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きょうだいが多い家の長子は、天使症にかかると、みんな同じ発想をする。
どうせ自分はこれから、動けなくなり足手まといになって死ぬだけだ。天使症が治癒した子供は一人もいない。
なら、自分で身動きができるうちに、とっとと家を出て行方不明にでもなり、一人分の食糧と生活費の浪費を防いで、残された家族の食い扶持を残すのがいいのではないか。
実際、エラエン・ベネの近所でも、十代の天使症罹患者が失踪する事件は相次いでいた。
だが失踪の兆候に気がつく者がいても、家族でさえ強くは引き止めない。
食料と財貨の、選択と集中が必要だ。全員が共倒れにならないためには。
それを誰もが分かっていた。
■
天使症の原因とされるものは、すでにほぼ特定されていた。
十年前、この地域の上流にできた巨大な鉄製の工場。そこから流れ出る廃水が川に流れ込み、水の色を変えた。
その水を使っている地域だけに、天使症は発生している。
工場が排出する化学物質が原因だろうということは、もはや暗黙の常識だった。
だが工場は頑としてそれを認めなかった。
そして、天使症の地域の大人たちをどんどん雇用し始めた。
大人たちは、生活の糧を工場にゆだねて、声を上げることをやめた。
そんな親たちを見て、子供たちも自分を諦めていた。
エラエンは、織物の帯のように薄い自分の腹を見てため息をつく。
彼女の両親は、工場勤めを選ばなかった。
それはいくらかの気休めをエラエンにもたらした。
自分が天使症で死んでも、工場に勤めていない両親の苦しみは、そうでない者よりは軽いだろう。
私には弟が四人もいる。
自分はいなくても平気だ。
夜空に星が一つしかなければ、それが欠ければ大問題だ。
だが五つあれば、一つくらいなくなっても、嘆きは五分の一で済む。
エラエンは、その日の夕食を、自分の最後の晩餐に決めた。
日が暮れるころに、戸棚の下に潜り込み、二重底を開ける。
「とっておきのチーズと二等パン、それに紅茶の葉……」
それらを、戸棚の隅の隠し場所から取り出した。
どれも、量は一人分と少しというところだった。それだけ食いでがある夕食は、このごろにはない贅沢だ。
人生最後の食事だ、今日ばかりはこれを一人で食べつくしてもいいだろう。そう思った。
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