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 俺はナイフを抜き、振り回しながら大声で車道へ飛び出す。反対側にいる黒い男も、真っすぐ親子のいる場所へ動き出したようだ。    先手を取られてたまるか!    五十過ぎの体で全力疾走したのは何年ぶりだろう。自分でもわからねぇけど、とにかく猛ダッシュ。    一足早く到達した所までは、俺、自分を褒めたい。    でも気合の入れ過ぎで目立ちまくった結果、黒い男じゃなく、こっちの方が通り魔だと思われたらしい。    周囲の通行人から甲高い悲鳴が上がった。    その騒ぎを敬遠したのだろう。黒い男はもと来た道を逃げ帰り、幼稚園へ向う親子も門を無事に潜り抜けて行く。  やった! 今度こそ、二人を守れた。  俺は空を見上げ、言葉にならない雄叫びをあげたが、人の真意がわからない朴念仁は何処にでもいるモンだ。  交差点に居合わせた通行人の内、ヤンキー風のチャラい男が俺を背中から羽交い絞めにし、取り巻きにも声を掛けて、そのまま取り押さえようとする。  何だよ、ヤンキーの癖に正義の味方を気取ンじゃねぇよ!  ムカついて、ナイフをふるった。  殺意なんて無いぞ。    そいつは、ほんの弾み。軽い威嚇のつもりだったんだ。    なのに刃は深々とヤンキーの胸へ突き刺さり、崩れ落ちる姿を唖然と見下ろす俺の後頭部に衝撃が走った。  誰かが……  いや、振り返ると警官だ。騒ぎを聞き、駆けつけて来たと見える。    俺、もうヤケクソでさ。    喚きながらナイフを振り回す内、狙いすました警棒が容赦なく俺の頭を打ちすえ、歩道へ倒れた途端、意識が闇へ呑み込まれて……  目が覚めた時、例によって例の如く、俺は暗い部屋に佇んでいた。んで、今度も又、シチュエーションが若干違ってる。  食べ残した食い物の腐敗臭がしない。    代りに煙草の煙が漂い、表情が判りにくい度付きサングラスをかけた学者風の男、吊り上がった眼のいかつい奴が、小さなスチールデスクを挟んで、俺を睨みつけていた。   「あの……ここ、何処?」 「手前、とぼけんな! 警察の取調室に決まってるだろうが」 「警察?」 「だから、とぼけんなって、何度言えば判る!?」 「つまり、あんたら、刑事?」 「あぁ? それ以外、何に見えんだよ?」 「え~……例えば、意地悪なテレビのリポーター、とか」 「ふざけんじゃねぇ、サイコ野郎!!」  怒鳴りながらデスクを蹴飛ばすいかつい奴を制止し、代りにサングラスの学者風が俺の正面へ座った。  しばらく何も言わず、指先でスチール製の机を叩きだす。  コツコツ。  絶え間なく、絶える事無く……  オイ、アンタ、その「コツコツ」だけは勘弁してくれねぇか。ちょっとしたトラウマがあって、その手の音は吐き気がすんだよ。  喚き出したい気持ちを噛み殺し、俺はグラサン刑事を真っ向から睨んだ。   「通行人の殺傷容疑で警官が現行犯逮捕した時、君、後頭部をひどく打ったそうだね」 「打ったんじゃない。殴られたんだ」 「治療した医師から、軽い記憶障害が起きた、との報告を受けてます。でもね、それを言い訳にして供述を逃れるつもりなら、君、後々後悔する羽目になるよ」  サングラスの奥の細い目が怜悧に輝き、こちらの出方を伺う。一時の沈黙とテーブルを叩く単調なリズムが、俺の忍耐力を試し続ける。  コツコツ。  絶え間なく、絶える事無く……  う~、デジャブっての?  前にもこんな事、あったよな?  そうそう。ドラマで見たことがある。おっかない役と優しい役を二人の刑事で分担、北風と太陽風に容疑者の供述を引き出すって奴だ。  対処する手もドラマで見たよ。言わずもがなの黙秘権さ。  俺の頑なな沈黙を動揺の証しと見て取り、いかつい奴が顔を寄せてきたかと思えば、野太い声で威圧した。 「可哀想になぁ。小さな子を庇ってお前に刺された通行人、ついさっき、病院で息を引き取ったそうだよ」 「えっ!?」 「これでお前も立派な人殺し。他にもケガ人が多数出ている。死刑の線もありうるぜ」 「ええ、君がいわゆる『無敵の人』なら、却って極刑がうれしいのかも知れませんが」  軽く付け加えるグラサン刑事の声音が、いかつい刑事のドラ声より、ずっと事態の深刻さを伝えて来る。  世間的には、俺、中年ニートの通り魔と言う事で、ワイドショーの良いネタになっているそうだ。近頃、類似の殺傷事件が相次いでおり、厳罰化を求める声が急速に高まっているらしい。   「お前も早く楽になれ」  そう言われ、俺はふてぶてしく肩をすくめて見せた。    まぁ、内心、ホッとしたよ。あのヤンママと子供が無事だった事も改めて確認できたしね。    刑事達は俺の動機を繰返し聞き出そうとした。  でもさ、どうせ弁明なんてできっこない。仮にトライした所で、信じて貰えないのはわかってる。    他にも通り魔がいたから、そいつを止めようとしたんです……な~んて、説得力はゼロだと自分でも思うわ。    んで、何も答えられずにいる間も不毛な取り調べは続き、いかつい刑事は血塗られた凶器の証拠写真を取り出して来た。 「お前、よりにもよって、こんな刃物を使った理由は何だ?」  こんな刃物?  お前こそ何だよ。俺がネットで大枚はたいた愛用のサバイバルナイフをディスりやがって。    そう思ってみたものの、刑事が翳す証拠写真に写っているのは、テディベアの彫り込みがある可愛らしいペディナイフ。  あぁ、勿論、見覚えがあるよ。    夢の中で、「三十代の俺」がリポーターの取材を受ける前に服へ忍ばせたやつだが、そんな筈は……  まさか、これも夢?    又、別の悪夢のループへ俺は踏み込んでいるのか?    目が覚めたら、俺は又、あの暗い部屋の中にいるのかもしれない。    そして、妻と子のフォトスタンドだけが無数に飾られた、あの虚しい静寂の中へ戻っていくのかも?
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