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長崎市内・格安なお宿
幸は手際よく格安な宿をしっかりとおさえていた。
「このダブルベッドはちょっとばかし小さかよな?」
「司ちゃんは空気のよかとこでのびのび育ったもんね、胴ばっかり」
「幸はこないだ近所のばあちゃんに嬢ちゃん何年生ねって聞かれよったよな」
凸凹とバランスがとれていると言えなくもない。
「あげん急にようホテルとれたな」
「私の辞書にに不可能はありません」
「幸は都合の悪かページは食うてしまうけんな」
司は憎まれ口を叩くが、実際は観光シーズンに宿がとれただけでも御の字なのだ。
司が部屋の窓を開けると、隣の建物の壁がでんとある。
「まあ夜景が見えるホテルは無理よな」
夜景はいつでも見られるし、司は目に持病があるので何にしてもあまり遠くは見えないのである。
「夜景見せてやろか?」
幸は拳を振りかぶる。
ちんまりしているわりには幸は力持ちなので、振り下ろされたら夜景どころか極楽を見ることになる。
司はさっさと話を変えた。
「なあ幸、カステラ切ろうで」
「じゃ、一人四つね」
長崎県民には大した量ではない。
潔く切り分けられたカステラを、司はそれは大事に口に運ぶ。
好きなものほど後回しにしがちな司は、これまでろくな目に遇っていない。
今も一つを幸にさらわれてしまってこの世の終わりのような涙目だ。
半ばやけになって最中を立て続けに頬張っているところを、またしても幸にぱくっと持って行かれてしまった。
司は泣きながらふて寝した。
「司ちゃん、先ん見えんばい」
「おいなんか涙で一寸先も見えんばい。誰のせいや」
幸は司の背中に飛び込んできて、くるんと綺麗に横に収まる。
青いノートを開いてぐいぐいと司に押しつけてきた。
あちこちが軋む音がしたが、丈夫な男なので問題ない。
司はノートを奪う。
日付とカステラと最中の文字だけが記されている。
忌々しい。
カステラ……俺3切れ、幸5切れ。
司は思い切り書きつけたが文字にすると腹立たしい。
最中……俺1.5個、幸2.5個。
司の字は無駄に整っている。
怒れば怒るほどに美文字になる、何の得にもならない特技だ。
シュガー泥棒許すまじ!
司のその決意を見てとったのか、幸はポケットから何かを取り出して司の口の中に放り込んだ。
んっちょんっちょ。
この食感はボンタンアメである。
はっきりいって柑橘の風味はそこまで強くないが、独特の弾力を持った甘い飴だ。
何と言ってもオブラートに包まれている。
キャラメルでもなく餅でもない。
そして長崎名産でもない。
(幸め……)
甘味さえ与えられれば、司は怒りの感情を忘れてしまう。
あまりにちょろい。
甘い空気の中でむにゃむにゃ言いながら幸は寝落ちてしまう。
「なんて?歯ば磨けってや」
面倒だが、司はわりといい子なので幸の言うとおりにした。
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