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「それから――」
廊下を作業室に戻りながら、枩隈さんは続ける。
「ミッション期間中、スマホはこちらで預かります。この先、ミッションの内容は口外禁止です。所内で同僚に遭った場合も同様です。いいですね?」
「はい、大丈夫です」
「最後に、これをミッション終了まで外さないでください」
作業室のドアの前で立ち止まり、枩隈さんは白いラバーバンドのようなものをあたしの左手首に装着した。これはこのフロア内共通のセキュリティキーであり、あたしの血圧や脈拍などのバイタルデータを記録するデバイスでもあるという。
「毎週月曜日の14時に、所長室まで進歩状況の報告にいらしてください」
作業室のドアを開けると、加々美さんが振り向いた。心持ち青ざめて見えるのは、照明のせいだろうか。
「こちらのセッティングは終わりました」
彼女の足元に、空のジュラルミンケースがあり、孵卵器がほんのり白く発光している。
「あの……そちらの少年は、どなたですか?」
机の向こう側、孵卵器越しに中学生くらいの男の子があたしたちを眺めていた。クリーム色の髪に鳶色の瞳と白い肌、北欧系の人種のように整った顔立ちだ。ブレザーに似た白い制服のようなものを着ている。
「彼……は、媒介者です。彼が卵の世話をします。貴女は、卵には決して触れないでください。よろしいですね?」
加々美さんの表情が強張っている。そういえば、あたしの仕事は“孵化の補助”だった。これは大切なことなのだろう。
「分かりました。でも、彼もここに泊まり込むんでしょうか」
「いえ、彼は退勤時間になったら帰宅しますから、ご心配なく」
「それなら良かったです」
この少年がどういう立場なのか分からないけれど、恐らくは未成年だから。内心、安堵した。
「今日はこれで終わりです。明朝9時になったら、この部屋に来て勤務を開始してください」
「一度、研究棟に戻ってもいいでしょうか」
今手がけている治験を仲間に引き継がなくては。それに、パソコンもスリープモードのままだ。
「構いません。夕食など済ませて、20時には宿泊室にお戻りください。なお、こちらの部屋には、明朝までお入りになりませんように」
「分かりました」
初日の夜なのに、今夜の記録は取らなくて良いのだろうか。不思議に思ったけれど、言葉を飲み込んだ。天使に関して、あたしは門外漢なのだから。
結局、あたしたちは少年1人を残して退室した。資料棟の外で2人と別れ、いつもの職場に戻り、恙なく引き継ぎを済ませた。そして、職員食堂でハンバーグ定食と本日のデザートを食べてから、宿泊室に入った。
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