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今の僕は天使を眺めている。微かな呼吸を繰り返して可憐な姿を現している。いつまでも見ていられるくらいに美しいと言う。
幼い瞳は閉じられて、キャラクター物のパジャマ姿で転がっている。まだこの子が生まれて三年。だけど、僕はこうして我が子を眺めていることが多い。
誰だってそうなのかもしれない。子供の眠っている姿なんて天使以外の形容詞がない。
「愛らしい」
つい呟いてしまった言葉に「よくもまあ飽きないね」と妻からの言葉がある。
彼女は好きなビールの缶を片手に腕を組んで狭いリビングから僕と娘を眺めている。
「だって、こんなに可愛いんだから。天使だよ。君も見てみなよ」
「飽きるほど見てるよ。それこそ昼間の悪魔の姿もね」
子供との時間は完全に彼女のほうが多い。
僕は朝の娘がまだ眠気眼の時間には仕事に出て、帰るのは娘が眠たそうな目をしている時間。
それに対して妻は昼間のほとんどを一緒にいる。それは勝てない。
「もうちっと一緒にいられたらねー」
妻が僕の横に並んで少しビール臭い言葉を吐くと、彼女は天使のまんまるほっぺを軽くつまむ。このくらいでは起きない。
「それは、努力致します」
これだけ働いても稼ぎは多くない。と言うか、もっと稼ぎがあったなら家族の時間を作れるのだろう。
「ビンボーでもあたしは構わないよ。だけど、子供には苦労させられないから。頑張って! あたしも節約するから」
涙ぐましい言葉だ。彼女は糟糠の妻。出会ってからはもう相当古い。
「いつかは、楽なくらしができる。様に願おうよ」
こんなところで言い切れない自分がどうしようもない。
隣の彼女は僕を頼りにしてない瞳で眺めてる。
「期待しないでおくわ。安月給とパートでこの子を養いましょ」
立ち上がって離れた妻は伸びをしながらリビングに戻る。
いつまでも娘の眠りを妨げるわけにはいかないので、僕は彼女を追う。まだ天使の顔は見つめていたいけど。
「苦労をかけてすまないねー。どうぞ、あの子のために頼むよー」
すかさず僕にもビールを渡してくれる彼女にニコニコと話してみる。だけど、不貞腐れられる。
「昔はあたしのことを天使って呼んでくれたのになー」
つい「そんなこともあったっけ?」というデンジャラスワードを語ってしまった。
「覚えてないんならビールは無し!」
キッと怖い顔になった彼女は、僕の手からビールの缶を取るとクピクピと美味しそうに飲んでいる。
「そんな殺生なー」
僕の言葉を横目で睨み「思い出せたら返してあげるよ」なんて怖く言う。
「忘れる訳がないじゃないか」
若干消えている古い記憶を呼び起こす。彼女との出会いは高校の時だった、と思う。
「高校って案外つまらんな」
入学したばかりで勉強は中学の復習。小さい頃からの友人たちとは離れ離れ。また最下級性。そんなつまらなさが渦巻いていた。
少し風が強い帰り道。退屈な時間を呆れて自転車をのんびりと走らせた。
学校の近くにある野山の段畑の石垣が続いてる。この辺りでは良く見られる景色。海と山の近いところではこんな畑の作り方が多い。
一瞬強い風が吹いて砂ぼこりが舞い、僕は目を瞑る。
「よいしょっと!」
言葉と一緒に高いところを誰かが舞ったのに気が付いてブレーキを掛けると、目の前を女の子が通過した。
しかし、彼女は普通ではない。季節外れの淡雪のようなものをまとい、あたまには白い輪がある。
「天使だ」
僕のその呟きは自分だけのもの。
呆気にとられながらも天使を眺めていると、その彼女はニコッと笑う。とっても可憐な笑顔。
「んじゃ、さよならー」
僕の肩をポンと叩いて、四つ辻の向こうに軽やかに掛けてく。
「思い出したよ」
妻との出会いの場面をリフレインして少し照れ臭くなりながらも話す。
「吹奏楽部に入部したときでしょ。忘れんなって!」
そうか。彼女には僕たちが同じ部活で出会うまでに会ったことを話してないんだった。全く、忘れてるのはどっちだよ。
だけど、僕はあんなエピソードがあったから彼女のことを時に「天使」と呼ぶようになったんだ。
こんな懐かしい話をしながら夜は更けてく。
今日の夜が長いのは明日が久し振りの休みだから。話がボールみたいに弾んでいた。
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