2章 取引

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 ある夜、私は話題の新作映画を5本借りてきた。退屈なテレビ番組に飽きていたのと、家で音楽を聴いているとき、ゼロゼロがつまらなさそうにしているのを見て、気分転換になりそうなものを探したのだ。レンタルショップでは、アクション、ホラー、恋愛、パニック、ファンタジーと、ジャンルの異なる作品を選んだ。  準備は整っていた。パソコンのDVDドライブとテレビをつなぎ、最初の映画を再生する。以前、何気なくレンタル会員に登録したときに視聴用の機材を一式揃えておいたおかげで、すぐに映画を楽しめる環境ができていた。  ゼロゼロも一緒に映画を観ることになった。彼女は普段、感情をあまり表に出さないが、映画を観ながら見せるわずかな表情の変化やつぶやきが面白い。最初に観たアクション映画は派手な戦闘シーンやスリル満点の展開で、私は引き込まれた。しかし、ふと横を見るとゼロゼロは退屈そうだった。どうやらこの手の作品は彼女には響かないらしい。  次に選んだのは恋愛映画。美しい映像と切ないラブストーリーが評判の作品だ。だが、しばらく観ていると私も眠たくなってきた。感情表現が繊細すぎて、話の進みが遅く感じられる。ゼロゼロも特に反応を見せず、ただ黙ってスクリーンを見つめているだけだった。  気分を変えたくなり、途中で散歩に出かけることにした。静かな夜の街は、さっきまでの賑やかな部屋とはまるで違う雰囲気で、冷たい空気が頭を冷やしてくれる。街の灯りを眺めながら心を落ち着かせ、再び映画の続きを観ることにした。  次に観たのはファンタジー映画。幻想的な風景や魔法の世界、個性的なキャラクターが登場し、私はすぐに心を奪われた。ゼロゼロも画面に見入っている様子で、時折感想をつぶやく。この作品にはお互いに満足し、気持ちよく鑑賞を終えた。  その後、パニック映画を再生した。この作品は序盤から緊張感が高く、不測の事態が次々と起こる展開に私はハラハラしていた。だが、ゼロゼロはいつの間にか寝てしまっていた。緊迫したシーンが続く中で聞こえる彼女の寝息に、私は思わず笑ってしまう。このジャンルも彼女の好みではなかったようだ。  リビングに目を向けると、ゼロゼロは黒いソファで静かに眠っている。暖かそうな毛布にくるまり、ゆっくりとした呼吸に合わせてわずかに上下するその姿は穏やかだった。月明かりが彼女の金髪を照らし、その柔らかな光が顔に影を落としている。口元には小さな微笑みが浮かび、まるでいい夢を見ているようだった。  私はリモコンを手に取り、映画を停止した。画面には馬鹿な高校生がモンスターに追い詰められるシーンが映し出されているが、その恐怖もスリルも、今の私にはただの作り物に思える。リビングにはエアコンの音だけが響いている。少し肌寒く感じたが、それは部屋の温度のせいだけではない。心の奥にある、ある感情が静かに膨らんでいた。  ポケットに手を伸ばすと、冷たい金属の感触が指先に伝わる。ポケットナイフだ。柄を握りしめ、刃を引き出すと、月明かりがわずかに反射して光る。その冷たい輝きが部屋の空気を一層張り詰めたものに感じさせた。  私は驚くほど冷静だった。ナイフを握りしめたまま、静かに息を整える。彼女の寝顔を見つめると、これまで一緒に過ごした時間が頭をよぎった。映画を観たり、話をしたり、静かな夜を共に過ごした日々。それでも今、この瞬間、私の中にある感情は別のものだった。  ナイフを持つ手をゆっくりと持ち上げる。ゼロゼロの胸に向けて少しずつ距離を詰めていく。だがその瞬間、手が止まった。ゼロゼロの寝顔を見ているうちに、心の中に違和感が広がったのだ。無垢な寝顔を前にして、なぜこんなことをしようとしているのか、その意味がわからなくなった。  私は震える手でナイフを下ろし、ポケットにしまった。自分が何をしようとしていたのか、その理由を考えるが、答えは出ない。ただ、あの瞬間に芽生えた感情は霧のように消え去り、残ったのは静寂だけだった。
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