マジカルばなな

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マジカルばなな

「やべ、漏れそう」  膀胱から発信される危険信号をキャッチした俺は、すぐにゲームのコントローラーを置いた。ゲームに熱中するとうっかりトイレを後回しにしてしまうのが俺の悪い癖だ。  足早にトイレに向かい、扉を開ける。すると、トイレに座った知らないおっさんと目が合った。 「入ってまーす」  その低い声と同時に反射的に扉を閉める。あまりの驚きで脳がショートし心臓がドクドクと激しく波打っているのだけがはっきりと分かった。おそるおそる頬をつねり、   「現実じゃねーか!」  頬のジンジンとした痛みでようやく我に返った俺は、再びゆっくりと扉を開ける。  中にはおっさんが—— 「増えてる……」  なんだか頭がクラクラする。やはりこれは夢なのだろうか。頭を抱える俺を、おっさんAは心配そうな顔で覗き込む。 「あの、大丈夫ですか?」 「大丈夫に見えるか? お前らのせいだ!」 「そうですよね、すみません。我々も事故でここに飛んできてしまったようなのです」  事故? と首を傾げると、おっさんAは申し訳なさそうに口を開いた。 「我々は別の世界からこの世界に観光に来た者です」  おっさん曰く、別の世界から観光でこの世界に来ており、普段は公衆トイレなどから出て来るはずが、バグのようなもので俺の家に繋がってしまったと言うことらしい。 「そんなこと信じられるか! 空き巣かなんかだろ? 待ってろ、警察呼ぶからな」  スマホを取りに部屋に戻ろうとした時、「うわっ」という野太い声がしたかと思うと、トイレの中からおっさんが四人出てきた。   「まじかよ……」  残念ながらおっさんの言っていることは本当らしい。六人のおっさんは深々と頭を下げてトイレから出てくる。  唖然とする俺に、最初に出てきたおっさんAが駆け寄ってきた。 「まだまだ出てきますよ。なんせ、マジカルばななですから」 「……は?」  あの「マジカルばなな」を思い浮かべ、半信半疑で手を叩くジェスターをすると、おっさんはにっこりと頷いた。 「そう。我々の世界では移動時にマジカルばななを行うのがルールでしてね。観光に来る全員でマジカルばななをしながら来るわけです」 「冗談きついぜ……」  これからおっさんでいっぱいになる部屋を想像して、軽く嗚咽する。美女ならまだしも、おっさんとは。加齢臭で簡単に気を失えそうだ。 「すまないが出直してくれないか。はっきり言って迷惑だ」  それに、今この瞬間にも俺の膀胱がピコンピコンと危険信号を発している。 「すみませんねぇ。お詫びにご馳走させてはいただけませんか? 我々の世界の食事もなかなか美味ですよ」  おっさんAは満面の笑みで、異世界の御馳走を思い出すように顔をほころばせる。 「例えば、油の乗った『たらせ』の肉、果汁あふれる『げた』の実。『ひもぎ』なんて風味もこちらの世界じゃ味わえないでしょう」 「……なんだって?」  知っている言葉に似ているようで異なる単語に戸惑うが、目の前のおっさんはさらにうっとりとした表情を浮かべている。とりあえず、タダ飯ならいいかと俺は軽く頷いた。 「分かった。じゃあ、いただこうかな」  俺の言葉におっさんAは嬉しそうに頷く。 「良かった。では一度元の世界の戻りましょう」  そう言って、今なお増え続けるおっさん達に大きな声で続けた。 「皆さん! 不具合のようなので一度戻りますよ! ささ、列になって」  おっさんAの指示に従って、他のおっさんたちもトイレに向かって列をなしていく。トイレから出て行くおっさん。トイレに並ぶおっさん。俺のトイレでおっさんの永久機関が完成しそうだ。 「はは、おっさんしかいないのかよ」  乾いた笑いを浮かべた俺の背中をおっさんAが軽く押す。 「さあ、あなたも並んで。まずは私たちがお手本を見せますから、それに倣ってくださいね」 「わ、分かった」  促されるまま、俺は列の最後尾に並んだ。俺の後ろには続々とおっさん並び続けている。本当に何人来るんだ、これ。 「なんですか、これ」 「不具合なので一回帰るみたいです」 あぁ、そうなんですか。なんて言うおっさんの会話を掻き消すようにおっさんAは大きな声を出して振り返った。 「行きますよー!」  そう言ってリズミカルに手を鳴らす。 「マジカルばなな。ばななと言ったら『なにれ』!」  その瞬間、おっさんAの姿が一瞬にして消えた。驚く暇もなく、後ろに並んだおっさん達も続けて手を鳴らす。 ——パンパン 「『なにれ』と言ったら『れたにし』!」 ——パンパン 「『れたにし』と言ったら『しろら』!」 ——パンパン 「『しろら』と言ったら『らばにら』!」 「本当に何語だよ……」  次々と消えていくおっさんの声を聞きながら、俺は頭を抱える。異世界語らしいが、どれも連想するのが無理なレベルだ。 「『ばてなし』と言ったら『からみま』!」  途方に暮れていると、すぐに俺の番が来てしまう。こうなったらそれっぽい言葉を言ってみるしかないだろう。  しょうがない。適当に言ってみるか——。 ——パンパン 「え、えっと、『からみま』と言ったら『はなたら』!」  ……何も起こらない。完全にそれっぽい言葉を言ったのに。やはり前の言葉から連想できるものでなければワープはできないのだ。 「後ろ詰まってるから早くしてくれよ〜!」  冷や汗をかく俺の耳には後ろのおっさんの大きな声が聞こえてくる。仮に近くのおっさんに『かみらま』が何か聞いたところで、そこから連想される言葉を知らないから意味がない。 「まじで何語なんだよこれ!!」  半ば諦めかけて叫んだその時、俺の視界はぐるりと暗転した。 「……は?」  気がつけば、やたらと人の多いトイレの個室に立っていた。あまり見かけないオレンジ色の壁紙が目に飛び込んでくる。  時差でワープが成功したのか? そんなことを思いながらぼんやりとしていると、新しく飛んできたおっさんが俺にぶつかる。 「おっと危ない。ぶつかるから早く出たほうがいいぜ」  軽い調子でそう言うと、おっさんはそそくさとトイレから出て行く。俺は慌ててそのおっさんの後を追いかけた。 「あの、あなたはなんて言って出てきたんですか?」 「ん?『れはた』だよ。美味いよな〜あれ」  俺の質問に、おっさんはうっとりしたような顔をして答える。なんだよ、『れはた』て……。食べ物なんだろうが、やはり意味が分からない。 「待てよ……」  ふと、おっさんAの言葉が頭をよぎる。 「マジカルばなな。ばななと言ったら『なにれ』!」  なにれ、れたらし、しろら、らばにら……そしてからみま。  俺はワープする前のことをよく思い出そうと目を閉じる。 『「まじで何語なんだよこれ!!」 「ん?『れはた』だよ。美味いよな〜あれ」』  点と点が繋がり、頭の中の霧が晴れたように冴え渡る。知らない街と、次々と渡ってくるおっさんまでもがどこか美しく見えた。  そしてふらふら外に出ると、青く澄んだ空を見上げ大きく息を吸い込んだ。 「……しりとりじゃねーか!」  
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