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「もしかして」という私の発言をかき消すかのように棚田は声を張った。
顔を見ると、棚田の目が少しだけ輝いていた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。少し前に狭心症で入院していたんです。医者にはしばらく無理をしないように言われております。でも、今は元気です。お気遣いいただきありがとうございます」
私はわざと軽く会釈する。
和樹は顔を引き攣らせた。なんとなくしか私の病気のことを知らなかったようだ。
「お身体、大切にされてください。では、御主人によろしくとお伝えください」
棚田和樹は小さな笑みを浮かべ帰っていった。
あの顔、やっぱり知っている気がする。たしか大学の同級生にいたはずだ。煙草の匂いがしたような気がしたので、家の周りをみると、やはり吸い殻が落ちていた。誰が家のそばに捨てていくのか。本当に迷惑だ。
「はい、手紙よ。棚田和樹さんって人から。間違えて開けちゃったって」
「え?」
太一の顔が青ざめる。
「どうしたの? 手紙、これね。私が入院していたこと、知ってたみたい。お大事にだって」
太一の手は震えていた。
「具合悪いの?」
「この手紙は男の人が持ってきたの? いや、大丈夫、具合は悪くないよ。俺はいないって、誰かが来たら言って」
「中年の背の高い男の人よ。はいはい、太一はいないことにするのね」
居留守とか変である。でもまあいいか。太一の様子がおかしいけれど、私に絶対話さないと決めているようだし。仕方がない。
「銀座に買い物行ってくるね」
「もう少ししてから行った方がいいかも。ほら、さっきの男がその辺にいるかもしれないし。お茶でも飲んでから行ったら? やっぱり、俺はちょっと出かけてくるから」
休むように太一に勧められてしまった。
和樹のことを追うのだろうか。
太一に言われたので、ゆっくりコーヒーをわざわざ淹れ、おやつを食べて、化粧もきちんとしてから銀座へ出発した。
子どもたちは土曜日で半日授業のためまだ帰らない。お義母さんとおそらく従弟の叔父さんへのお菓子を買ったら、お総菜売り場でお昼のおかずでも買って帰ろう。デパ地下、ひさしぶりだわ。
楽しい気分で地下鉄の改札をくぐる。
あと数分で地下鉄の電車が来る。コーヒータイムをしたから遅くなってしまった。失敗だったかもしれない。
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