ひだまりの死神

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 ここはどこだろうか。  霧の中にいるように、真っ白で何も見えない。何も存在しない。  ひどく体が重たく感じる。  僕は一体何をしていたのだろうか。  思い出せない。    少年は重たい体をゆっくりと起こした。 「目が覚めたかい」  辺り一面真っ白な世界で、なんの音もしない、自分以外何も存在していないと思っていたため、声をかけられ驚いて振り向いた。  振り向くと、黒色のエンジニアブーツを履いた細い足があった。少年はゆっくりと視線を上げると、黒色の服を身にまとった金髪頭の男が立っていた。  何もない、霧の中にいるような感覚だったが、男の白髪に近い金色の髪は太陽のように眩しく感じた。 「そんなに驚かなくてもいいじゃないか」 「…だれ?」 「そうだな…死神といったら分かるかな」  黒色の服を着た細身の男は腰に手を当て、金髪頭をくしゃくしゃと掻きながらそう答えた。 「死神…?死神って、なんなの?ここはどこなの?」 「なんて説明したらいいかなあ。ここはこれから死にゆく者が通る場所。俺はその死に向かってる奴らをアイツらに引き渡す仕事をしてる」  そう言って男は遠くを指さした。男が指さした先にポツンと黒い門があった。門の脇には黒装束を全身に纏った大きな何かが、音もたてずに立っている。男とも女とも言えない背の高い何かが、こちらを向いて立っている。黒いマスクを頭からすっぽりかぶっている上に、遠すぎて顔は見えない。いや、顔なんてものは無いのかもしれない。 「あれは何?なんか怖いよ…」 「アイツは門番。アイツが死んだ者をあの世に連れて行く。アイツと門を通ると、もう戻ってこられなくなる。門の向こうで人生の裁判にかけられ、来世の行先が決定される」  男は門のある方をじっと見つめて、そう言った。 「ちょっと待ってよ、死神とか来世とか、よくわからない。僕はなんでここにいるの?」  少年は戸惑いが隠し切れずない様子で死神に問うた。 「…お前覚えてないの?」 「覚えてないって何が?」  男はため息をついた。 「はあ…。お前はね、ずっとがんで治療をしていたけど、ここ暫く昏睡状態だったんだよ。それで今、お前は力尽きようとしている。だからこの場所に来て、俺に門へ連れていかれようとしている」  少年は言葉が出なかった。  小学校2年生のとき、それまで大好きだった体育の授業に追いつけなくなった。登下校でさえも疲労感が強くなった。次第に朝起きることも辛くなり、ついに学校へ行けなくなってしまった。  心配した両親が大きな病院へ連れていくと、がんを宣告された。小児がんだ。様々な検査をした。治療も沢山試した。しかし、どれも大きな成果は得られなかった。  治療のため頭髪は抜け落ち、少年の体力はみるみるうちに失われ、身体はやせ細り、笑うことさえも難しくなってきていた。ついに両親は医師から、悔いの内容に過ごすことを勧められていた。余命宣告だ。  母は泣き崩れ、父は拳を強く握り立ち尽くし、少年はベッドの上で横たわり、落ちくぼんだ目で二人を見ていた。その後だった、少年が目を閉ざしたのは。  少年は頭にかぶったニット帽に触れた。父が買ってくれたニット帽だ。「父さんも最近ハゲてきたような感じがするからな、お揃いでかぶろう」と言って一緒にかぶった紺色のニット帽だ。「二人だけお揃いはずるいから、お母さんも欲しい」と言って、後で母もお揃いのニット帽を買ってかぶっていた。 「思い出したか」  男は跪く少年を見下ろした。 「うん、思い出した。お母さんとお父さんが僕を呼ぶんだ。毎日僕を起こすんだ」 「門までは長い。ゆっくり歩きながら話そう」  男は少年に手を差し伸べた。少年はその手を借りて、ゆっくり立ち上がった。 「ははは。立ち上がったのなんて久しぶりだな。足の力が足りない感じがするよ 「…そうか」  男は眉をひそめた。  「死神さんはここで何していたの?」  少年は死神と名乗る男の手を握り、ゆっくりと歩いていた。  男も少年に合わせるようにゆっくりと歩く。  「お前は向こうの世界で眠り始めてから、ここへ来たり、向こうへ戻ったりを繰り返していたんだ。俺はそれをずっと見ていた。最近はお前がここへいる時間が長いことが多くて、いよいよだなと思ってた。ずっと起きるまで待ってたんだぞ」  男は少し笑いながら少年に語った。 「そうなの?…目が覚めても、いつもお母さんは泣いてるし、お父さんも前みたいに笑わなくなったんだ。僕さ、そんな二人のこと、もう見たくなくて」  少年は下を向いた。 「そうか。それは辛いな。お母さんは普段はどんな人なんだ?」 「お母さんはいつも優しくて、作ってくれるご飯がおいしいんだ。いつも学校は給食だけど、遠足のときのお弁当とかはキャラ弁にしてくれるんだ。でも怒ると怖いよ」  へへ、と少年は笑った。そんな少年を見て、男は何故かほっとしていた。 「強くて優しいお母さんなんだな。お父さんはどんな人だ?」 「お父さんは僕と一緒で野球が好きで、よくキャッチボールしたよ。四年生になったらリトルリーグに入れるように、仕事が休みの日は一緒に練習してるんだ」 「へえ、野球ね。じゃあ門へ行く前に、キャッチボールでもするかい」  男は進行方向から少し逸れた場所を指さした。その先にはグローブが二つと野球ボールが置いてあった。 「いいの?…でも、できるかな。病気になってからずっとやってなかったし」 「大丈夫だ。ゆっくり投げるから」  少年は嬉しそうにグローブに近づいた。大人用と子供用のグローブが並べられており、どちらも使い古された様子だった。ボールは少し砂をかぶって薄く茶色がかっていた。  少年はグローブをはめ、内側をポンポンと拳で叩いた。 「うわあ、グローブなんて久しぶりだなあ。」 「よーし、投げるからな」  男は遠くからボールをゆっくり放った。少年はボールとの距離を縮めるようにゆっくり歩み寄った。天に差し出したグローブにすっぽりボールが収まる。 「わ!取れた!ていうか、このグローブ結構使ってるね。ボール取ったとき手がビリビリするよ。革が薄くなってきてるね」  少年はそう笑いながら男にボールを放った。ボールはツーバウンドして男の元に到着した。  男はボールを拾い上げ、少し強張った表情で遠くから少年を見た。 「どうしたのー?僕がツーバンだからって、死神さんは遠慮しなくていいんだよー」 「はいはい、それじゃ遠慮なく行くぞー」  男はボールを放った。少年は手のひらに伝わるビリビリとしたボールの感触を味わった。 「じゃあ…そろそろ行こっか」  少年はそう言い、少し寂しそうにグローブを外した。男は少年に歩み寄り、再び手を取り歩き始めた。 「今度は死神さんのことを聞いていい?」  少年は男を見上げた。相変わらず男の金髪は美しくなびいている。 「え?ああ、いいとも」  男は少し驚いたように答えた。 「死神さんは、今まで何人の人たちを門に送り届けたの?」 「そうだなあ、数えきれないほどだよ。お前みたいに素直に歩き出してくれない人もいてね、まあ楽な仕事ではないかな」  男は笑いながら語る。 「そうなんだ、死神さんは1人なの?」 「いいや、死神は他にも何人かいるよ。でもね、昔わるいことをして、離れ離れになったんだ」 「ふうん。確かに死神さんって名前が悪そうだよね。何をしちゃったの?」 「ははは、そうだな、確かに悪そうだ。…昔ね、俺たちは普通の神だったんだよ」  少年はぎょっとした目で男を見上げた。 「え!神様だったの?すごいね!…神様って悪いことするの?みんなを助けたり、願いごとを叶えてくれるんじゃないの?」 「そうだな。神は普通はそうするよな。でも俺たちは昔…人間がまだ今のような生活を手に入れる前、少し人間たちにいたずらしちゃったのさ」  男は声色を変えて話し続けた。 「あの頃俺たちは、神と呼ぶにはまだ幼かったんだ。少し人間を遊んでやろうとしてしまったのさ。そしたら人間は悲しんだ、とても深く傷つけてしまったんだ」 「何をしたの?どうしてそんなことしたの?」 「きっと人間が羨ましかったんだと思う。俺たちは神だからなんでもできてしまう。でも人間は不憫だ、必ずできないことがあるし、傷つけあう。それでも幸せそうに支え合って生きている。それが羨ましかった。だから少し人間を困らせてやろうとしたのさ。その頃俺は神としての力を付け始めていたときだった。でも神として、力の制御がまだ未熟だった。そのせいで人間たちに大きな天災を与えてしまった。多くの人間が悲しんでいた」  少年は何も言わず男の話をじっと聞いていた。 「そしたら一番偉い神に叱られたのさ。罪のない人間を多く悲しませた、罰として死神にされた。全知全能の神ではなく、死を司る神になった、というわけさ」  少年は難しそうな顔で少し考えた後、明るく話し始めた。 「んー、でもさ死神さんは悪いことをしたって分かってるわけでしょ?一番偉い神様にも怒られて、罰も受けたんでしょ?それで今ちゃんとお仕事してるんでしょ?じゃあ、もう大丈夫だよ」  男は少年を見下ろした。 「大丈夫ってなにが?」 「わかんない。悲しんだ人たちは許してくれないかもしれないけど、死神さんはちゃんと反省していて、今こうして死んで悲しい人たちの話を聞いてあげてるんだから。もう暗い顔しなくていいんじゃないのかな?」  男は意表を突かれたように目を丸くした。が、すぐ笑い出した。 「はははは、お前おもしろいね。俺のことを知りたがる奴なんて初めてだし、俺はお前たち死んだ人間の話を聞いて慰める役目があるのに、逆に慰められちまったよ。そうだな、死神が暗い顔してちゃ、みんな怖くて素直に門へ行ってくれないもんな」  少年もつられて笑った。 「そうだよ、髪だってせっかく綺麗な色なんだから、明るい死神ってことでどうかな」 「ああ、これか。これはな、偉い神が唯一残してくれた、神としての名残だ。これがあるおかげで、死神としてやっていけてる。お前たちの言う不思議な力だってある。神もやっぱり神なんだよ、情けをかけてくれたのさ」  男はくしゃくしゃと髪をかいた。髪が風になびいて、ひだまりのにおいが漂った。 「死神さんは、おひさまのにおいがするね。お母さんが布団を干してくれた時と同じにおいだ」 「そうだな、俺はもともと太陽の神に仕えていたんだ。偉い神が残してくれたものだよ」 「あ、だからなんだね。その髪は太陽みたいにとっても眩しいよ」   男と少年は手を繋ぎ、ゆっくりと門へ歩いた。最後の会話を楽しむように、惜しむように、ゆっくり、少しずつ門へと近づいていった。  男は少年との時間を特別なものに感じていた。自分に興味をもち、自分の死を嘆くより死神である自分を慰めるこの少年に、何か特別なものを感じていたのかもしれない。いや、それだけではない。今まで送り届けてきた人間とは違う何かを感じていた。何か違う、なにか。  とうとう門の前に到着した。  少年と男は、数段ある階段の上の門を見上げた。黒々とした、大きな門。  門の横には門番が立っている。黒装束を身にまとった背の高い大きな門番、やはり顔は隠れていて見えない。門番は音もたてず静かに階段を降り、二人を見下ろした。 「連れてきた。あとはよろしく」  男は少年の手を放すか迷った。門番にこのまま引き渡してよいのか、迷っていた。 「死神さん、怖いよ。門の中は暗いのかな、どんな感じなのかな」  門番は少年に手を差し出した。 「ほら、門番が一緒に行ってくれるから大丈夫だ。心配しなくても大丈夫だ」 「うん…死神さん、連れてきてくれてありがとう。もしも僕のお父さんとお母さんが来たら、僕のこと話してね」  少年は涙を零しながら男を見上げた。男は少年の頭を撫でた。 「わかった、必ず伝える。さあ、来世が待ってるぞ」  そう言って男はいよいよ少年の手を放した。  黒い門番は少年の手を取り、歩き出した。少年は門番に手を引かれ歩き出すも、名残惜しそうに男の方を振り返った。 「死神さん、ありがとう、大好きだよ」  少年の言葉を聞いて男の中の何かが切れた。死神として保ってきた理性、特別扱いはしないという意地がぷつんと切れた。少年に対してずっと感じていた違和感、そして自分の中で芽生え始めた温かさを、男は今はっきりと理解した。  その瞬間、男は少年の小さな手を掴んでぐっと引っ張った。 「お前、やっぱりまだだな」 「え?」  門番と少年は立ち止まり、男の方を見た。 「俺は何人ものやつを門へ導いてきた。でもお前みたいに足の力が、とか、グローブの感触がとか、そんな事言うやつは滅多にいない。普通はここに来た時点で、そういう感覚はもうないんだよ」  門番は少年の手を離さない。 「おい、わかるだろ。お前も気付いているはずだ、こいつが魂だけでなく、肉体ごとこっちに来ていること。こいつは肉体が離れられてない」  門番は静かに、何も言わずに男を見下ろした。 「どういうこと?」  少年は男の手を強く握った。しかし門番は少年の手を離さない。 「肉体の感覚と魂はここに来た時点で離れている。でもお前の両親が、肉体と魂を離させないようにしてる。あれを見ろ」  男が足元を指さした。その先にはベッドに横たわる少年と、少年を強く抱きしめて泣き続ける両親の姿だった。 「お母さんとお父さんだ…」 「お前の両親がああやって離さないんだ。現にお前、腕とか冷たい感覚があるんじゃないのか」 「腕…?確かにピリピリ冷たい感じがする」   少年は男に引っ張られている方の腕を見てそう答えた。  両親に抱かれている少年の腕には点滴が繋がれ、薬が流され続けている。 「ほらな。やっぱり肉体が離れられてない。お前はまだここに来ちゃいけないんだ。門番、その手を放してやってくれ。こいつは俺が責任持って元の世界に戻す」  少し間をおいて門番は黒い手を緩め、少年を開放した。  少年は戸惑いながら、男の方に歩み寄った。 「僕はどうなるの?元の世界ってどういうこと?」 「お前はまだここに来ちゃいけない。両親のもとに帰るんだ」 「でも、どうやって帰るの?帰り方なんてわからないよ。ここへは気が付いたら来ていたんだ」  少年は男と門番を代わる代わる見上げた。 「大丈夫だ、来た時と同じように。眠るように目を瞑っていればいい」 「怖いよ、1人で戻るの?」 「俺が手を繋いでいてあげるから。次に目を開けたときは両親がいるから大丈夫だ」 「わかった、やってみるよ」  少年は門番の方へ振り返って手を振った。 「…門番さん、一緒に行けなくてごめんね。次来たときは一緒に門をくぐろうね」  門番は少し驚いた様子だった。そして少年へ近づき、頭を優しくなでた。 「…ははは。よし、じゃあ行こう。元の世界へ」  男は笑顔で少年の手を握り直した。  少年は静かに目を閉じた。ゆっくり、眠るように深呼吸をした。だんだん眠くなってきた。立ったまま眠るなんて不思議な感覚だったが、何故か雲の上に浮かんで、ゆっくり川のように流れているような心地になった。 「門番が頭を撫でるなんて、お前はよっぽど愛されているんだな。きっと良いことがあるぞ。俺も久しぶりに楽しかったから、プレゼントだ」  遠くで男がそう語りかけていた。遠く、遠く、だんだんと遠のいていく。消えてゆく。  誰かが泣いている。  胸のあたりが冷たい、濡れているような感じだ。  締め付けられているような苦しさがある、なんだろう。  誰がこんなに苦しく締め付けてくるのだろう。 「…!目を覚ました!目を覚ました!わかる?お母さんよ!お父さんもいるよ!」 「お父さんだぞ!わかるか!」  両親がくしゃくしゃの顔で少年を見下ろしていた。興奮して耳まで真っ赤になっている二人がなんだか面白くて、つい少年は弱弱しくも笑ってしまった。 「はは。どうしたの、そんなに真っ赤になって」 「はは、ははは。もう目が覚めないかと思って、ずっと、ずっと…」 「もうどこにも行かないでね。お母さん達も頑張るから」  両親は涙を拭きながら笑っていた。少年もつられて笑った。  その後しばらくして、治療を再開するため再検査をした。  余命宣告をされ昏睡状態の間、治療はほとんどせず、緩和のみを行っていたのだが、何故か目覚めた後の検査では数値が改善傾向にあった。その後は治療を再開するが、以前とは見違えるほど元気になり、食事も摂れ、ベッドでじっとしていることが嫌になるほど体力が回復していた。医師もこれには驚いており、人体とは不思議なものだと話していたが、案に奇跡だと言っているようなものだった。  数年後、学校へも普通に通えるようになり、彼は両親思いの優しい青年となった。  ひだまりのにおいの風を感じながら、夕暮れ時をひとり帰宅していた。 「こんばんは」  誰かに話しかけられた。 「…こんばんは」  声のかけられた方を振り返ると、黒い服を着た細身の男が立っていた。  誰だろう?と思いながら挨拶を返した。なんとなく不気味に思えたので、その場を立ち去ろうと帰路に向き直った。 「…プレゼントは喜んでもらえたかな」  その言葉を聞いて、青年はハッとした。何か大切なことを忘れているような感覚がずっとあった、しかしずっと思い出せなかった。胸のもぞもぞとした引っ掛かりが今取れた瞬間だった。 「死神さん!」  声のする方へ振り返るが、そこにはもう男の姿はなかった。 「死神さん!ありがとう!俺、もう病気が治って、今は高校で野球やってるんだ!ありがとう!ありがとう!死神さんのこと忘れないよ!死神さんは優しい死神さんだよ!」  青年は涙を流しながら、大きく天に向かって叫んだ。 「…優しいって言ってくれてありがとうな…俺も大好きだよ…お前のことは忘れない…」  姿は見えない、しかし、男の声はしっかりと青年に届いていた。  春の温かな風が彼を包んだ。ひだまりのにおいがした。  
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