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彗星
『天界では家族、とりわけ子どもに対する暴力は一番罪が重いとされている』
僕が生まれる三年前。スイが僕と同い年だった時だ。パパはスイと彼の母親に暴力を振るっていた。今のパパからは想像もできないけど、スイの声は真剣そのものだった。
『このままじゃいつか殺されるって思った母親は、俺を連れてあいつから逃げた』
都会の片隅でひっそり生きる二人に、かつての夫であり父である男の再婚話が届く。ほどなくして僕が生まれ、自分たちとは真逆の幸せな日々を送っていると。
『消してやりたいって、皆死ねばいいと思ったね』
そして今日、僕が死ぬことになった。
『俺たちにしたことの報いだ。当然のことだよ。悪魔みたいな形相で俺を殴った奴が、同じ手でお前の頭を撫でて愛おしそうに抱きしめる。俺に何の謝罪もないくせに、血まみれになってお前を失いたくないって叫んでたよ。ずいぶんと勝手だよな』
スイの声は僕を内側から突き刺してくる。彼の過去を追体験して体が強ばった。
『あいつが死ぬんだったら、それでよかったのに』
不意にスイの声に雨の音が重なった。でも、今日の予報は晴れだ。雨は降らない。
『お前を失ったあいつが打ちひしがれて、ざまあみろって笑ってやろうと思ったのに』
水がどんどん溜まっていく。視界が薄く青みがかった透明な液体で満たされている。とぷん、と揺れる水の中に、僕は静かに浮かんでいた。
「何で助けようって思ったの」
『星は俺の弟だからさ』
スイは当然という口ぶりだ。
『あいつが改心したかなんて知ったことじゃない。だけど、お前には未来がある』
「スイにだってあるよ。まだ19でしょ」
『俺はどのみち長く生きられない。夢はあるけどな』
それじゃ、あんまりスイが可哀想だ。
『容れ物はどうでもいい。俺の気が済むならそれでいいんだ』
ぱしゃんと水が弾けてなくなった。いつの間にか空が明るくなっていて、もうすぐ太陽が顔を出しそうだ。時間が迫っている。到底消化しきれない想いを抱えて、僕は呆然と立ち尽くしていた。
「スイ」
上手く喋れなくて声が掠れた。
「僕の中から出てきて」
『…何のつもりだ。もうすぐ時間だぞ』
「だからだよ! スイの顔が見たいんだ」
スイはしばらく答えなかった。
ややあって再び目の前に現れたスイは、痩せてひどく色素の薄い肌をしていた。黒ずくめの服に黒い髪。だけど今は、周りの明るさでサイドにひと房だけ青いメッシュが入っているのが見えた。そこに手を伸ばすと、僕の指が吸い込まれて青に染まった。
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