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頭を割られた男は太田ではなかった。だが、太田の右腕ともいえる男である。太田に代わって勇治を殺すためにやって来たのであろう。
勇治は折れて役立たずになった刀を床に放り出そうとして愕然とした。
刀を握りしめる右手の指が動かない。あまりに強く刀を握りしめていたためか。
左手で右手の指一本一本を広げていく。服を赤く染めるほど浴びた返り血が油のようにぬめぬめとして手こずらせた。
やっと全ての指を広げると、四人のヤクザの命を奪った役立たずが、ガタンと床に落ちた。
土間に行くと、頭を斬り落とされた男が大量の血を流して倒れていた。頭は完全に胴から離れていない。まさしくい皮一枚で繋がっている。
勇治は己の未熟さを思った。毎日千回の素振りが役に立っていない。首を斬り落とすこともできない。たった四人の人間を斬っただけで刀は折れてしまった。斬ったのではなく、刀で叩きつけていただけであった。
外からすすり泣く声が聞こえてきた。
表に出ると由紀が体を丸めて横たわっていた。大事な物を抱えているように両手で腹を擦っている。
勇治は由紀を抱きかかえると、今の一瞬の争いなど関係ないというようにキラキラと輝いているジャガーのリアシートへそっと横たえた。
「今病院へ連れていく」
勇治の言葉に、由紀は潤んだ目を向けて切なく応えた。
家の中に取って返すと、血に濡れた服を脱ぎ捨て、風呂場で桶になみなみと注いだ水を頭からざぶんと被った。二度、三度。
体の水分を手早くふき取ると服を身に付け、着替えをバッグに押し込む。由紀の分もだ。
頭を割られた男をまたいで居間に行くと、この家の主がちゃぶ台の前に座り煙草をふかしていた。
長くこの斜面の土地を耕してきた節くれだった手。深くしわを刻み、日に焼けた顔。
一瞬の鋭い眼光を勇治に向けたが、すぐに関心なさそうに何もない空間を見つめて煙草の煙をふーっと吹き出した。台の上に札束が乗っている。
「親父さん」
勇治が呼びかけると、それを遮るように主は手を振った。
「行け。二度とここに戻ってくるな。この金は持っていけ」
勇治を見ずに由紀の父親は言う。
「親父さん」
勇治はそれしか言えなかった。
「早く行け」
「すみません」
勇治は頭を下げ、札束を握りしめるとその場を後にした。
主はふんと鼻を鳴らしただけであった。
外に出ると悲痛な叫びが勇治を呼び止めた。
「ううおおい」
腹をぱっくりと割られた男が地面でもがいている。
「た、頼む、医者へ。いてえ、いてえよ」
片手で腹の中からグニャグニャと溢れ出ようとする臓器を押さえながら、もう一方の手を勇治の方へ伸ばす。
「手遅れだ」
そう言い残して勇治はジャガーの運転席に乗り込んだ。
太陽は高い山並みの上に姿を現し、初夏の日差しを、谷底へと走る車に投げかけていた。
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