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第17話
その日の夜。
残務があるということで、オーウェンは夕食後も執務室で仕事をしている。手袋を外して分厚い紙にどんどんハンコを押していく。
「……結局、料理長さんは私の昼食づくりを快諾してくれましたね。自分で作るはずだったのに、作らせてしまって申し訳ないです」
「いいんじゃないか。妙に張り切っていたようだし」
ルティはお茶を出すために、執務室に顔を出していた。
「しかし空腹だったのなら、もっと早く伝えてくれてもよかったのだが」
衣食住を保証すると言った手前、オーウェンとしてはルティに我慢してほしくなかったようだ。
「いろんな人と話すことが多くて、予想以上にお腹が空いてしまうみたいです」
オーウェンはたしかに、と首肯する。
「わたしの知らないうちに、使用人や庭師とも仲良くなっているようだしな」
「そういえばあの時、オーウェン様もボーノにメロメロだって言っちゃいましたし、さすがに触れないとまずいですよね?」
オーウェンはその瞬間、眉を寄せた。
「そうだった。まったく、なんてことを言ってくれたんだか……」
「成り行きで、仕方なく」
ルティは抱っこしていたボーノを恐る恐るオーウェンに向けてみる。
オーウェンはじいっとボーノを見つめた。
「やはりただの子ぶ――」
「違います。クリーム色の真珠豚です。それに、特別な子なんですよ。オーウェン様も連れ歩きたくなると思います」
ルティはボーノが特別であると証明するために、辺りを見回す。すると、今までの会話を聞いていたボーノが、突然トコトコ執務室内を歩き出した。
「ボーノ、どこ行くの?」
小さい鼻をクンクンと動かし、ボーノは部屋の隅に去っていく。追いかけると、棚の中に、籠に入れっぱなしになっている謎の品々を発見した。
「これがどうしたの、ボーノ……?」
「君と出会った悪徳問屋からの押収品か? 鑑定に回しておくように言ったはずだが」
オーウェンは言うなり、横で仕事を手伝っていたレイルをじろっとにらんだ。
「回したよ! だけどそれは鑑定不可って言われて返ってきちゃったやつで……ごめん。そのあとすっかり忘れてた」
「……減給だな。いい、わたしが明日手続きする」
減給の二文字に、レイルは「げぇ!」と顔をしかめた。
ルティはカゴごと引っ張り出してくると、談話用の大きな机の上にそれを載せる。
「ルティ嬢、そんな危険なものをどうするつもり?」
「レイルさんの減給を阻止します。これらが、どんな品物であるか鑑定すればいいんですよね? 見たところ、薬草類に見えますし私ならお役に立てると思います」
「気持ちは嬉しいし助かるんだけど、それはたしか、毒物なのかそうじゃないのかの判別がつかないって言われたような……」
ルティはハンカチを取り出すと、中身を一つずつ取り出して、机の右と左に分けていく。
「右に毒物を含むものを、左には無害なものを並べています。と、ここまでは私でもできるんですが、最終鑑定するのはボーノです」
並べ終わったところで、ルティは尻尾を振ってお利口に待っていたボーノを机に乗せた。
「ボーノは山で高級キノコや良薬の素材を見つけられます。だから、反対に言えば、そうじゃないものもしっかり判別できる嗅覚を持っているんです」
ボーノは薬草に鼻を少々近づけると、ふんふんと匂いを嗅いでいく。
左側の品物には尻尾を左右に勢いよくふり、右側は尻尾をだらんと下にさげた。
「ボーノが尻尾を振ったものは、安全なものです」
「そんなことができるなんて、信じられない。それに、もし猛毒だったら……」
半信半疑のレイルに向かって、ルティは首を横に振った。
「これは、有名な猛毒の草にそっくりなものです。だけど今、ボーノは安全だと鑑定しました。でも、間違っていたら非常に危険なものです」
言いながらルティは、ボーノが鑑定し終わった猛毒の草にそっくりな形状のそれを掴む。
乾燥しているひとかけら手に取ると、パクッと口に入れて飲み込んだ。
「なっ!」
すぐさまオーウェンが駆け寄ってきて、ルティに吐かせようと頬に手を伸ばす。しかし、寸前で手袋をしていないことに気付き手が止まってしまう。
オーウェンは悔しそうな顔をして、ルティの肩に手をのせた。
「すぐ吐き出すんだ! もしも毒物だったらどうする!」
必死な様子で覗き込まれたが、ルティは首を横に振る。
「大丈夫です。ほら、まだ生きているじゃないですか。本当に危険ならば、すでに私は泡を吹いて倒れているはずです」
それからしばらく経ってもピンピンしているルティを見て、やっと二人は落ち着いたようだ。そうしているうちに、ボーノの鑑定は終わっていた。
「ボーノがすごい子だって、信じてくれましたか?」
ルティが訊ねると、オーウェンは思い切りしかめ面になる。
「次に危険なことをしたら許さないからな。だが助かった。これで仕事が一つ減る」
すぐにオーウェンは報告書をまとめるべく、自分の机に戻って紙にペンを走らせ始めた。
「……オーウェン様の痛みが、ちょっとでもよくなる薬草とかがあったらいいのに……」
卓上に並べてある薬草類を見下ろしながら、ルティは思わず本音が口を突いて出る。
ルティの呟きが聞こえていたレイルは首を振った。
「強い痛み止めを使うしか、今のところ対処法はないんだ」
ボーノがぷしゅん、と悲しそうな声を出し、尻尾をだらんと地面に向ける。
ルティはボーノを思う存分労ってから、仕事がひと段落ついたころに再度オーウェンに向けてゆっくり差し出した。
もちろん、特にふわっふわな毛並みのお腹を彼に見せつけるようにして。
あまりにもふもふなので、絶対に触りたくなるに違いないとルティは確信している。
「オーウェン様も、ボーノはすごい真珠豚だと理解してくれましたよね?」
しかしオーウェンは仏頂面のままだ。
「噛みませんし、触るとまるで天国の綿雲のように滑らかで柔らかいんですよ」
褒めて褒めてと言わんばかりに、ボーノは尻尾をパタパタ振り始めた。
「手伝ってくれたのは助かるが……」
それでもにらめっこしたままなので、ルティはあきらめてボーノを彼の仕事机の上に置いた。
「……! ここに置かれると困る。持っていってくれ」
手袋を外しているんだからと言いたそうに見つめられたのだが、ルティは肩をすくめて両手を後ろに隠した。
「コルボール伯爵令嬢、言うことを聞いてくれ」
「痛みが出たら、お薬を取ってきますが……大丈夫みたいですね」
「なにを言ってるんだ。どこも大丈夫じゃな――」
オーウェンはムッとしたのだが、ルティが指さした先を見るなり刮目する。
『ぷぷん?』
なんとボーノがオーウェンの左手を枕代わりにして、顎を載せてくつろぎ始めていた。
「……っ!」
『ぷすぅ……ぷすぅ……』
たじろいでいる彼を無視し、そのままボーノは寝始めてしまった。
どうしていいかわからずオーウェンは硬直する。レイルもボーノの行動に呆気に取られて驚いたままだ。
「痛くないみたいですね。それに、すっかり気に入られちゃいましたね、オーウェン様」
「…………」
「起きたら、ボーノのことを褒めてあげてくださいね」
「いきなり人の手の上で寝るか、普通……?」
オーウェンはがっくしと肩を落とした。
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