第一話 完全な孤独

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第一話 完全な孤独

 私が『完璧な生活』として思い描く状態は、私から日の出と日没のように遠く離されている。  年若い頃からずっとそれを追いかけて来た。十六歳の時に受けた雑誌インタビューにて述べた言葉は私にとっての真実で、それが今に至る行動指針でもある。それは「完璧な生活のためには孤独が必要だ」ということだ。  今日は1944年7月17日。1909年から今に至るまで私のことを騒ぎ立て続けているニューヨーク・タイムズ紙は、サイパン島での日本軍壊滅を未だ礼賛し続けていた。ボストン・ヘラルド紙ですらそれに倣っている。その中、良心的兵役拒否者である私は戦場から遠い母国の地で、代わり映えのない生活を送っている。私は今年、四十六になった。  洗面所で顔を洗い、私は鏡の中の私を見た。短く整えられつつも、白いものが混じり始めた栗毛(ブルネット)、そして落ち窪んだ灰色の瞳。インタビュー時の若々しい肖像写真(スチル)とは違う、疲れきり削げた顔だ。今に至るまで、完全なる孤独などどこにもない。存在しない。  いくつかの嫌な出来事を経由して、二十代前半で東海岸へ戻った。選んだ職はウォールストリート金融街での紙幣計算のアルバイト。多くの同僚が計算機を使う中、私だけが暗算だった。一日の大半を単純な計算に費やし、定時刻に帰宅する。そして近しい友人とだけ交友を持って、興味の湧く題に沿って議論する生活を続けていた。そんなささやかで静かな生き方でさえ長くは続かない。三十代後半からずっと、つい先日まで、私は法廷闘争の場にいた。  書き殴られた『かつての神童の没落』という廉価記事。私をひとりの人間として扱わないことを固く誓っているマスメディアと司法は、私は公人であるから、月給額も職種も、気に入りの床屋も歯磨き粉のメーカーもすべて詳らかにせねばならぬのだと言う。それが表現と言論の自由だと人々は言う。その前には私の人格権など塵芥に過ぎぬのだと。私は、それに抵抗した。  私の人間性と、静かな生活を約束してくれたのは連邦最高裁だった。約七年の闘い。私は疲れ切ってしまった。  身支度をして仕事へと向かう。職場にて奇異な瞳で見られることは、もう慣れてしまった。今は三十五歳のときに得た、地方公務員職に就いている。それなりに穏やかに過ごせていた。けれどそこに、ザ・ニューヨーカー誌を殴り倒した元神童という肩書きが加えられる。神童だったのに、今は地方公務員をしているのだと。それでいい。もう、そっとしておいてくれ。  また今日も、くだらない一日を始める。  アパートメントの自分の部屋を出て、鍵を閉める。そして階段へ。一歩踏み出したとき、私は激しい頭痛を覚えてその場にうずくまった。しかし階段を踏み外してしまい、階下へ転げ落ちる。その衝撃が、痛みと感じられないほどの痛み。頭が痛い。声が出ない。目がかすんで、どんどん見えなくなって行く。  サイディスさん、と大家が私を呼ぶ声が遠くに聞こえた。だいじょうぶですか、と焦った声。けれど答えられない。自分が今声を出しているのかもわからない。  だんだん呼びかけが聞こえなくなる。私は死ぬのだろうか、とふと思った。それはもしかして、私が望んだ『完璧な生活』の、完成形かもしれなかった。  それもいい、と思った。  そして。  目を開けたら、見知らぬ路地に立っていた。つい先程まで感じていた激しい頭痛はなく、必死に私へ呼びかけていた大家の姿もない。辺りを見回す。セントラル・パークの中に、規則性を持って小さなメトロポリタン美術館をたくさん建造したような場所だった。立っている路は石畳で、清掃が行き届き、おそらくどこかの観光地だろうと思う。風が通り抜ける音が異様に低く、耳にこびりつくような気味の悪さを感じる。しかし空は晴れ渡り、とても心地よい天候だった。  しかし、どういった理由で自分がそこに立っているのかがわからなかった。ともかくは現在地を確認しようと、人々が行き交う大きな通りへと出た。  私は奇妙な気持ちになった。通行人たちは、まるでギリシャ神話の演劇から出てきたかのように、ゆったりとした布を身にまとっている。色は様々で、布地も模様もそれぞれで違うが、体に巻き付けている着こなしは老いも若きも皆同じだ。  路端に立ち呆けて私がそれを観察していると、通行人たちも無遠慮に私を眺めた。立ち止まる者もいる。それはそうだろう。私は仕事へ向かうために着込んだ、ロジャース・ピート・カンパニーの三つ揃えの黒いアメリカ式スーツ姿だ。それに合わせた山高帽(ポーラーハット)もかぶっている。  奇異なのは、おそらく私だろう。注目されるのは慣れている。しかし、人々の視線はこれまで同様下衆な勘繰りの嫌なものではなく、純粋な好奇心に満ちているように思えた。すぐに、大小さまざまな人たちに取り囲まれる。  子どもが我先にと私へ話しかけて来た。私はその言葉の意味がわからず「もう一度言ってくれないか」と返した。子どもは目を丸くして、後ろに居た母親らしき人の服を引っ張る。  若い男性が話しかけて来る。やはり、音の羅列としかわからない。これまで二十五カ国の言語を手慰みに習って来たが、そのどれとも全く違う言葉だと思えた。どこかで聞き覚えがあるような、しかしどこでもない、言語の断片が不協和音のように混ざり合っている。構造を探ろうと黙考するが、まるで糸が切れたように理解できない。  私は驚きと戸惑い、そしていくらかの不安を覚える。それに、隠しきれない好奇心。人々が同じ言葉を何度か使ったため、名を尋ねられているのだと把握した。よって私ははっきりとした発音で名乗った。 「私は、ウィリアム・ジェイムズ・サイディスという者です。こちらはなんという街でしょうか?」  ウィリアム、ウィリアム、と何度か繰り返した。顔を見合わせた人々は、私をどこかへ連れて行こうとする。なにかの当てがあるわけでもない私は、それに従った。メトロポリタン美術館を三分の一にしたような建物へ先導され、私は椅子へ座らされた。  部屋の中には、たくさんの書類が壁に貼られていた。そのどれも解読できない文字だった。規則性は見られるので、いくらか学べば習得できるのではないか。自分の状況にそぐわぬ高揚した気持ちを少しだけ味わう。しかし、それよりも現状把握だ。  髭を生やした男性がやって来て、私を連れてきた人々へいくらかの質問をした。ウィリア、ウィリアと言われたので、私はウィリアではなくウィリアムだと訂正する。その私の発言に、男性も人々も黙った。  男性は優しい表情で私の肩を何度か叩くと、緑色の茶を淹れて手渡してくれた。緑色の茶とは。私は好奇心からそれを口に含む。そしてむせた。まさか、こんなに苦いものだとは。  私は、その後違う場所へと移送された。そして人々が着ているのと同じ布を与えられ、着替えさせられる。脱ぐ際にセルロイドカメラのような箱型の物で記録され、スーツや帽子は回収されてしまった。こちらでは帽子をかぶる習慣がないのか、私が頭から取ったそれがひときわ気になるようで、おそるおそる触ってみては、同じくかぶってみる者もいた。内ポケットに入れていた財布と手帳だけは返してほしいと頼んだが、さすがに伝わらなかった。  下着や靴さえも交換させられ、私はすっかり現地人のようになった。その姿で先導人に着いて回ると、他の誰も私を注目しない。話さなければ、私はそこに溶け込んでいた。それはとても新鮮な驚きだった。  なぜなら、どんな季節でも私は帽子をかかせなかった。目深にかぶって目元を隠し、人相がわからないようにしなければ、どこを歩くのも怖かった。  今、私はこうして、全く知らない街で、知らない言語で、知らない文化の中に置かれている。人々は私のことを知らない。誰も知らない。  もしかして、と思う。これが、私の求めていた『完璧な生活』だろうか? 完全な孤独の中にあり、誰からも干渉されない夢のような生活。しかし、それが本当に私の望みなのか? ここがどこかもわからない。言葉すらも通じない。人々と同じ服を着てしまえば、誰かが私を振り返ることもない。――それは、望むべくもないものだ。  声を上げそうになった。私は孤独だ。私は自由だ。この場所において、私は孤独で自由な存在になったのだ!  それは、とても……私にとって、とても美しい事実だった。
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