プエル・エテルヌス

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 ――誰かが泣いている。  不意に聞こえて来た少女の泣き声に、僕は目を覚ました。  眠い目を擦って体を起こす。よくよく聞いてみると、その声の主は、よく見知った人の声だったことに気が付いた。  左右対称に作られた部屋の反対側。そこにあるベッドに、彼女は寝ていたはずだ。だけど消灯時間が過ぎているのと、眼鏡を外しているせいで、本当にそこに彼女が居るかは分からなかった。ただ、この部屋には僕と彼女の部屋だから当然そこに居ると思って、いつも通りに声をかけた。 「ジョーカー、どうしたの?」  すすり泣く声は一瞬止み、衣擦れの音と共に返答を返してきた。 「…ごめん、起こした?」 「気にしなくていいよ。それより、どうして泣いてたの? 僕の知らない所で、キリノ達から何かされた?」 「もしそんなことされたら、ボクなら三倍返しにするって分かってるでしょ」 「そうだけどさ」  軽口を叩き、重苦しい雰囲気を和らげようとする。いつもおちゃらけて飄々としている彼女だったが、その返答はやはり、明らかに元気が無かった。  自分のベッドから起き上がり、ジョーカーのベッドに向かう。物心ついた時から変わらないレイアウトの部屋だ。目を瞑ったってそこまで辿り着ける。  ジョーカーのベッドに腰掛けると、彼女は何も言わずに僕の隣に座り直し、僕に体を預けるように寄りかかった。 「……ねえ、サイサロス」 「愛称じゃなくて正式名称で呼ぶってことは、相当真面目な話だね」 「うん。……今からボクが言う事を、信じてくれる?」 「話の内容によるかな」  僕は素直に答える。  するとジョーカーは、何度も僕に頭突きをして、無言の苦情を訴える。  そうしてしばらくした後、再び静かに口を開いた。 「信じて欲しい」 「善処はするよ」 「この嘘つき」 「君に言われたくないな」  ジョーカーの言う事は話半分に聞いた方が良い。だって、それが現実の、本当のことかは定かではないのだから。  彼女の性格が問題なのではない。彼女の持つ、力が問題なのだ。  ……いや、性格もちょっと問題かもしれない。ほんのちょっぴりだけ。彼女はその名の通り、道化を演じるから。僕にだけは、こうして本当の姿を見せてくれるけど。  ジョーカーは少しの間迷っていたようだったけど、ややあって、信じられないような事を口にした。 「ボクは明日、マザーに殺される」 「そんな馬鹿な」  僕は深く考えずに、真っ先に思った言葉を返す。  マザーは僕達にとって、親代わりの存在だ。いつも僕らを見守ってくれて、時には厳しく、時には優しい言葉をかけてくれて、食事の用意や洗濯のような家事も全部やってくれるし、外の世界に出た後に困らないよう、勉強の面倒も見てくれる。  そんなマザーがジョーカーを、僕達子供を殺すなんて。  いくらジョーカーの声色が真剣だったとはいえ、にわかには信じられなかった。 「質の悪い冗談でしょ? 明日君は卒業して、ようやく外の世界に行けるっていうのに」 「……やっぱり、信じてくれないんだね」  ジョーカーは悲しそうにそうぼやく。僕への返事というより、ただ独り言を呟いたような、そんな感じだった。 「キノが信じてくれなかったとしても……それでもボクは、知っているんだ。このドリームランドが何故作られたのかも、マザーの目的も、外の世界がどうなっているのかも……」  不意に、ジョーカーは僕に抱きついてきた。  すがりつくように。いつかジョーカーと一緒に見た絵本に出ていた罪人が、神様が落とした蜘蛛の糸を掴もうとしているかのように。 「ねえサイ、ボク、死にたくないよ! お願い、ボクを助けて……!」  初めて聞いたジョーカーの声色に、正直僕は困惑した。  多分、ジョーカーの言っていることが嘘でも本当でも、きっと彼女自身は本当のことだと心の底から信じているのだろう。  だけど、やっぱり僕は、マザーがそんなことするとは思えない。  だから僕は、こんな風に答えたのだ。 「いつもの発作のせいで、悪い夢を見ただけだよ。一眠りして起床時間になったら、君はマザーに殺される事もなく、平和的に、君が今まで待ち望んでいた外の世界に旅立つんだ。――だから、今日はもう寝よう」  そんな会話を最後に、僕は別れの時まで、ジョーカーと一言も会話を交わすことはなかった。
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