アラブの至宝 1

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 あのアムンゼン…  アラブの至宝のことを、考え続けた…  すると、いつのまにか、食事をする私の手が止まった…  これは、誰でも、同じ…  同じだ…    あまりにも、なにか、考え事に夢中になると、食事も、手につかなくなる…  私も、それと、同じだった…  人間は、誰もが、それほど、器用ではない…  考え事をしながら、同時に、なにかをし続けることは、できない…   つまり、そういうことだった(笑)…  私が、箸を止めて、考え込んでいると、葉尊も、すぐに、それに、気付いた…  「…どうしました? …お姉さん…お腹が、空いているんでしょ?…どうして、食べないんですか…」  「…いや、アムンゼンのことを、考えてな…」  「…殿下のことですか?…」  「…あのアムンゼンの狙いが、わからんのさ…」  「…殿下の狙いは、ハマスが、イスラエルを攻撃することを、事前に思いとどまらせることだと、さっき、お姉さんに、言ったじゃ、ないですか?…」  「…それは、わかったさ…」  「…だったら、なにを?…」  「…いや、それだけとは、思えんのさ…」  「…どういうことですか?…」  「…あのアムンゼンのことだ…他にも、狙いがあるんじゃないかと、思ってな…」  「…」  「…アイツは、食わせものさ…したたかな男さ…」  「…」  「…考えてみれば、あのオスマンが、ラーメンを食べるのを、ネットにアップしたんだって、今回の件と関係があるのかも、しれんさ…」  「…関係ですか?…」  「…そうさ…たしか、葉問が、あの動画をアムンゼンが、ネットにアップしたのは、オスマンに試練を与えるためだと、言っていたが、私は、信じんさ…」  「…」  「…アレは、きっと、別の狙いがあるのさ…」  「…どんな狙いですか?…」  「…それは、わからんさ…ただ、オスマンに試練を与えるだ、なんだと、葉問は、言っていたが、私は、違うと思うさ…」  「…どうして、そう思うんですか?…」  「…あのアムンゼンは、試練だなんだと、そんな意味のないことは、しないさ…」  「…」  「…それは、高校野球のしごきと、いっしょさ…アムンゼンは、意味のないことは、しないさ…練習と言っても、理屈に合わんことは、せんさ…」  私が、言うと、  「…」  と、葉尊は、なにも、言わんかった…  私同様、箸を止めて、考え込んだ…  それから、  「…たしかに、お姉さんの言うことも、一理ある…ただ、甥のオスマン殿下に試練を与えるためだけに、ラーメンを食べる動画をアップするなんて、ありえないかも、しれない…」  と、呟いた…  そして、私同様、考え込んだ…  が、  私は、それを見て、  「…いかんさ…」  と、言った…  「…いかんさって、なにが、いかんさなのですか?…」  「…葉尊…オマエには、会社がある…さっさと、飯を食わねば、いかんさ…」  私は、慌てて、言った…  「…そうです…忘れていました…」  葉尊は、言って、慌てて、食事を再開した…  夢中になって、ご飯をかきこんだ…  私は、それを、見て、やはり、この葉尊には、私が、必要だと、確信した…  この葉尊は、この矢田よりも、六歳年下…  だから、頼りないと言ったら、悪いが、誰かが、この葉尊の面倒をみて、やらねば、ならんからだ…  そして、面倒をみるのは、今のところ、この矢田以外の誰も、いなかった…  誰も、いなかったのだ…  仕方がない…  面倒をみてやるか?  私は、思った…  私の細い目で、葉尊を見ながら、思ったのだ…  葉尊は、長身のイケメンで、大金持ちの息子だが、やはり、それゆえ、世間を知らん…  この矢田のように、苦労をしていないからだ…  だから、ダメだ…  このままでは、ダメだ…  放っておけば、誰かに騙されて、大変な目に遭うかも、しれん…  だから、当面の間、この矢田が、この葉尊の面倒をみて、やらねば、ならん…  そう、思った…  すると、勢いよく、ご飯を食べていた葉尊が、またも、箸を止めて、  「…どうしたんですか? …お姉さん…ボクをジッと見て?…」  と、聞いた…  私は、いつもの、  「…なんでもないさ…なんでもないさ…」  と、言って、葉尊同様、慌てて、ご飯をかきこんだ…  すると、空腹だったから、ご飯が、とりわけ、おいしかった…  丸一日近く、なにも食べていないから、当たり前だった…  昨日、空港に、お義父さんを迎えに行く前に、朝食を食べて以来だから、お腹が空いて、当たり前だった…  葉尊は、私のそんな姿を見て、なにも、言わんかった…  これ以上、なにも、言わんかった…  ただ、黙って、私といっしょに、ご飯を食べた…  それから、まもなくして、葉尊は、家を出た…  会社に行くためだ…  葉尊は、日本の総合電機メーカー、クールの社長…  だから、家を出れば、すでに、外で、迎えのクルマが、葉尊を待っている…  それゆえ、余計に、急いで、家を出ねば、ならん…  すでに、マンションの駐車場で、会社から、派遣された、お抱えの運転手が、葉尊を待っているからだ…  だから、一分でも、早く家を出ねば、ならん…  いつまでも、運転手を待たせるわけには、いかんからだ…  葉尊は、社長だから、運転手を待たせても、構わないでしょ?  と、いう人間は、いるかも、しれん…  立場が、違うのだから、当然という人間も、いるかも、しれん…  が、  それは、違う…  立場が、違っても、互いに、相手を気遣う気持ちが、なければ、ならん…  そうでなければ、相手の気持ちが離れる…  私自身、キレイごとを、言うつもりは、さらさらない…  嫌な人間は、嫌だからだ…  だが、大抵の人間は嫌でもなんでもない…  そんな人間に、尊大な態度をとって、わざわざ、敵に回す必要は、ないからだ…  葉尊は、今は、クールの社長だが、一生、今の地位にいられるか、どうかは、わからない…  誰もが、将来のことは、わからないからだ…  あのひとが、まさか、あんなことに…  なんて、例は、古今東西、枚挙にいとまがない…  だから、そのときになって、誰も、葉尊を助ける相手が、いない…  誰一人、味方になってくれる人間が、いない…  そんな惨めな目に遭って、もらいたくないからだ…  葉尊は、大企業の社長…  そして、葉尊の実父、葉敬は、台湾屈指の大企業、台北筆頭のオーナー社長…  だから、葉尊の一生は、誰が考えても、安泰と考えるが、そうでない可能性もある…  それは、例えば、一般の庶民のような暮らしを続けていれば、一生安泰だろう…  しかしながら、金持ちには、誘惑が多い…  それは、女を囲うとか、そういうことではなく、大抵は、投資…  どこそこの会社を買収するとか、なんとか…  すると、当然、資金が、何十億、何百億と必要となってくる…  そして、それが、一度ならず、二度も、三度も、失敗すれば、一文無しになりかねない…  いかに、資産が、何百億あろうとも、一文無しになりかねない…  当たり前のことだ…  その実例が、ソニーの創業者、盛田昭夫の実子、英夫の凋落だ…  最初は、スキー場、そして、次は、レースのF1参入…  そのいずれも失敗して、数百億の金が、吹き飛んだそうだ…  普通に考えて、ありえん話だが、事実だ…  自分の持つ、数百億の財産…  それが、消えたわけだ…  もはや、ホラー映画に近いが、事実だ…  まさに、平家物語ではないが、おごれるもの久しからず…  その実例だ…  だから、私は、葉尊に、そんな目に遭って、もらいたくない…  そう、思って、葉尊に厳しく接するのだ…  私は、葉尊が、いなくなった部屋で、ジッと考えた…  考え続けたのだ…  この矢田トモコ、35歳…  ひとは、私を玉の輿に乗った、運のいい女…  平凡な、庶民に過ぎない、女が、台湾の大財閥の御曹司と結婚したから、35歳のシンデレラと、呼ばれ、調子に乗っていると、思うかも、しれんが、私は、少しも調子に乗っていない…  なぜなら、先のことは、わからんからだ…  今は、いい…  豪勢な暮らしをしている…  しかし、それが、十年後も二十年後も、三十年後も、同じかと、言えば、微妙…  微妙だからだ…  正直、よくわからない…  先に例に挙げた盛田昭夫の息子の英夫ではないが、失敗するものも、多いからだ…  英夫の場合は、父親が、有名人だから、話題になったが、やはり、同じように、失敗した人間は、世の中に、少なからず、いるだろう…  ただし、誰もが、英夫ほど、多くの投資をしていないし、桁が少ないから、話題にならない…  そういうことだ…  そして、それを、思えば、日本の戦国大名も、そうだし、中国の歴代の王朝も、同じ…  先祖から、受け継いだ地位を守り切れず、失脚あるいは、滅亡した例は、数知れず…  ただし、今は、戦国時代でも、なんでもないから、そこまで、派手ではない…  つまり、わかりづらい…  盛田英夫の凋落は、今の時代にあって、稀有…  非常に、稀な例だ…  しかしながら、同じように、凋落した人間は、多いだろう…  ただし、それが、世間で、話題にならないだけだ…  規模が大きくないからだ…  だから、話題にならない…  そういうことだ…  とりわけ、この日本では、バブル時代に成り上がり、その後、凋落した例は、多いだろう…  いわば、ミニ英夫が、日本中のあちこち、至る所に存在したわけだ…  ただ、話題になることはない…  そういうことだ…  そして、そんなことを、考え続けていると、もう一人の大金持ちを思い出した…  他でもない、アラブの至宝…  アムンゼンのことを、思い出した…                <続く>
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