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学校帰り、駅に向かう少年は陸橋を渡ろうと階段を上った。
「今日の宿題は多くないし、電車ん中で片付けて・・。」
そう呟きながら階段を右に折れてふと前を見ると、手すりに両肘を付きながら、一人の女性が中空を見つめていた。別にそんな光景は珍しいことでは無かったが、少年はその女性が何処となく気になった。逆光に照らされた女性の横顔は美しかった。が、何処となく憂いを帯びていた。
「若くは無い・・かな。」
当て推量で年の頃を読みながら、少年は女性の後ろを通りかかろうとした。すると、
「はーっ。」
女性は大きな溜息を吐いた。電車で片付ける予定の宿題が気にはなっていたが、少年はその溜息を聞いて、女性の後ろ辺りで立ち止まった。
「どうしました?。」
何か困っている様子でも無さそうだったが、何もなかったらその場を立ち去ろうと、少年はそのつもりでたずねてみた。すると、女性は夕日の少し上辺りを指さしながら、
「彼処にね、彼処に帰りたいの。でも・・、」
そういいながら、女性の言葉が止まった。彼女がさした方向には、高い建物も山のようなものも無い。明らかに中空だった。少年は不審に思った。
「・・・彼処って、空、ですよね?。」
少年が尋ねると、女性はコクリと頷いた。やり取りの内容が奇妙であることは、少年も自覚していた。しかし、何故か女性が嘘や戯言を言ってるようには思えなかった。しかし、何らかの薬物の影響や、精神が異常ではないのなら、空からやって来たことを理由づける十分な根拠を想定することが出来ない。普段の少年なら、そんな荒唐無稽なことは受け付けなかったが、彼女の横顔は不思議と少年の疑念を払拭させた。そして、
「天界から来た・・ってこと?。」
少年は再び女性に尋ねた。すると、彼女は夕空を見つめたまま、
「うん。」
といいながら、頷いた。間違い無い。明らかに異常な会話だ。少年は一瞬、自身が冷静であるのか、それとも、恐怖のあまり自我を保つ為に冷静さを装っているだけなのかと、自問自答しようとした。すると、
「あ、御免なさい。アタシ・・、」
女性は少年が混乱しそうになるのを悟ってか、自身の存在の奇妙さを彼に詫びた。
「アタシ達は、人界で修行を積むべく、この地にやって来た者です。そして、研鑽の末、一定の成果が認められた者は、再び天界に戻ることが出来るんです。ですが・・、」
そういうと、彼女は少し俯き加減になった。少年は彼女が自身に混乱を招いたことを詫びる前までは、関わり合いにならない方が良かったと、一瞬後悔の念が湧いていた。しかし、彼女の言葉と困り顔に触れて、
「あの、研鑽と評価って、どのような目的を達成すれば、空に帰れるの?。」
少年は何となく、この女性に力添えは出来ないものかと、そう考えた。秋も終わりに近付いて、夕暮れは肌寒い頃だというのに、彼女は薄汚れた白いワンピースに、素足にサンダルという風体だった。そして、愁いに満ちた美しい横顔。ごく普通の少年が異性に抱く情があっても、全く不思議では無かった。彼女は少年の言葉に、少し気を取り直しながら、
「うーんとね、誰かの役に立つようなことが出来たなら、それで評価が得られるの。」
と、あどけない表情で少年を見つめた。つぶらな瞳で、目尻の辺りに少し皺の入った彼女の素顔は、少年に再び疑問を抱かせた。
「うーん、この見た目の歳で人の役に立つのは、そんな難しいことでも無いだろうに・・。この人、一体、幾つなんだ?。」
そう心の中で呟きながら、寒風が強くなってきたのを避けるべく、
「あの、此処じゃ何だし、少し歩きませんか?。」
と、少年は女性を陸橋下の小さな公園にまで誘った。そして、自販機で暖かい缶コーヒーを二つ買うと、一つを女性に手渡した。
「有り難う。温かーい!。」
女性は嬉しそうに微笑みながら、少年に礼を言った。二人はベンチに腰掛けながら話し始めた。少年は、数理に長けていて、将来は理論物理学者にでもなろうかと、そう考えていた。しかし、今目の前に現れた女性について、その事実を受け入れるべく話し込んだら、自身の宇宙物理探究の信念に対し、少なからず支障を来すことは間違い無いと、そう懸念していた。しかし、彼女が常軌を逸していないなら、今目の前にいる女性は、これまで自分が培った科学的見地の外にいる、そんな存在。その矛盾が両立する間に、少年は立たされていた。しかし、其処には不安では無く、探究心とも異なる、何かほの温かい感情のようなものがあった。
「あの、さっき、空から来たって言ってたけど、アナタ、天使か何かですか?。」
少年は率直に尋ねた。
「ええ。そう。天使・・です。人界で言う所の。」
「やっぱり。」
「ええ。」
二人は自分達の会話が噛み合っていないのは感じていた。そして、少し体を温めようと、どちらからとも無く缶コーヒーを開けて飲み出した。
「ほーっ。」
「ほーっ。」
安堵の溜息が同時に出た。それを聞いて、二人は見つめ合いながら、
「はは。」
「あはは。」
と、笑顔になった。
少年は、彼女が天使であるというのを本人の口から聞いて、やはり普通の疑問が湧き起こった。
「でも、羽根、無いですよね?。」
「ああ、これ・・ね。」
少年の質問に、彼女は自身の背中の方を見ながら、
「邪魔になるから、収納してあるの。見ます?。」
と、立ち上がろうとした。少年は慌てて周囲を見た。公園には子供連れの母親や、入り口付近には人の往来もあった。
「いや、今はマズいと思います・・。」
少年は慌てて彼女を止めた。もう、彼女が天使であるのは確定だろう。確かに羽根も見てみたい。しかし、今は彼女が困っている原因を探るのが先だと、少年は思い直した。
「で、これまで、どんな風に人の役に立とうとしてみたんです?。」
少年は本題に入った。宿題のことも多少気になっていたからだった。
「うーんとねえ、お店屋さんでアルバイトしたりとか、街頭でビラ配りとかやってみたんですけど、何か全然評価が得られなくって・・。」
女性は再び困り顔になりながら、コーヒーを飲んだ。
「あの、それって、人助けじゃ無くって、労働って言うんです。」
少年は歳の割に無邪気に見える女性に、そう伝えた。
「え!、じゃあ、アタシがやっていたことは、人の役に立つことでは無いんですか?。」
女性は目を丸くして少年を見つめた。
「うーんとね、確かに労働は人の役に立つことではあるんだけど、でも、そのことによって、対価を、つまり、お金を貰うでしょ?。そういうのは、この世界では区別して考えるのが一般的かな。」
と、少年は丁寧に人助けと労働の概念と、その違いについて説明した。
「じゃあ、お金を貰っちゃ、いけないの?。」
女性はキョトンとした表情で、少年に尋ねた。
「いや、提供した労働に対して対価を得るのは正当な行為なんだけど、何ていうのかな・・、アナタ、お金を貰う際、相手の人が嬉しそうに支払っていたか、そうで無いか、覚えてます?。」
と、女性の労働内容が評価に値していたかどうかを確かめるべく、彼女に尋ねた。すると、女性は人差し指を顎の辺りに当てながら、何かを思い出す古臭いポーズをしながら、
「そういえば、眉毛の真ん中辺りに縦に皺が入ってたよーな・・。」
と、露骨に相手が嫌がっている表情を思い出しながら描写した。少年は頭を抱えながら、
「じゃあ、それは、全然役に立ってない・・ってことですね。」
と、女性に残酷な事実を告げた。すると、女性は少し首を竦めながら、
「テヘッ!。」
といいつつ、小さく舌を出した。それを見て、少年の顔が一瞬引き攣った。
「あ、明らかに古い。リアクションが・・。」
悪びれる様子も無く、時代遅れのリアクションをす、年齢不詳の女性。確かに端整な顔立ちから漂う美しさはあったが、彼女の言動が、それを帳消しにしていた。それでいて、何処となく憎めないのも確かだった。様々な想いが少年を混乱の渦に引き込もうとしていたが、
「人界ならざる存在であっても、人知を超えるって訳じゃ無いんだ。ということは、彼女は恐らく・・、」
少年がそう論理的に分析していると、
「アタシって、やっぱ、使えないんですかね・・。」
と、そう呟きながら、コーヒーを飲み干した。少年が結論を下す前に、彼女は自分なりの自己分析から言葉を発した。しかし、それを聞いた少年は、
「いや、誰だって何でも最初は不慣れなものさ。だから、努力して少しずつ慣れていくもんだよ。」
と、真剣な表情で女性の左肩に手を置きながら、そう言った。女性は一瞬、ビクッとしたが、あまりの少年の真剣な様子に、
「・・・はい。」
と、何か意を決するように返事をした。そして、
「あの、アタシ、頑張りますから、どうすれば人の役に立てるか、教えて頂けませんか?。」
女性も真剣な眼差しで、少年を見つめた。二人の気持ちは一致を見たが、少年には、目の前にいる、どう見ても起用では無さそうな女性に、何からどうしていいものかと、少し思案に暮れた。すると、
「あの、アナタ、何か困ってません?。」
突然、女性が少年に尋ねた。少年は今、奇妙な女性に関わっていることが困りだねであることは言えなかったが、どうせ解決してはもらえまいと、
「まあ、この問題を解くことかな・・。」
そう言いながら、いつもポケットに入れてある小さな数学の問題集を取り出して、
「この難問が解けたら、人類初めての出来事なんだって。」
と、そう彼女に告げながら誰も解いたことの無い超難問のページを見せた。すると、
「あー、これね。」
そういいながら、女性は少年からペンを借りると、ページの余白に数式を書き始めた。そして、
「はい、出来上がりー!。」
と、複雑な数式の最後に、答えらしき数字と文字を書いて、その下に二重線を書き加えて少年に手渡した。それを見た少年は、
「・・・と、解けてる。いや、解けてるらしい・・。」
と、彼女に対する読みが誤っていたことに、自戒の念を覚えた。彼女は社会的には不器用なのだろう。でも、人界ならざる存在だけあって、この世の難問など、お手の物なのだ。
少年は彼女が、所謂、この世で言う所の、
「器用貧乏・・。」
そうなのだという確信を持ちながらも、類い稀なる数理の能力を目にして、
「じゃあね、今、ボクの友達が通ってる予備校があるから、アナタの持つその能力を、思う存分発揮するといいよ。其処だと、きっと、みんなの役に立つはずだから。」
そう女性に伝えた。しかし、女性は少し浮かない顔をしながら、
「そうかなあ・・。アタシ達の世界では、これ位の問題、学校に入る前に習うんだけどなあ・・。」
と、段違いの世界観を少年に示しながらも、折角の紹介ということもあって、その予備校に面接に行くことにした。
「じゃ、ボクは用事があるから。頑張ってね。」
少年は女性を励ましながら、右手を差し出した。すると、
「うん。有り難う。」
と、女性はすっくと立ち上がると、彼とは握手をせずに、両肩に手を置いて、彼の額に口付けをした。そして、
「神様のご加護がありますように。」
と言いながら、少年の顔を見てニッコリと微笑むと、
「じゃ!。」
と言うが早いか、背中から二つの大きな白い羽を広げると、
「バサッ!。」
と大きな羽音を立てて、夕日の向こうへと飛んでいった。少年は、そんな信じられないような光景を目の当たりにはしていたが、彼女が額に口付けをする際にかかった、暖かい吐息の余韻に浸っていた。そして、どれぐらいのと気が立っただろうか。
「あっ。」
少年はようやく我に返った。
「・・・今、確か、飛んで行ったよな、彼女。ということは、」
彼には非現実的なものを受け入れる脳領域など全く無い人生観だったのが、
「まあ、本人も言ってたし、その通りだった・・ってことか。」
と、彼女が触れた唇の感触を思い出しながら、家路に就いた。
数日後、学校の休み時間に、
「すんげえ美人の講師が来たんだぜ!。」
と、少年の友人が興奮した様子で話しかけてきた。少年は、然程驚く様子も無く、
「ああ。だって、オレが進めたからね。」
と、友人に先日あったことの経緯を話した。彼女が天使であることを除いては。
「で、どんな感じ?。」
「どんなって、だからすげえ美人で・・、」
「いや、そうじゃ無くって、教え方の方さ。」
少年は、彼女の容姿については十分に承知していたが、仕事の出来具合が気に懸かっていた。
「教え方・・かあ。まあ、普通かな。」
「普通・・って、どう普通なの?。」
「普通って言えば、普通だろ。数学なんて、誰が教えても、オレにはお経みたいなもんさ。」
少年は、一瞬で自身が質問したことを後悔した。
「コイツ、数学はバカだったっけ。聞くんじゃ無かった・・。」
そう心で呟きながら、それでも、彼女の塩梅が上手くいってるかどうかが気に懸かった。仕方無く、少年は友人に予備校の終わる時間を聞き出し、出て来る彼女を待つことにした。学校が終わると、少年は予備校近くの喫茶店で数学の問題を解きながら時間を潰した。家以外でこんな風に少年が勉強することはよくあったが、その日に限って、いつもとは違う、何処となくソワソワした勘定が湧いてくるのを少年は覚えた。そして、額の辺りを指で撫でながら、
「もうそろそろ授業が終わる時間かな・・。」
そう言うと、少年は問題集を閉じて、友人が通う予備校へと向かった。繁華街から少し外れた所にあるレンガ造りの予備校から、学生達がゾロゾロと出て来た。
「あ。」
その中に、少年は友人の姿を見つけた。そして、彼の視界に入らないように、少年は細い路地に身を躱した。
「スタッフ用の通用門は無さそうだから、此処で待っていたら、会えるかな・・。」
そう推測しながら、少年は女性が出て来るのを待った。それから二十分ほど経った頃、白いワンピース姿のスラッとした女性が校舎の玄関から現れた。少年は女性に、いや、女性の背後が仄かに照らされているかのように明るいことに気付いた。
「今晩は。」
少年は少し俯き加減に歩いてきた女性に声を掛けた。
「あ、キミは・・。」
女性は少年の声に気付くと、ニコッと微笑んで会釈した。
「仕事、どう?。」
少年は彼女の横顔を眺めながら尋ねた。
「どう・・って、普通、かな。」
彼女の言葉に、少年は友人との非生産的なやり取りを思い出した。
「普通・・って、どんな風に・・って聞いても、上手く答えられないかな。」
友人とのやり取りで、普通の定義が極めて曖昧であることを学んだ少年は、角度を変えた質問をした。
「アナタが教えてみて、生徒達の反応は、どうだった?。」
女性は人差し指を顎に立てながら、上の方を向いて考え出した。
「やっぱ、リアクションは古いよな・・。」
少年がそう心で呟いていると、
「こんな簡単なことが、生徒達には解らないのかな・・って。」
彼女はキョトンとした表情で、そう答えた。
「でも、説明はちゃんとしてあげてるんでしょ?。」
「ええ、まあ。」
「どんな風に説明してる?。」
少年は女性が優秀なるが故に、出来ない生徒に対して説明を端折ってるのではと、そう危惧した。二人はしばらく歩きながら、彼女の教え方についてあれこれと言葉を交わした。
思ったよりも、女性は真面目な性格のようで、自身の能力が卓越していることを当然と思う事無く、困り顔をしている生徒にも説明が伝わるように、自分なりの工夫をしながら教えてはいるようだった。しかし、やはり天界の存在だけのことはあって、人界の不理解なる若者達に、同言葉を紡いでいいのか、途方に暮れているようだった。
「そういうときはね、もっと具体的な例を挙げながら説明してあげるといいよ。」
「具体的?。」
数理に長けた人間は、特に抽象的な者の考え方をする者が多い。少年もそんな人間の一人であるが故に、幼少の頃か周囲と軋轢があることに気付いていた。そんな体験話を織り交ぜながら、少年は女性に丁寧に具体例を挙げた説明の仕方を伝えた。
「へー。人間って、そんな風に理解するんだ・・。」
その言い方が、少年には羽を広げた姿よりも、人界ならざる存在であることを感じさせた。しかし、それでいて、彼女の端正な横顔は、天界人界を越えて、美しく見えた。そして、
「じゃ、お仕事、頑張ってね。」
少年は彼女にそう伝えて、帰ろうとした。すると、
「え?、もう帰っちゃうの?。」
と、少し残念そうな顔で、女性は少年を見つめた。しかも、潤んだ目で。
「え、だって、もう夜も遅いし。」
少年は絞り出すように言葉を発した。あの目に見つめられては、身動きが取れなくなる。そうなる前にと。
「もうちょっと、話そうよ。」
女性は上目遣いで少年にお願いした。仕方無く、
「うん、じゃあ、駅までなら。」
そういうと、少年は女性と歩きながら話を続けた。すると、
「あ、公園だ!。今日はアタシがおごるね。」
女性は嬉しそうに声を弾ませると、自販機で缶コーヒーを二つ買って、一つを少年に手渡した。そして、どちらからとも無くベンチに腰掛けて、コーヒーを飲み始めた。
「ほーっ。」
「ほーっ。」
二人の息が合った瞬間、互いに顔を見つめて、初めて合った時を思い出して、思わず笑みが零れた。
「うふっ。」
「あはは。」
しかし、楽しい会話とは裏腹に、少年には一抹の不安があった。彼女は間違い無く、天界に帰る身。人助けが済んで、昇天してしまったら、もう二度と彼女とは会えない。
「でも、それが彼女の望むことなら、それが一番いいことなんだ・・な。」
少年は心の中でそう自身にいい聞かせながら、今この瞬間を楽しく過ごそうと、そう心に決めた。すると、
「アタシ、思うんだけど、このまま上手くいかなくて、ずーっとこのまま、この世界にいるのかなあ・・。」
女性は少し憂鬱そうに中空を眺めた。
「いや、そんなことは無いよ。アナタは天使なんだよ!。優れた能力の持ち主なんだよ!。ちょっとこの世界に不慣れなだけさ。もう少し説明を工夫すれば、きっと上手く行くって。」
少年は自身の彼女への気持ちとは裏腹に、必至で彼女を励ました。少年の言葉に、女性は気を取り直して、
「・・うん。もう少し、頑張ってみる。」
そういいながら、さっきよりはキラッとした目つきで、再びコーヒーを飲んだ。その様子を見て、少年も、寂しさよりも少し温かい気持ちの方が増してきた。そして、再びコーヒーを飲んだ。そして、
「じゃ、ボクは此処で。」
そういいながら立ち上がると、女性も一緒に立ち上がって、彼の両肩に手を置こうとした。すると、
「あ、そういうときはね、」
そういうと、少年は右手を差し出して、彼女に握手の仕方を教えた。また額に彼女の唇が触れたらマズいと、そう思ったからだった。
「うん。」
彼女は頷きながら、少年と握手をして、その場で別れた。その後も、週に一回程度、二人は公園で会っては、数学の教え方について言葉を交わした。そして、数ヶ月経ったある日、
「やったーっ!。アタシ、天界に帰れるんだって!。」
いつものように公園で会った時、女性は突然、そう少年に告げた。予備校で評判を呼んだことで、その功績が天界から認められたのだった。
「そ、そう。良かったね!。」
少年は精一杯の作り笑顔で、彼女に応えた。
「これも、みーんな、アナタのお陰。どうも有り難う。」
女性は満面の笑みでそういうと、少年と握手を交わした。そして、両の羽根を大きく広げると、
「バサッ!。」
と、天界へと旅立った。突然の別れに、少年は缶コーヒーを片手に呆然と立ち尽くした。喪失感のみが少年を貫いた。すると、
「バサッ!。」
少年の背後に大きな羽音がした。彼女だった。
「え?、どうして?。もう帰って来ないんじゃ・・。」
狼狽える少年に、女性はキョトンとしながら、
「誰がそんなこと言った?。天界の門を潜れるようになっただけよ。これで行き来が出来るわ。」
そういうと、女性は少年に暖かい缶コーヒーを手渡して微笑んだ。天使の微笑みは少年の心を何処までも癒した。
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