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第1話 繰り出す
母親が、亡くなった。
芹澤駆琉が中学校から帰宅すると、アパートの台所で母親が倒れているのを見つけた。
最初は寝ているだけかと思ったが、大声で呼びかけても身体を強く揺さぶっても、全く反応がない。
おまけに、汗ばむほどの室温であるのに、母親の身体が冷たくなっている…
――マジかぁ…
それからは、忙殺されまくる日々だった。
中学校へ通えるような状況ではなかった。
警察の事情聴取には淡々と応じればよかったが、ウザ過ぎたのは児童相談所との面談だった。
訊かなくてもよさそうな些末な事まで、根掘り葉掘り聴取された…
母子家庭だった駆琉は、未成年であるゆえ身元引受人に委ねるか、児童養護施設で保護する必要がある。
ところが母親の親族の誰もが、駆琉の引き取りを拒否した。
勝手に家出をして親を見捨てた娘の子供など、引き取りたくない――
姉さんの子供を引き取る余裕など、ウチにはない――
駆琉自身には、全く罪は無いというのに…
駆琉の引き取り手が未だに見つからない中、母親の葬儀が執り行われた。
市役所が行う市民葬だが、参列者は皆無に等しい。
読経が虚しく響く小さなホールの中で、駆琉は無表情で座っている。
まるで全ての感情を、失ってしまったかのように…
ふいに、スーツに黒ネクタイを締める壮年の男性がホールに訪れた。
簡素な受付を済ませたあと、焼香をして長々と合掌をしている男性…
「――キミが、駆琉くん?」
呼び掛けた男性を、虚ろな眼で見つめる駆琉。
この後、児童相談所の職員から、この男性が自分の父親であることを告げられた。
駆琉は、自分が愛人の子であったことを、この時に初めて知った…
★
★
バタンと扉が閉まる音が、ガランとする6畳半ワンルームの部屋に響いた。
カーペット敷の床に置かれた段ボールは、両手で数え切れるだけ…
これが現時点での、駆琉の身の回りのもの全てだ。
「あんたが、ママを殺したんだ!」
父親である男性を、こう罵った駆琉。
母親の死因は、子宮頸がん。
医者にかかる経済的余裕が無いがゆえに、痛みを我慢し続けていた結果だった。
男性によれば、母親は経済的援助を断っていたとのこと。
男性に迷惑を掛けたくなかったのか、母親の意地であったのか…
シャッと部屋のカーテンを開けると、無数のネオンが瞬く夜の景色が窓越しに広がった。
10階建てマンション最上階からの眺めは、仲々のものだ。
ここは、東京都新宿区百人町。
窓から家々越しに見下ろす職安通りの向こうは、不夜城である歌舞伎町だ。
この部屋は、父親である男性に用立ててもらった。
男性は、駆琉を引き取れないと言った。
母親の葬式に来たのも、家族には内緒。
家庭を壊したくないのであろうが、そんなのは男性の身勝手過ぎる都合だ。
そこで駆琉は、一計を案じた。
このままでは、自分は児童養護施設に引き取られてしまい、男性には何の痛手もない。
児童養護施設には行きたくないと強烈に突っぱね続け、男性に何とかしろと迫った。
結果、引き取ることは出来ないものの、この部屋を用立ててくれたのだ。
一人暮らしをするのに必要な、経済援助も取り付けた。
水道光熱費を差し引いても、中学生の駆琉には充分な金額の約束だった。
自分名義の郵便貯金口座も開設したし、準備は万端――
とはいえ、若干14歳の駆琉に独りで暮らすことを強いらせるのだから…
駆琉は、母親と男性の身勝手な都合の犠牲者なのだ。
★
――前々から、歌舞伎町には来てみたかった…
母親と住んでいたアパートには、いたくなかった。
いずれ自分が愛人の子であったことは、知れ渡るであろう。
そんな中学校には、もう通いたくない…
「へぇぇ~、一人暮らししてるんだぁ~」
新しい中学校で出来た友人たちが、揃って感嘆してくれた。
駆琉の部屋には、物見遊山なのか同級生たちが鈴なりに訪れた。
しかし、子供たちが飽きるのは早かった。
もとより都会暮らしの同級生たちは、塾だの習いごとだので放課後は忙しく、やがて駆琉の部屋は閑散としてしまう。
強がってはみても、独りで過ごす夜は寂しいものだ。
たまにUber Eatsで贅沢してみても、独りで食べるのは味気ない…
そんな駆琉が、夜の歌舞伎町に繰り出したのは、自然な流れだった。
Tシャツに膝丈ズボン、サンダル履きと、ラフな格好で街へ繰り出した駆琉。
7月上旬ともなると、夜でもうだるような暑さだ。
時折、右腕で額の汗を拭いながら歩く駆琉が、歌舞伎町タワー前のシネシティ広場に辿り着いた。
この辺りは、いわゆるトー横と呼ばれるエリア。
熱気でムンムンする広場には、あちこちに数人のグループが点在して座り込んでいる。
いわゆる『トー横キッズ』と呼ばれる、少年少女たちだ。
『トー横キッズ』の大まかな概念は、“地雷系”と呼ばれる独特なファッションに身を包み、ゴジラのオブジェで知られる「新宿東宝ビル」(旧コマ劇場)周辺に集まる少年少女たちを指すものだ。
彼らはコロナ禍をきっかけに、この界隈に”住み着いた”とされている。
やがて集まるメンバーが固定化し、『トー横界隈』と名乗りSNSで配信を始めたことで、ネット上にファンが急増。
その結果、中高生が『トー横』や繁華街に集まるようになったらしい。
広場を歩きながら駆琉が、地べたに座り込むキッズたちを物珍しそうにガン見しているが、キッズたちは話し込むのに夢中でいて気が付かない様子。
中には視線に気付いて駆琉を一瞥する者もいるが、すぐに話の輪に戻っていく…
――なんて、楽しそうなんだ…
駆琉自身に、友人がいない訳ではない。
転校した中学校でも、それなりにお喋りが出来ている。
けれども、何かが引っ掛かる…
チリンチリンチリン――
自転車のベルが鳴るので、駆琉が道をあける。
すると、蕎麦屋の出前持ちのように右手の片手ハンドルで、左手に五段重ねの重箱を掲げる銀髪の青年が乗る電動自転車が、駆琉の横をすり抜けた。
「メサイアだぁ!」
誰かの叫び声が上がると同時に、座り込んでいたキッズたちが一斉に立ち上がり、停まった電動自転車の許へ殺到する。
「はいはぁい、慌てないでぇ~」
銀髪の青年が、押し寄せたキッズたちに、順番に並ぶよう促している。
――…なんだぁ?
★
見るとキッズたちが順番に、青年から握り飯を受け取っている。
満面の笑顔で受け取ったキッズたちは、小走りで各々が座り込んでいた場所に戻り、嬉しそうに握り飯をほおばっている。
「――キミも、食うか?」
こちらをガン見している駆琉に気付いた青年が、握り飯をひとつ掲げている。
呆気に取られている駆琉は、首を左右に振るのが精一杯。
青年の横でスタンドを立てている深緑色の電動自転車は、タイヤが極太のモペットと呼ばれるものだ。
駆琉を一瞥した青年が、ニコニコしながら再び握り飯を配り始めた…
「――キミは…、ずいぶんラフな格好をしてるねぇ」
あらかた配り終えた青年が、まだ立ち尽くしている駆琉の方を見た。
たしかに、ここに集まるキッズたちは、このクソ暑いのに黒を基調とした服をメインに着こんでいる。
ここまでラフなのは、たしかに自分だけ…
「お――、俺、この近所なんで…」
考えられる精一杯の返答を駆琉がすると、
「大丈夫なのかぁ?こんな夜遅くに出歩いてぇ」
銀髪の青年が、真顔で心配している。
「お――、俺…、一人暮らしなんで…」
それを聞いた青年が、一瞬眉をひそめた。
しかしすぐに、元の柔和な笑顔に戻った。
「――そっか…」
「へぇぇ~!キミ、一人暮らしなんだぁ~!」
青年の傍らに立つピンクロングヘアの少女が、感嘆の声を上げた。
「あ――、うん…」
圧倒されてしまい、か細い返事をするのが精一杯の駆琉。
「ねぇ~、今日ぉ、泊めてくんない?」
「――…はあぁ?!」
いきなりの申し出に、内心で仰天して顔を引きつらせている駆琉。
「俺からも、頼むよ」
青年が横から、さりげなく割り込んできた。
「この娘、家出中なんだ」
――えええぇぇぇ…
「ありゃぁとぉ~!」
有無を言わせまいと、いきなり少女が右腕を駆琉に絡ませた。
――えええぇぇぇ?!
「家、どっちなん?」
「あ――、いや…」
腕を組み合った少女に、グイグイ引っ張られるようにして駆琉が歩いて行く。
その様子を銀髪の青年が、冷ややかな眼で見つめていた…
★
★
「そっかぁ~。お母さん、死んじゃったんだぁ~」
職安通りを横断する信号待ちで、駆琉と腕を組み合う少女が同情している。
「でもさぁ、ズイブンだよねぇ、そのお父さんってヒト」
「――いいんだ、別に…」
歩行者用信号を見ながら、冷めた口調の駆琉。
「ふぅ~ん…。キミ、しっかりしてんねぇ」
「え?」
いきなり褒められて、戸惑っている駆琉。
「あたしだったらソイツのこと、刺し殺してんしぃ」
「――えぇっ?!」
仰天すると同時に、駆琉が左腕をグイと引っ張られた。
信号が青に変わったのだ。
「あたし、寧々ってゆうんだ!」
駆琉を引っ張って横断しながら、寧々が名乗った。
「ねね?」
「そう!キミは?!」
「お――、俺は…、駆琉」
「カケル?」
「そう」
「じゃあ、カケルンだ!」
――ええええぇぇぇぇ…
「どっちなん?家ぇ?」
「あ――、あっち…」
戸惑いまくる駆琉を寧々が引っ張って、二人はマンションの方へと歩いて行った…
★
「あっつぅぅ~!」
部屋の玄関扉を開けると、開口一番に寧々が暑がっている。
「い――、今、エアコンつけるから…」
部屋の照明を点けた駆琉が、ドスドスと部屋の中へ歩いて行く。
――そんな厚手のTシャツ着てりゃあ…
寧々が着ているオーバーサイズの黒地Tシャツを一瞥して、駆琉が内心で愚痴っている。
「これぇ…、お風呂?」
ミニキッチンの前の扉を、部屋に入って来た寧々が指差している。
「――そう…、ユニットバス」
「浴びていい?シャワーぁ」
「い――、いいよ」
返事を聞くが早いか、寧々がTシャツを捲り上げている。
「――…なによ?」
駆琉が眼を丸くしているのを見て、不機嫌そうに寧々が呟く。
「――…え?」
「アッチ、向いててよ」
慌てて回れ右をしている駆琉。
――なんなんだよぉ、まったくぅ…
風呂場からのシャワーの音を聞きながら、カーペット敷きに座り込んで膨れっ面をしている駆琉であった…
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