まるい庭のなかで

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「な、……え?」 今の状況を言い表す言葉が見付からないと言わんばかりに瞬きと意味のない音の羅列を繰り返す様子に、「チャンスだ」と捉えたぼくは声にかぶせて言葉を並べる。 「はじめまして、こんばんは。突然だけどきみは今とても疲れているから『生命の権利と義務』としてしばらくの間休まなければならない。これは天界の決まりにも記されている、誰も抗うことの出来ない重要な事項なんだよ」 「君は、……え、……なにもの……?」 「きみが休んでいる間にぼくはきみの中に眠る『悩みの種』を探す、『悩みの種』が芽吹いてからじゃきみの心は壊れてしまうからな。 『悩みの種』を取り除いたら、きみの休む時間は終わりだ。心置きなく行きたい場所に行けるし、やりたいことを思い切りするのが『権利』になる」 言葉の応酬を放棄した、いきなりの一方的な説明。 ぼくはポケットの中に忍ばせていた『悩みの種』を「これがそうだ」と言って、唐突な困惑の渦の中にいる彼女に見せた。 「──……、……」 彼女に見せた『悩みの種』は、さまざまな色が混じり合って濁った色をしている。怒り、哀しみ、疲れ、嫌悪。色んな感情の集合体と言えば一番適切だろうか。 傍から見るとかなり異様な光景だろう。言っていることも支離滅裂と取られかねない。『悩みの種』も彼女には紛いものに見えたはずだ。事実、彼女は今も怪訝そうにぼくを見つめている──でも、それでも。「からかいなら他所を当たってくれ」と言わないのには理由があった。 それは。 「猫の耳と、尻尾と、……羽根……」 ぼくの頭上で気持ちに合わせて動く黒い猫の耳や尻尾と、身体に見合わぬ小さな小さな羽根のためだろう。おかげでこの奇怪な状況を更なる奇怪さで上塗りすることが出来た。 仲間とともに『異形のものども』と天使たちになじられた見た目が、今は役に立っている。 「……ハロウィンでもエイプリルフールでもない、よね」 「……信じるのも信じないのも自由だけど、これは『決まり』だ。ぼくは決まりを遂行するためにここに来てる。 遂行しないと仲間の元に帰れないから、これからしばらくきみの所に居座らせてもらうぞ」 我ながら横暴な言い種だと思う。いきなり現れた奇怪なやつが不可解なことを言って、更には「しばらく傍に居る」とのたまうのだから。ぼくが彼女だとしたら「嫌だ」の一言で切って捨てていると思う。 今すぐこの場から逃げ出さないだけでも胆力がある、いや。もうその気力も削がれているのだろうか。 彼女はぼくから目を逸らし、躊躇いがちにひとこと呟いた。 「君が私の悩みを探して解決するから、それまではどこかで休んでてってこと?」 ざっくり言ってしまえばそういうことになる。飲み込みが早い、聡明な少女だ。 「だいたいそういうことになるな」 ぼくが頷くと、少女の表情が僅かにほころんだ。 「なら、お願いしようかな。 ……もう最近、何が楽しいのか、何を支えに頑張ればいいのか分からなくなったんだ。かといってその原因がどこにあるのかも分からない。いっそぜーんぶ投げ出してしまったらいいのかなって思ってさ。 疲れちゃったんだ。どうしたらいいのか分からない」 「……なるほどな」 そのときぼくは気が付いた。表情がほころんだと言っても、眼の奥は澱んで昏い感情が渦巻いている。これは早急な原因の解明と『悩みの種』の回収が望まれるだろう。 「悩みは人を成長させる糧、芽生えた先に美しい花が咲けばそれでいい」と天使たちは口を揃えて言うが、成長のために心が壊れてしまっては元も子もないのだ。人が成長できるのは心の健康があってこそ。 誰かの手が介入できる余地があるなら、 惑う心を救うことが出来るはずだ。 ぼくは彼女の傍まで近寄ると、片手をめいっぱい伸ばして華奢な手のひらを叩いた。交渉成立の合図だ。 「必ずぼくが、きみの心を救い出す」 彼女は何度めかの瞬きをした。瞬いて、微かに笑った。 「よろしく、不思議なちいさい天使くん」 天上の住人たちへ、見ていろよ。 見目麗しい者だけが人を救う権利があるわけじゃない。 見守るだけが、天啓を伝えるだけが愛じゃない。 外れてはぐれたものだからこそ、見えてくるものもある。 よく見ていろ。 おまえたちが背を向けた世界を、 ぼくたちが再興する。
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