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「いやはや、実験開始当初は、ここまで長引くと思いませんでしたよ」  脳波を操る機器の再調整を行いながら、いかつい男は上司へ語り掛け、大袈裟に肩を竦めて見せた。 「うん、死んだマウスの脳へ短期記憶をトレースする実験がアメリカで成功したのは2012年、もう10年以上前だからね」 「今や記憶障害に対するケアの進歩は著しいじゃないですか」 「我々オペレーター側のイメージを記憶データへ挿入、絶え間なく干渉する事で、被験者の感情を意図的にコントロールする試みも成功したし」 「順調でしたよね。本来の記憶と移植記憶の混在による精神錯乱が顕在化するまでは」 「多分、詰め込み過ぎ、が原因だと思うがね」  サングラスの男がふっと笑った。 「悪党がどうなろうと世間様は気にしないでしょ?」  語らう研究者二人のやり取りは難しく、俺には良く理解できない。  でも、モルモット扱いされていた事くらいは分かる。悪夢のループはこいつらが俺の脳を弄った結果だという事も……  もう黙っちゃいられない。狸寝入りはもう止めだ。俺はフードの内側を両の拳で殴りつけ、大声で怒鳴った。   「ふざけんじゃねぇぞ、手前ら! 人の記憶を何だと思っていやがる」  驚いた顔で二人がこちらを見る。  俺がフードを力任せに殴り続けると、度付きサングラスの男が機器を操作し、カプセルを開いた。  取り敢えず、逃げようとしてみる。  でも、そいつはやるだけ無駄だった。  或る程度、思う通りに動くのは上半身だけ。腰から下は麻痺しており、カプセルから抜け出すだけでも四苦八苦の有り様だ。 「お~、お目覚めか」 「落ち着き給え。そして勘違いしないで欲しい。君を壊すとしたら、それは我々じゃない」  床を這いずる俺を見兼ねたか、いかつい奴がおれを抱えて椅子へ座らせ、サングラスが優しい声で窘める。   「おい、ちゃんと教えてくれよ。俺……どうなってんだ、今?」 「あなたの脳、正確に言うと海馬の歯状回、イングラム細胞へ直接インプットされた被害者の記憶、恨みが犯罪者を許すな、と叫んでいるのです」 「被害者? 妻子を殺されたサラリーマンの事?」 「ええ、犯罪の更なる厳罰化を求めて、世間の注目を集めた後に彼がどうなったか、あなた、御存じないでしょう」 「知る訳ねぇだろ、そんなの」 「死にましたよ」 「え!?」 「妻子を失った際のトラウマが徐々に精神を蝕んでいた様でね。あるテレビ番組のレポーターが自宅へ押しかけ、酷な質問をしたのが暴発のトリガーとなった。奥様の形見であるペディナイフを振り回したんですよ」 「誰か、殺したのか?」 「ええ、一人だけ」 「レポーターがみんな逃げ出しちまった後、静かになった部屋で自分の頸動脈を切断したそうだぜ、そいつ」 「つまり、自殺……」  サングラスの研究者が資料袋の中から二枚の写真を抜き出し、俺の手前へ置いた。  一枚はテディベアが描かれたぺしゃんこのバッグ、もう一枚は刃先が欠けたペディナイフで、その共通点は乾いた血の汚れが残っている事だ。 「どうです? こびりついた深い恨みの念が見える気、しません? ちょっと想像力を働かせてみて下さい」 「なぁ、わかるだろ。お前がどんな目に遭ったとしても、それ、自業自得だってのが」  畳みかけてくる二人の言葉に、俺の心をへし折る明確な意図を感じた。  でも、 「やったのは、本当に俺か?」  疼く疑問を吐き出さずにいられない。 「おや、随分と曖昧な言い方をしますね。それじゃ、反論にも抗議にもなりませんよ」 「でしゃばる通行人を刺した覚えはある。でも、それ以外……色んな記憶が胸の中で渦巻いて、もう……」 「何が何だかわからない、ですか?」  サングラスの男が会心の笑みを浮かべた。 「確かにお前ェは罪人だよ。殺人の罪を犯してる。それは認めるよな」 「……ああ」 「なら、良いじゃねぇかよ。一人殺すも、二人殺すも、三人殺すも同じじゃねぇの?」  いかつい奴の言葉も実に楽しそうだ。 「受け入れちまえ、お前の中にある罪、その全ての記憶を」 「全て……それって、つまり」 「どうやら真相に辿り着いたようですね」  サングラスの男が何を仄めかしているのか、理解したくない答えが目の前にあった。  俺に移植された記憶は「一人分」ではない。  昨今起きた「無敵の人」による凶悪事件の内、被害者、そして加害者の分け隔てなく、この施設で回収できた脳髄から記憶を抽出。ごちゃ混ぜで俺へぶち込んだと言う訳だ。  俺の脳は今や、相反する感情、記憶がひしめく坩堝。人体実験の継続によりどれくらい貴重なデータが取れるかも知れない。 「だからさぁ、受け入れるしか無ぇんだって。お前、何もかも、そのまんま」  いかつい奴は一層楽しそうに言う。 「に、人間だぞ、俺だって。基本的人権って奴があるんだぞ」 「今回の治験は司法の許可を得、ちゃんと被験者側の同意書も作成して行われています。抗議する余地が君には無い」 「同意!? 俺はしてねぇ!」  即座に断言した。  幾ら記憶が混乱していても、それだけはわかる。こんな無茶な実験のモルモットに、誰が進んでなるモンか。   「誰だよ、被害者側って!? 教えてくれ。俺の代りに誰が同意した? 一体、何処のどいつが……」  いかつい男の羽交い絞めで動けない俺に対し、度付きサングラスの男は隣室へ続く大きな窓の方を見やり、ゆっくり顎をしゃくって見せた。  多分、控室にでもなっているのだろう。  強化ガラス越しにそ~っと俺達の様子を覗く姿がある。  窓枠で隠れる様にしているが、それが八十過ぎの母であり、背後を気にする素振りから死角に父がいるのも想像できた。  悪夢の中に現れた「毒親」キャラ、そのまんまだが……  瞬時に俺は確信する。  あの人が母親だと言うのは、他の誰のものでもない。紛れもなく俺自身の記憶に違いない、と。  でも、   「親が同意したのか? 俺の心をいじれって」  いかつい男の苦笑する声が、耳のすぐ後ろから聞こえる。 「お前さぁ、親孝行の一つもできず、暴力さえ振るう人でなしに恨む資格があると思うンか?」  無い。  無いさ。それは誰より俺自身が一番良く知っている。 「君の親御さんね。錯乱状態の君が措置入院中に治験候補となった時、むしろ進んで性格矯正を我々へ申し入れてきたんだよ」 「何だと!?」 「治療してやってください。頭ン中、すっかり別人になっても構わないからってね」  なぁ、母さん。    それ、俺の死を願うのと同じだろ?  声も無く、窓の向こうの親を見つめる俺の体に、度付きサングラスの男が鎮静剤の注射針を突き立てた。    意識が薄れゆく最中、いかつい男が俺を見下ろしながら告げる。   「楽しみにしてな。明日、新たな被害者の記憶情報が届く。そいつもキッチリ、お前の脳細胞へ流し込んでやるぜ」  度付きサングラスの男が続けて言う。 「より深く記憶の中枢へアクセスする分、君本来の記憶が消滅する可能性もあります。でも、今日くらい元気なら」 「まだまだ、耐えられるよな? 心がぺしゃんこになるまで」  薄れていく意識の中、俺は男達へ声にならない反論をしていた。  弄ぶ気なら無駄な事。  もう被害者達の記憶を拒む気なんて、今の俺には欠片も無い。    何も得られず、何も果しえない「無」そのものの俺の人生に、悪夢の中とはいえ、ほんの一瞬、家族ができたんだ。  さっき、あれ程、逃れたかった絶望が今じゃ愛しい。  そして、妻と子を失った男の怒りが、俺の精神を完全に打ち砕く裁きの時を待ちたいと思った。  罪に相応しい報い。  他人の記憶のおかげで、そう思える位はまともになれたかな?  今日、何度目かもわからない意識喪失の瞬間、俺は頬に苦い笑みが浮かぶのを感じていた。
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