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翌朝8時45分に作業室のドアを開ける。室内には誰もいない。あたしは孵卵器に近づいて、上部の透明カバー越しに卵を目視確認した。孵卵器の扉の下には温度と湿度が表示されており、設定温度は37.8度、湿度45%、これは鶏卵の孵化設定とほぼ同じだ。孵卵器内部の温度は37.6度、湿度44%――許容範囲内だろう。この孵卵器には自動転卵機能が付いており、2時間に一度転卵してくれる設定になっている。鳥類の場合、転卵しないと胚が卵殻に癒着してしまうのだが、天使の場合も同じなんだろうか。
あたしは隣のデスクに着き、パソコンを立ち上げる。自分が為すべき業務内容を確認しなくては。
・勤務スケジュール
・記録マニュアル
・天使に関する注意事項
デスクトップ上に、PDFファイルが3つある。「勤務スケジュール」を開く――あたしの勤務時間は9時から18時、昼休憩が1時間。トイレ休憩は適宜可。1時間ごとに記録事項を入力する。17時に給湯室の冷蔵庫からペットボトルの水を持ってきて、孵卵器の貯水タンクに給水する(給水量、要記入)。17時半に媒介者が出勤する。退勤後、夜間は作業室に近づいてはいけない。なお、作業に携わらない時は、作業室内に限り行動に制限を設けない。
「これ……なにしててもいいってこと?」
驚いた。なんて楽な勤務内容だろうか。パソコンはネットに繋がっていないけれど、ここは資料棟。読みたかった資料や論文が読み放題ってことじゃない!
次に、「記録ファイルとマニュアル」に目を通した。記録事項は、毎時の温度・湿度と転卵の確認、そして1日の給水量。こんなの子どもでも出来る。
かなり拍子抜けしたところで、最後の「天使に関する注意事項」を開く。
・この卵は、イスラエル(ISR)で、2X49年2月8日に発見されました(被験体A-ISR490208-0373)。世界で373個目の天使(Angel)です。
・孵化担当者は、なるべく1名で行うことが望ましいです。複数名で担当すると、中の天使が混乱して、孵化しないことが確認されています。
・孵化が順調に進んでいる場合、15日を過ぎた頃から、天使の干渉が始まります。天使から質問された場合、決して嘘を吐かず、正直に答えましょう。
・天使は、通常は30日前後で孵化します。孵化予測日を1週間以上過ぎた場合、孵化は失敗とみなしましょう。
・孵化前の天使が人間の煩悩・欲望の影響を受けると、卵の殻の表面が黒く変化し堕天します。緊急処理マニュアルに従って速やかに処分しましょう。
・天使には、様々な能力が備わっています。面白半分に確かめるような真似はやめましょう。天使の能力は、人類共通の財産です。なお、天使の軍事利用は国際法で禁じられています。
「干渉……天使から質問?」
どういうこと? あたし、天使になにか訊かれるの?
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