたままの奥の部屋の戸からはそれ以上積まれている。机の上にあるものは紐で結わえられて束になっていた。 「書いて纏めもしないで積んでたからな。空いてる時間に俺が話ごとに纏めて整理してんだ」 「読んでもいい?」  返事はすぐには来なかった。駄目か、もしかしたら良いと言ってもらえるかもしれない、少なくとも返答はすぐだろうと踏んでいた昭は上を向いて店主を見た。店主は苦い顔をして目を瞑り悩んでいるようで、どうしたものかと昭がそのまま待っていれば、外からゆったりした音楽が流れ始めた。少し恐ろし気なメロディが昼を報せているのだ。昭はばっと立ち上がって外を見た瞬間、音楽を打ち消すほど大きな叫び声が聞こえた。  何事かと、昭も千尋もガラス戸に張り付いて外を見た。遠く、村の入口辺りから黒い煙が上がっている。何人か遠くで同じように家から出ては外を見て声を上げ、また隣の家の者が声を上げ、声はどんどん大きくなっている。 「火事……?!」  昭は早く帰らなければと一度中に振り返り、戻していない本の山に一言だけ謝りを入れようとしたが、先ほどより大きく聞こえた叫び声で止められてしまった。 ”魔物が出たぞ!”
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