お祖父ちゃんの万年筆

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お祖父ちゃんの万年筆

『起きてぇ!!朝だよぉおお!!』 「あぁあああ!!うるさい!!」  絶叫しながら目が覚める朝6時55分。目覚まし時計のアラームは7時に設定してあるというのに、やかましいアラームよりずっとやかましい声は文字通り“頭に直接”響いていた。 「紫苑(しおん)、最近朝から騒がしいけど何なの?」 「な、何でもない……変な夢見ちゃって」  学校へ行く準備をしているとお母さんから心配そうな声をかけられて適当にごまかした。小学五年生に進級してクラスが替わったばかりなんだから気を付けないと。このままじゃ最近息子の様子がおかしいなんて同級生の母親たちに言われてクラスで変な噂を立てられてしまう。しかし僕には朝からあたふたとしてしまう特別な事情があった。 「いってきます!!」  ちゃんと元気よく挨拶して家を出る。ゴミ出しをしていた近所のおばちゃんにも挨拶をする。ほら、僕の様子がおかしいなんて誰も予想が出来ないほど、爽やかすぎる健全な小学生に違いない。僕が万が一何か事件を起こしたら「紫苑ちゃんがそんなことするなんて信じられない」って近所のおばちゃんは心から驚いてマスコミのインタビューに答えてくれることだろう。あれ?これ、あまり良い例えじゃないなぁ。   『今日も“たおう”さんのおかげで遅刻しなかったですね』 『別に起こしてくれって頼んでないよ!ホント止めて!!』  再び僕の頭に直接響く声。僕はその声に同じように頭の中で返事をする。この声の主は僕が小さい頃から大事にしている“万年筆”だ。何を言っているのかと思うだろうけど。僕だっていまだに何が起きているのか理解できているとは思えない。ことの始まりは一週間ほど前だった。 ――『ごきげんよう』 「……んぁ?」  4月の初め。ノートの最初のページだけやたら綺麗に書きたがるタイプの僕は小学5年生に進級して心機一転、学校から帰ると自分の部屋で真面目に学校の宿題に取り掛かっていた。 『……ごきげんよう、紫苑さん』  これは幻聴なのかな?イヤホンをしている訳じゃないのに、どこからかという訳でもなく、耳に直接というより何か頭の中に言葉が響いてくる感じがする。近いけど、何かに遮られているような、ちょっとくぐもった声。それにしても落ち着く綺麗な声だなぁ。前に水族館に連れて行ってもらった時にこんな感じで落ち着いた大人の男性のナレーションが聞こえていた気がする。 『綺麗な声だなんて、嬉しいですね』  ふふ、って上品な笑い声が聞こえた。え?褒めてたの全部聞こえてたの?何だか照れくさいなぁ……じゃなくて!! 「ほぁっ⁉」 『おや、どうしましたか?』  驚き過ぎて椅子から落ちそうになるのを何とか耐えた。部屋の中を見回してみるけれど、誰もいない。誰かいたら死ぬほどビビるからいなくて良かったけど。いや、いないのも今の状況だと死ぬほど怖い。   『すみません、驚かせてしまって。落ち着いて話を聞いていただけますか?』  「え、あ、は、はい」  落ち着いてと言われたところで警戒なんて解けない。なんとなく背中が空いているのが怖くて、ベッドへ移動し壁を背にして枕を掴んで盾にした。ビビっている訳ではない。うん。ビビってないってば。 『初めまして……とは言っても、お会いするのは初めてではないのですが』 「……はい?」 『実は私はあなたの“万年筆”なのです』 「……まんねんひつ?」  初めて聞く単語のように言葉を繰り返したけれど、万年筆と言われすぐに頭に思い浮かぶものがあった。ベッドを離れ、筆記用具入れの中に入っていた万年筆を手に取った。 「え……これ?」 『そうですよ。いつも大切に扱っていただきありがとうございます』  手に取ると先ほどよりもはっきりと声が頭に届くようになった。作った人じゃなくて物からお礼を言われるなんて不思議な気分だ。というか何故僕はすんなり万年筆とやらの言葉を受け入れているのだろう。  小学生が万年筆を持っているなんて珍しいかもしれないと思うだろう。僕が万年筆を持ち始めたのは小学生3年生の頃だった。遊びに行ったお祖父ちゃんの家にあった“これ”に一目ぼれをしたのだ。シックな黒のボディに金で縁取られたキャップがついている。シンプルなデザインのそれに、当時の僕は妙に惹きつけられたのだった。目を輝かせてお祖父ちゃんが使うその万年筆を見ていたら「紫苑はこれの価値が分かるのかぁ」と喜んで譲ってくれたのだった。年季の入った万年筆を僕は気に入り、家に帰って早速試しにノートに名前を書いてみたけれど、鉛筆で書くより全然上手く書けなくて今はまだ練習中だ。譲ってもらった数か月後に突然お祖父ちゃんが病気で死んでしまい、僕はその万年筆をお守りのように肌身離さず持ち歩き、大事にしていたのだった。 「……万年筆……さん、が僕に何の用ですか?」 『敬語ではなくて結構ですよ。恒弘(つねひろ)さんのお孫さんですから』 「あ……」  不意にお祖父ちゃんの名前を出されて懐かしさで心があふれて。万年筆さんの名前を呼んだ時の声に優しさが含まれていて、それだけでこの頭の中に流れてくる不思議な声のことを少し信用してもいいんじゃないかって思ってしまった。 「じゃあ……あの、何て呼べばいい?万年筆さんだと長いから」 『そうですね……では、時雨(しぐれ)とお呼びいただければ』 「しぐれ?」 『はい。恒弘さんに私を送った方がそう名乗っていたのですよ』 「へぇー……誰かから貰ったとかは聞いたことがなかったな……」 『恒弘さんのお話、もっと聞きたいですか?』 「え?あぁ、うん……ってか僕の頭ん中、全部聞かれてるの?恥ずかしいんだけど」  もっと死んじゃう前に会って話しておけばよかったな、なんて思っていたら見透かされたように、とうかさっきから全部バレているのだろう、恥ずかし過ぎる。ダメだ、余計なことを考えてはいけないと思うと余計なことばかり頭に浮かんでくる―― 『ん?……おや?天音(あまね)さんとは一体どのような方ですか?』 「うわぁあ!やめてえぇえ!!……そ、それより!話って何⁉」  天音はただの同級生!そう!それ以上でもそれ以下でもない。あ、そうだ。もうすぐお母さんがパートから帰ってくる時間だった。それまでに一旦この状況をどうにかしないと困る。この独り言が聞こえたらきっと、本当に頭がおかしくなったと思われるに違いない。 『では続きはお母さま方が寝静まった後にしましょうか』 「いやいや!両親いる間に話せないでしょ!」 『紫苑さんが脳内で語りかけてくだされば、ちゃんと私に伝わりますよ』 「そうなの⁉いや先に言って⁉」  そうして一旦話は中断となり、僕は元の普通で真面目な息子として家族と過ごしたのだった。
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