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あのアムンゼン…
アラブの至宝のことを、考え続けた…
すると、いつのまにか、食事をする私の手が止まった…
これは、誰でも、同じ…
同じだ…
あまりにも、なにか、考え事に夢中になると、食事も、手につかなくなる…
私も、それと、同じだった…
人間は、誰もが、それほど、器用ではない…
考え事をしながら、同時に、なにかをし続けることは、できない…
つまり、そういうことだった(笑)…
私が、箸を止めて、考え込んでいると、葉尊も、すぐに、それに、気付いた…
「…どうしました? …お姉さん…お腹が、空いているんでしょ?…どうして、食べないんですか…」
「…いや、アムンゼンのことを、考えてな…」
「…殿下のことですか?…」
「…あのアムンゼンの狙いが、わからんのさ…」
「…殿下の狙いは、ハマスが、イスラエルを攻撃することを、事前に思いとどまらせることだと、さっき、お姉さんに、言ったじゃ、ないですか?…」
「…それは、わかったさ…」
「…だったら、なにを?…」
「…いや、それだけとは、思えんのさ…」
「…どういうことですか?…」
「…あのアムンゼンのことだ…他にも、狙いがあるんじゃないかと、思ってな…」
「…」
「…アイツは、食わせものさ…したたかな男さ…」
「…」
「…考えてみれば、あのオスマンが、ラーメンを食べるのを、ネットにアップしたんだって、今回の件と関係があるのかも、しれんさ…」
「…関係ですか?…」
「…そうさ…たしか、葉問が、あの動画をアムンゼンが、ネットにアップしたのは、オスマンに試練を与えるためだと、言っていたが、私は、信じんさ…」
「…」
「…アレは、きっと、別の狙いがあるのさ…」
「…どんな狙いですか?…」
「…それは、わからんさ…ただ、オスマンに試練を与えるだ、なんだと、葉問は、言っていたが、私は、違うと思うさ…」
「…どうして、そう思うんですか?…」
「…あのアムンゼンは、試練だなんだと、そんな意味のないことは、しないさ…」
「…」
「…それは、高校野球のしごきと、いっしょさ…アムンゼンは、意味のないことは、しないさ…練習と言っても、理屈に合わんことは、せんさ…」
私が、言うと、
「…」
と、葉尊は、なにも、言わんかった…
私同様、箸を止めて、考え込んだ…
それから、
「…たしかに、お姉さんの言うことも、一理ある…ただ、甥のオスマン殿下に試練を与えるためだけに、ラーメンを食べる動画をアップするなんて、ありえないかも、しれない…」
と、呟いた…
そして、私同様、考え込んだ…
が、
私は、それを見て、
「…いかんさ…」
と、言った…
「…いかんさって、なにが、いかんさなのですか?…」
「…葉尊…オマエには、会社がある…さっさと、飯を食わねば、いかんさ…」
私は、慌てて、言った…
「…そうです…忘れていました…」
葉尊は、言って、慌てて、食事を再開した…
夢中になって、ご飯をかきこんだ…
私は、それを、見て、やはり、この葉尊には、私が、必要だと、確信した…
この葉尊は、この矢田よりも、六歳年下…
だから、頼りないと言ったら、悪いが、誰かが、この葉尊の面倒をみて、やらねば、ならんからだ…
そして、面倒をみるのは、今のところ、この矢田以外の誰も、いなかった…
誰も、いなかったのだ…
仕方がない…
面倒をみてやるか?
私は、思った…
私の細い目で、葉尊を見ながら、思ったのだ…
葉尊は、長身のイケメンで、大金持ちの息子だが、やはり、それゆえ、世間を知らん…
この矢田のように、苦労をしていないからだ…
だから、ダメだ…
このままでは、ダメだ…
放っておけば、誰かに騙されて、大変な目に遭うかも、しれん…
だから、当面の間、この矢田が、この葉尊の面倒をみて、やらねば、ならん…
そう、思った…
すると、勢いよく、ご飯を食べていた葉尊が、またも、箸を止めて、
「…どうしたんですか? …お姉さん…ボクをジッと見て?…」
と、聞いた…
私は、いつもの、
「…なんでもないさ…なんでもないさ…」
と、言って、葉尊同様、慌てて、ご飯をかきこんだ…
すると、空腹だったから、ご飯が、とりわけ、おいしかった…
丸一日近く、なにも食べていないから、当たり前だった…
昨日、空港に、お義父さんを迎えに行く前に、朝食を食べて以来だから、お腹が空いて、当たり前だった…
葉尊は、私のそんな姿を見て、なにも、言わんかった…
これ以上、なにも、言わんかった…
ただ、黙って、私といっしょに、ご飯を食べた…
それから、まもなくして、葉尊は、家を出た…
会社に行くためだ…
葉尊は、日本の総合電機メーカー、クールの社長…
だから、家を出れば、すでに、外で、迎えのクルマが、葉尊を待っている…
それゆえ、余計に、急いで、家を出ねば、ならん…
すでに、マンションの駐車場で、会社から、派遣された、お抱えの運転手が、葉尊を待っているからだ…
だから、一分でも、早く家を出ねば、ならん…
いつまでも、運転手を待たせるわけには、いかんからだ…
葉尊は、社長だから、運転手を待たせても、構わないでしょ?
と、いう人間は、いるかも、しれん…
立場が、違うのだから、当然という人間も、いるかも、しれん…
が、
それは、違う…
立場が、違っても、互いに、相手を気遣う気持ちが、なければ、ならん…
そうでなければ、相手の気持ちが離れる…
私自身、キレイごとを、言うつもりは、さらさらない…
嫌な人間は、嫌だからだ…
だが、大抵の人間は嫌でもなんでもない…
そんな人間に、尊大な態度をとって、わざわざ、敵に回す必要は、ないからだ…
葉尊は、今は、クールの社長だが、一生、今の地位にいられるか、どうかは、わからない…
誰もが、将来のことは、わからないからだ…
あのひとが、まさか、あんなことに…
なんて、例は、古今東西、枚挙にいとまがない…
だから、そのときになって、誰も、葉尊を助ける相手が、いない…
誰一人、味方になってくれる人間が、いない…
そんな惨めな目に遭って、もらいたくないからだ…
葉尊は、大企業の社長…
そして、葉尊の実父、葉敬は、台湾屈指の大企業、台北筆頭のオーナー社長…
だから、葉尊の一生は、誰が考えても、安泰と考えるが、そうでない可能性もある…
それは、例えば、一般の庶民のような暮らしを続けていれば、一生安泰だろう…
しかしながら、金持ちには、誘惑が多い…
それは、女を囲うとか、そういうことではなく、大抵は、投資…
どこそこの会社を買収するとか、なんとか…
すると、当然、資金が、何十億、何百億と必要となってくる…
そして、それが、一度ならず、二度も、三度も、失敗すれば、一文無しになりかねない…
いかに、資産が、何百億あろうとも、一文無しになりかねない…
当たり前のことだ…
その実例が、ソニーの創業者、盛田昭夫の実子、英夫の凋落だ…
最初は、スキー場、そして、次は、レースのF1参入…
そのいずれも失敗して、数百億の金が、吹き飛んだそうだ…
普通に考えて、ありえん話だが、事実だ…
自分の持つ、数百億の財産…
それが、消えたわけだ…
もはや、ホラー映画に近いが、事実だ…
まさに、平家物語ではないが、おごれるもの久しからず…
その実例だ…
だから、私は、葉尊に、そんな目に遭って、もらいたくない…
そう、思って、葉尊に厳しく接するのだ…
私は、葉尊が、いなくなった部屋で、ジッと考えた…
考え続けたのだ…
この矢田トモコ、35歳…
ひとは、私を玉の輿に乗った、運のいい女…
平凡な、庶民に過ぎない、女が、台湾の大財閥の御曹司と結婚したから、35歳のシンデレラと、呼ばれ、調子に乗っていると、思うかも、しれんが、私は、少しも調子に乗っていない…
なぜなら、先のことは、わからんからだ…
今は、いい…
豪勢な暮らしをしている…
しかし、それが、十年後も二十年後も、三十年後も、同じかと、言えば、微妙…
微妙だからだ…
正直、よくわからない…
先に例に挙げた盛田昭夫の息子の英夫ではないが、失敗するものも、多いからだ…
英夫の場合は、父親が、有名人だから、話題になったが、やはり、同じように、失敗した人間は、世の中に、少なからず、いるだろう…
ただし、誰もが、英夫ほど、多くの投資をしていないし、桁が少ないから、話題にならない…
そういうことだ…
そして、それを、思えば、日本の戦国大名も、そうだし、中国の歴代の王朝も、同じ…
先祖から、受け継いだ地位を守り切れず、失脚あるいは、滅亡した例は、数知れず…
ただし、今は、戦国時代でも、なんでもないから、そこまで、派手ではない…
つまり、わかりづらい…
盛田英夫の凋落は、今の時代にあって、稀有…
非常に、稀な例だ…
しかしながら、同じように、凋落した人間は、多いだろう…
ただし、それが、世間で、話題にならないだけだ…
規模が大きくないからだ…
だから、話題にならない…
そういうことだ…
とりわけ、この日本では、バブル時代に成り上がり、その後、凋落した例は、多いだろう…
いわば、ミニ英夫が、日本中のあちこち、至る所に存在したわけだ…
ただ、話題になることはない…
そういうことだ…
そして、そんなことを、考え続けていると、もう一人の大金持ちを思い出した…
他でもない、アラブの至宝…
アムンゼンのことを、思い出した…
<続く>
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