#1 西紅柿炒鶏蛋(トマトと卵炒め)

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 ユキさんが店員さんに注文する様子を見ながら、お冷を口に含む。そして、ユキさんの「ここ来るたびに別のメニュー食べていけば」という言葉について考えていた。  俺は、いつ、どのくらいの頻度でここに来ていいんだろうか。  世間の恋人同士は、そういう部分をどうやってすり合わせているんだろう。いや、大学の同期たちは彼女の家に行ったとか来たとか話してはいるけど、俺は何となく、そこに深く入って行けない。そもそも男同士でそんなにつまびらかに恋愛の話なんかしない。  ユキさんに、恋人とはどのくらいの頻度で会ってたの、なんて聞ける訳がない。誰も幸せにならない。  先日勢い余ってChatAIに聞いてしまったら、 〝遠距離恋愛の場合やお互いに忙しいライフスタイルを持っているカップルは、週に一回や月に数回しか会えないこともあります〟  と回答され、AIからしたら週に一回も月に数回も「少ない」扱いなのかと驚愕した。俺は高校時代は、小遣い切り詰めて、やっと週一でユキさんのカフェに行っていた。大学に入って一人暮らしを始めたら、生活圏が離れて週一で行く理由付けもなくなり、月二回程度しか会っていなかった。たぶん、人間界で「週に一回しか会えないのかよ」と言ったら、サーッと相手は引いていくだろう。いや、ユキさんは困ったような笑顔で「ごめんねぇ」と言いそうだ。その口元に、あの窪みはないだろう。引いてくれた方がまだマシだ。AIはまだまだ、人間の感情の機微なんて分かっちゃいない。  俺がAIに勝ち誇っていたら、引き続きメニュー表を見ていたユキさんが大きな声で言った。 「すごいねぇ、町中華なのにフカひれの姿煮とアワビの煮込みあるよ!」 「これマイコーの可能性高いな」 「これ、ミライくんのハタチの誕生日祝いに食べようよ……って、ハタチの誕生日は町中華じゃないか」 「いや、いい。ここがいい」  俺は、誕生日にイイ感じの店に行って、ひととおり食べ終わった後店が暗くなってドリカムのバースデーソングが流れ、花火の刺さったバースデープレートとか運ばれてきたら、絶叫しながら店を飛び出すと思う。ユキさんがそういうイベントを企画しない、という自信はない。  この店だったら確実に、フカひれ旨いアワビ旨い、ビールは苦い、で済むだろう。  そうこうするうちに、俺が希望した「イカとセロリの黒コショウ炒め」が運ばれてきた。飾り包丁が綺麗に網目のように入った四角いイカが、セロリと共にゴロゴロと盛り付けられ、粗く挽かれた黒コショウが白いイカに映える。勝ち確定だ。  ハイハイハイハイハイ、とテーブルの隅の取り皿をユキさんに渡し、「各自な」と宣言して、さっさと好きなだけ自分の皿によそった。 「イカうまっ」 「ぷりぷりだねー、セロリもシャキシャキだしさぁ。家で作ったら絶対イカもそもそになるよね」  俺には、これを作ろうなんて発想はない。曲がりなりにも一人暮らしをしているというのに、袋めんに野菜炒め用カット野菜を突っ込んで「野菜食ったな」と満足している程度だ。 「料理、するんだね」 「するでしょ。都会の一人暮らしで全っ然料理しないのは、サバンナで自分で獲物獲れないのと同じだよ? てかもっとハードル低いしね」  ぐうの音も出ない。自分の食べるものを自分で確保する。それは多分、大人になった生き物としてやらなきゃいけないことだ。 「あでも、普通に牛丼屋もラーメン屋も行くからね? 今日だってこの店来てるし。家でしか食べられない料理ってあるじゃん、そうめんとか」 「そうめんは俺でも茹でられる」 「まぁ例えばだよ。他には……んー。何かある?」 「……えー、あぁ、ポトフとか。おじやとか?」 「あ、そうそう。そういう『あんま体調良くないときに食べたい系』は料理屋さんにはないでしょ」 「コンビニでパウチのおじや……」  俺が言いかけたところで、ユキさんが注文した「トマトと卵炒め」が到着した。 「あー旨そう! 卵トロトロふわふわのうちに食べなー」  ユキさんは取り皿をもう一枚ずつ取って、添えられたスプーンで大皿の半分ほどを一気によそって、ハイ、と渡してくれた。ヒダのある大ぶりのスクランブルエッグが、半熟の卵液をまとってつやつやと一体化している。その隙間から、元「くし切りのトマト」、現「形を崩しつつあるトマト」が顔を出す。  口に入れるとまず、トマトの酸味が感じられた。でもそれは、卵に包まれて穏やかだ。当然のように舌で押しつぶせる、ふんわりととろりの中間の卵。こういうの食べると「卵は飲み物です」とか言い出す奴居そうだ。 もし俺が、あらかじめこの卵の火加減の絶妙さを知っていたら、食べ時を一秒たりとも逃したくないし、きっと我先にと自分の皿によそっている。「トマトの卵炒めをよそってもらいましたけど、この人は私のことをどう思っていますか」って聞かれて、AIは何て答えるだろうか。  油断したところで、右頬側で噛んだトマトの種部分がめちゃくちゃ熱かった。上向いて口開けて蒸気を逃がしていると、同じことしている人がいる。今、同じもん食って、同じくらい熱くて、同じくらい旨いんだな、と思った。  同じではない。同じ「くらい」。俺とユキさんの味覚は確実に違う。俺は、ユキさんが淹れたコーヒーでさえ、途中からミルク足してもらわないと飲めない。たまに、いやそこそこの頻度で不安になる。俺は数字上大人だけど、十七から俺を知っているユキさんにしたら、俺が子どもから大人になるグラデーションは緩やかすぎて、十七の頃とどう変わったの? って思っていそうだ。いやでも、結局十九になって大人初心者マークが取れたということで付き合えたわけだし 「ね、ミライくん聞いてる?」 「全然聞いてない」 「うん、知ってて聞いたよ。炭水化物メニュー大ライスでいい?」 「……おい、マイコーどんだけこの店のライス気に入ってんだよ」 「分かんないよ? 水加減絶妙! って思ったかもしれないよ?」 「白米の水加減の絶妙さ感じ取れるって、マイコー日本人なんじゃないのか」  しかしまぁ、トマトの卵炒めをのっけた大ライスは抜群に旨かった。トマト汁と卵汁を余すことなく堪能できる。  大ライスをレンゲでかき込みながら、俺は、料理が供される前に検討していた課題「この店にどのくらいの頻度で来られるか」を探る質問を思いついてしまった。 「あのさ、マイコーに辿り着くまで、どれくらいかかると思う?」 「え、お金?」 「じゃなくて、期間。何年がかりになんのかな、って」  あ、口滑ったな、と思った。これじゃ、頻度気にしてる奴以前に、どのくらいの期間一緒に居られるか気にしてる奴みたいだ。しかも初っ端から年単位。数秒前に戻って、口から出た文章全部deleteしたい、と思いながら、ライスだけを口に押し込む。ユキさんは、大ライスの茶碗、というか丼を脇によけ、メニューを広げて、えーっと、と数え始めた。好物のトマトの卵炒めがまだ、皿に残っている。分厚いメニューの品数を数えた後は、スマホを取り出して弄り始めた。頼むから、先に食べてくれよと言いたいが、タイミングを逸した。 「……一年だね!」 「それ、どういう計算なの。あ、いや、食べながらでいい」  ユキさんは、あそう? と言ってトマトひと切れとライスふた口を食べた後、もう一度スマホを手に取った。 「えっとね、まずこの店のメニューが九〇品で、週刊少年ジャンプの年間発売回数が五十二回だから、一回につき二種類頼んだら、一年で余裕で達成できるよ!」  慎重に逆算……するまでもなかった。週刊少年ジャンプの年間発売回数を引き合いに出すということはつまり、週一でこの店に来る、という勘定になっている。あっ、いいんだ、と思った後、二の腕あたりの力がふわっと抜けていく。俺は、なんと質問上手なのかと自画自賛したくなった、いや、現在進行形でしている。ユキさんからメニューを奪って広げた。 「じゃあ、デザートも食おう」 「えっ、じゃあって何? 俺杏仁豆腐ね、絶対あるでしょ?」 「まぁ杏仁豆腐とマンゴープリンは絶対あるな」  デザートのページを開きながら、俺は気付いた。  俺達、会う度にこの店来る計画になってる。いや、中華以外も食おうよ。勢いでつっこみそうになったが、店の人に聞かれるとまずいので、小声で 「二年かかっていいから、色んな店行こう」  と言った。
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